第55話 山中湖:甘え



 富士山は愛鷹山で姿を隠している。


 富士から沼津までの道は爽快なものだった。遮るものの無い、緑色をした平らな耕作地が広がっている。


 道路沿いにフェンスはあまり設けられていない。道も高架ではなく、耕作地とほぼ同じ高さを走っている。時折巨大な商業施設が現れる風景は、浜松の郊外を連想させて親近感を抱いた。


「……」


 信号待ちでふと気になり、メーターのボタンをぽちぽちと押し込む。普段は時間を表示している液晶が切り替わり、トリップメーターが表示される。


(120キロ……)


 先日行った弁天島までの20キロという数字を大幅に上回っていた。あの時は「家に帰れるだろうか」などと心配していたのに、あっさりとそれを上回る数字を叩き出している。あの時の不安など完全に杞憂だったとその数字が証明していた。


(……全然走る)


 カタログ上のスペックでは、1度満タンまで給油すれば350キロは不安なく走ることができる。浜松からであれば、東に向かうと茨城まで行くことができる計算だ。


(東京より東に行く方法とか、もはや分かんないな……)


 東京までは東海道新幹線や東名で行くことができる。でもその先は?

 きっと似たような新幹線や高速道路があるに違いない。今思い出せないだけで言われればたぶん思い出す。ただ、それぐらいの縁しかない世界だった。このエストレヤというバイクは、このまま国1を走らせれば、平気な顔をして茨城まで走ってしまうのだ。


(エストレヤが走れても、私の身体がもたない)


 おしりや右手が痛むのは相変わらず。

 しかし次第に腰や左手も痛くなってきていた。赤信号で止まるたびにギアをニュートラルに入れ、両手をハンドルから離してグーパーしたり、両足を地面についておしりをシートから浮かべ腰をねじったりしている。足つきが悪かったらこうはいかなかった。低めのシート高はエストレヤの良いところの一つだった。


(クラッチ握るのこんな大変だったっけ……)


 クラッチが変化したわけではもちろんない。手の方が疲弊しているのだ。普通に暮らしている分には、こんなに何度も手を閉じたり開いたりすることはない。強いていうならバイトやベーカリーでトングを使うときくらい。


(クラッチレバーを10センチそこら動かすのがツラい……)


 実はエストレヤのクラッチレバーとブレーキレバーの開き具合は調整できる。調整によっては気休め程度にレバーの動作範囲を短くできるのだが、その機能を知るのはもう少し先の話だ。


(120キロ走っておいて10センチがしんどいとは……)


 これも何もかも浜松から富士山が離れているせいだ。同じ県内だというのに。

 そして自分自身、内心遠いっていったって県内だろうという甘えがあった。だが県内だろうが県外だろうが、120キロは120キロだ。


(……遠いよ、富士山)


 富士山は手前の山に隠れたままだ。


(静岡、長すぎ……っ)


 正直同じ県内とは思えない。

 それにバイクで走るだけでこんなにもダメージを受けるとは思わなかった。道を間違えたあげく遠回りがなんだなどと強がっていた数十分前の自分を殴りたい。


(……この疲労に見合った景色を見せてもらうぞ、富士山)


 山の向こうに隠れている富士山をギロリと睨む。

 沼津までは、もうすぐだ。




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