第15話 チラシ


「つかれた……」


 ヘルメットとグローブを脱いだ以外は、走っていた時の格好のまま自室のベッドに倒れた。腕はビリビリしていて、エンジンの振動を受け続けていた膝は感覚が鈍い。背中は米袋でも背負っているかのように重いのに、全身はどこかフワフワしていた。このまま風に流されたと思ったら、いつのまにかバイクにまたがりどこかへ滑り出してしまいそうだ。


「うう」


 このまま寝るわけにもいかない。なんとか体を起こして服を脱ぐ。部屋着に着替え終えたころ、ようやく手のしびれやらが霧散し、感覚が日常に戻ってきた気がした。そう、日常に。


(……幻みたいだ)


 バイクにまたがり、体験したこともない風を浴び、息も切らさずあの坂道を上った。ヘルメットで四角く切り取られた光景は、なるほどどこか映画のようで、幻のようで、他人事のようだった。


(でも、現実だ)


 窓際に歩み寄る。カーテンを開けて階下を見下ろす。家の玄関先、サイクルポートの下、通学に使う自転車の隣に、ブラックのカバーがかかったエストレヤがたたずんでいる。確かにそこにいる。


(チェーンとか、買わなきゃな)


 このあたりは治安は悪くないと思っている。しかし用心に越したことはない。それにここは治安がよくても、走りに行った先もそうとは限らない。使う場面はたくさんあるはずだ。また用品店にいって見繕わなくては。次の週末にでもお店に行こう。バイトくらいでしか埋まらなかった予定が埋まっていくのは、エストレヤがあるが故の顕著な変化だった。


「……え、あ、週末って」


 スマホで予定を確認する。やっぱり、忘れていた。今週末は蜆塚の新店舗のオープン日だった。きっとショッピングなんてしている場合ではない。


「混むかな……混むよね」


 この街の人々は、基本的に新しいモノ好きな気風をしている。多くのオートバイが作られたのもそんな気風からだったのだろう。それと同じで、なんか新しい店ができたら行ってみる、という人が多かった。近所の得体の知れない店も、開店したばかりは行列ができるものだ。


 にも関わらず、店長はお客さんがくるか心配でたまらないらしい。従業員としては給料が出る限りお客さんなんていなくても構わないのに、『お友達に渡して!』と大量のクーポン付きのチラシを渡されてしまった。さすがの店長も、私に友達がいないという可能性は考慮しなかったらしい。弟にでも押し付けようかと思ったその時、ひとりだけチラシを渡せそうな子がいたことを思い出した。





 次の日のお昼休み。


「四方さん」


「(モグモグ)」


「四方さん」


「(ぱくぱく)」


「四方さん」


「(ごくん)」


「あの、四方さん……」


「……へ? うわあ! き、君影さん!? 私のこと呼んでたの!?」


「いや、だから四方さんって」


「幻聴だと思った……まさか学校で陰キャオタクの私に声かける人がいるなんて思わないし……」


 その感覚はちょっとわかる。


「ちなみにいつからいたの……?」


「卵焼き食べてるときから。好きなの?」


「さ、砂糖派です」


「ふぅん。ここ、良い?」


「え゛」


 返事を待たずに未天みそらの前の席の椅子の向きを反転させる。そして彼女の机の上に自分の弁当箱を置いた。


「な、なんで」


「この前言ったじゃん。一緒にお昼でもって」


 未天は顔を両手で覆って上を向き、小さく「神様ありがとう……」と呟いた。なんの話だろうか。


 彼女は顔から両手を外して大きなため息をついた。


「うー、うわー、どうしよ、君影さんのファンに殺されるかもしれなぃ……」


「ファンなんていないよ。そもそも友達いないし」


「そーいうとこだYOぅ!」


 また無自覚だよぉ……と彼女は机に突っ伏した。はじめて会ったーーいや、認識したときもそうだったが、テンションのオンオフが激しい子だと思う。


「……バイク、乗れるようになったよ」


「?? あ、例の」


「後押ししてくれてありがとう。なんだかすごく楽しくなりそう」


「そうなんだ。うん、それは良かったね」


 彼女は白い花のように明るい笑みを浮かべた。普段は自分の席でじっとしていて、表情の変化に乏しいようだったが、話してみると印象が全く変わる子だった。


「それで、あの、お礼というには私にも都合が良いんだけど」


「?」


 私はポケットからチラシを取り出す。


「今週末、お店オープンするから、よかったら、来て。サービスする」


「!」


 クーポン付きチラシに視線を落とし、一瞬こちらを見たかと思うと、おずおずと両手を伸ばしてきた。卒業証書でも受け取るかのようだった。


「……! ありがとう君影さん! 家宝にするね!」


「いや、使いに来てくれる……?」


 てへへと頭を掻いた彼女は、お世辞でなく愛らしさに溢れていた。





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