第33話 楽しい?



 バイトがある日だけとはいえ、あの坂道を自転車で上る必要が無くなった。

 それはそれで喜ばしいコトこのうえ無い。しかし一方で、いままでうやむやになっていた、解決しなければならない課題も顕在化した。


「荷物、どうしよ」




 店を出て歩く。自転車は隣でカラカラと音を立てていた。


 すっかり夜だ。このあたりは市街地の明かりも遠いせいか、夜空では星の瞬きが目立っている。舘山寺街道を吹き抜ける風は涼しく、日差しも無いおかげか昼間と違ってずいぶんと過ごしやすかった。これから帰るのに向かい風なことだけマイナスポイントだ。


「……」


 視線を落とす。自転車のカゴが荷物で埋まっていた。


 たいして中身が入っていない通学バッグ。それから空の弁当箱。あとはいつもカゴに投げ込んである雨合羽。


 必ず持っていく荷物はこの3つだ。あと、授業によっては荷物が増えることがある。水泳とかだ。


(イレギュラーはひとまず置いておこう)


 通学バッグ、弁当箱、雨合羽。この3点は必ずクリアしなくてはならない。カゴがないバイクでこれらを運ぶ必要がある。


 弁当箱も雨合羽も通学バッグに詰め込んでしまえば良いとすると、問題はやはり1つに収束する。背負った通学バッグが運転中にずり落ちることだ。安全な運転の妨げになる。


「素直にリュック買おうかな」


 しかし脳裏によぎる。


「バイク用のバッグ、便利そうだったなぁ……」


 タンクにマウントさせるタンクバッグは、地図が見られたり荷物が目の前にある安心感があって良さそうだ。トップケースは施錠ができて防犯面で心強い。サイドバッグはバイクの重心への影響が少なく、見ため的にも重厚感を演出できる。シートバッグは取り付けが簡単なのに容量が大きいのがありがたい。


 正直、どれも魅力的だ。バイクに乗ってどこにも立ち寄らず家に帰ってくるのでなければ、いずれかを導入しない手はない。


 それになにより。


(リュックも肩掛けバッグも身に着けないで乗るバイク、気持ちいいんだよね)


 何の予定もない休日の午後、ふと思い立って免許が入った財布だけをポケットに入れて走り出したことを思い出す。気が向くままにハンドルを切り、気が付けば天竜川の土手の上の道路を10キロ近く北上していた。開けた景色の中で自分に纏わりつくのは風だけで――自由ってこういうことかもしれない、なんて思った。バイクから降りたあとの疲労感も少なかった気がする。


(だけど……)


 信号待ちでスマホをいじる。おすすめ商品がバイクグッズで埋め尽くされた通販サイトのページを開いた。様々なバイク用のバッグも表示されている。


 それを眺めていて言えることは。


(容量と機能は、値段とトレードオフ)


 容量が大きければ値段は高くなる。機能が高くても値段が高くなる。両方であれば言わずもがな。小さいものであれば数千円で購入できるが、荷物が入りきらないかもしれない。入ったとしてもあまりにパンパンだと、それはそれで不格好でもある。


(悩ましい)


 最近高価な買い物をし続けていることも、バイク用バッグの購入に二の足を踏ませていた。預金通帳の残高に多少余裕はあるとはいえ、これまでの貯えを猛烈に消費していることは事実だ。人生の高い買い物ランキングはサクサクと更新されていた。


(このバッグも新しいし……)


 新学年になって通学バッグを新調していることも気がかりだった。この新しいバッグを早々にクローゼットにしまい込むのは少々気が引ける。


(……何とかならないかなぁ)


 信号が青に変わる。周りの車も走り始めた。だけど頭の中は渋滞気味だった。

 スマホの画面の電源を切ってポケットにしまう。もう点滅しかけた歩行者用信号を慌てて渡った。渡ったところで自転車にまたがり、人力でタイヤを動かしていく。しばらく走ると、今朝のぼった坂道に辿り着いた。今は下り坂だ。特に気合を入れる必要もなく、重力に任せてスルスルと自転車を加速させる。


(悩ましいな……)


 今の世の中、バイクなんて所詮は趣味だ。こんなことで頭を悩ませるなんて馬鹿げている――と人は思うかもしれない。


 だけど、とライダーの一人として反論する。いや、ただの言い訳かもしれなかった。いつまでも決断を下せない自分への。


(バイクについて悩むの――)



「楽しいかも」



 楽しいなら、明日も悩んで良いのだろう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る