第16話 静けさの中で


 初日くらいは昼からの営業で良いのではないだろうか。


「……」


 ピ、と目覚ましが鳴った瞬間に止める。目覚ましよりも早く目が覚めていたが、あえて早く起き上がる必要もない。だからベッドに横になっていた。カーテンの隙間からにじむ光はまだ青白く、きっと太陽はまだ水平線の向こうだった。


 顔を洗って歯を磨き、服を着替えて髪を整える。もう何千回も繰り返したルーティーンだ。あとはご飯を食べて出掛けるだけ。


 冷蔵庫を開け、『ねーちゃん』とメモが貼られたサンドイッチを取り出す。それからボトルコーヒーをグラスに注いで、サンドイッチと一緒にテーブルに持っていった。


「いただきます」


 ラップを剥がしてサンドイッチをいただく。千切りキャベツ、スライストマト、昨日の夕食の残りとおぼしき鶏の照り焼きが挟まれたサンドイッチが2切れ、それから缶詰のミカンとプリンのサンドイッチが1切れ。


 照り焼きの方は分厚いチキンとみずみずしいトマトがおいしかった。缶詰ミカンとプリンのサンドイッチは、ミカンの酸味とカスタードクリームに見立てた甘いプリンのなめらかな舌触りがデザートに最適だった。グラスのコーヒーを飲み干し、食器を片付け、弟に「ごちそうさま」とメッセージを送ったら食事は終わりだった。


 いつも通りのバイトのある休日の朝。だけど、ここから先は今までどおりじゃない。


 玄関を出てエストレヤに歩み寄る。カバーをはずし、自室に用意しておいた100均のランドリーバスケットにカバーを詰め込む。その流れで店の制服の入った通学バッグとヘルメットとグローブ、それからバイクのキーを持って外に出た。そのころにはもうだいぶ空が明るくなっていた。


 冷たい、新しい空気が胸を満たす。東の空から広がる朱の光が、エストレヤのエンブレムをキラリと輝かせた。


 行こう。スタンドをはらってエストレヤを路上に出す。一旦スタンドを立ててからまたがり、もう一度スタンドをはらった。教習所の指導とは違うが、このやり方の方が転倒しにくいと思う。


 鍵を差し込んでエンジンをかける。静かな住宅街にエンジンの音が反響する。遠くの方で犬が吠えたのがわかった。


 起こしてごめん。後方を確認して、右ウインカーを出しつつ発進した。昼間とはまた違う涼やかな風が、青く、たなびく。






 元々背負うことをあまり想定していないのだろう。背負った通学バッグは、運転中に何度か持ち手が肩からずれ落ち、信号待ちで背負い直すことになった。体の動きに制限がかかることは、バイクを運転する上で障害になる。


 バッグをリュックに替えるか、バイク専用のバッグの導入を検討した方が良いだろう。用品店にそういった商品があったはずだ。防犯チェーンと一緒に見てみようと思った。


 チェーンはともかく、バッグの方は、どんなものがいいだろうか、どんなバッグがエストレヤには似合うだろうか、なんて考えるのは、思いのほか楽しい時間だった。その証拠のように、私たちはもう新店舗にたどり着いていた。


 反対車線からやって来たシルバーのコンパクトカーの目的地も、私たちと同じようだった。左折のコンパクトカーが駐車場に入るのを待ってから、右折して駐車場に入った。コンパクトカーの運転手が出てきたところで声をかける。


「店長」


「おはよう君影さん。今日からもよろしくね」


「よろしくお願いします。バイク、あのあたりに駐車して良いですか?」


 店の裏手、駐車場の片隅の、三角形になったデッドスペースを指差した。あの場所なら誰の邪魔にもなりそうになかったからだ。店長は「オッケーオッケー」と車を施錠しつつ許可してくれた。


 店長がバイクを見下ろして「ふーん……」とこぼす。


「素敵なバイクね。何て言うか、品があって、たたずまいが良い。こんなバイクもあるのね……」


 感慨深そうに呟くと、店長は身を翻した。


「それじゃあ準備しましょう。頼りにしてるからね。お客様にはお手柔らかにお願いしたいところだけど」


 もちろんそんなわけにはいかないことは、経験からよくわかっていた。


 忙しい一日の始まりだ。




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