第7話 ミソラ:諦めるなら


「あ、私こっちだから」


 未天がこちらの帰り道とは違う方を指差した。家は佐鳴台の辺りなのかもしれない。


「うん。今日はなんかごめん」


「あはは……まあ元はといえばファイル置き忘れた私が悪いから。バレたのが君影さんで良かったかも」


「じゃあ――」


 そういって未天に背を向けかけた刹那、目の前をオートバイが通りすぎた。

 暗かったせいでカラーリングは判然としなかったが、そのどっしりとした佇まいは、たぶんアメリカンと呼ばれるものだ。シルエットからして、ライダーはおそらく女性だったように思う。


 お腹の底に響くドルドルしたエンジン音と、夜道に描かれたテールランプの軌跡が印象的だった。


「君影さん?」


「あ、ごめん」


「あのバイクがどうかした?」


 バイクが消えた道の先を未天が覗き込む。今はもう排ガスの臭いしかその面影は無かった。


「ちょっと、バイク買おうか迷ってて」


「バイク? 君影さんが? どうして?」


 かくかくしかじか事情を説明する。


「だから色々調べてるの」


「はぁーそうなんだ。いや、君影さん、それはアレだよ」


「?」


「もう諦めた方がいいよ」


「え」


 意味がわからない。バイクなんて買うなということだろうか?


「あ、違う違う。バイク乗るのやめろって意味じゃなくて。私もわかるの、それ」


 彼女はにこやかに笑って続けた。


「お金も時間もあるんでしょ? ほしいものをもういつでも手に入れられるのに、色々調べてるっていうのはあれだよ。それを手に入れるための、周りも自分も納得できそうな後付けの理屈を探しているだけで、もう君影さんの気持ちは決まってるよ。その理屈を見つけるのが遅いか早いかってだけだから、もう諦めて手に入れるしかないよ、それ」


 彼女は件のファイルを取り出した。


「私のこれと一緒」


「……やめたくてもやめられない?」


「そういうこと! まぁ、やめたいなんて思ったことはないけどね」


 最後に彼女はダメ押しのように付け加えた。


「諦めるなら早い方がいいよ!」


「……ふふっ、人を後押しする時にそんなセリフ、初めて聞いた」


 私が肩を揺らして笑うと、未天は一瞬驚いたような表情を浮かべたかと思えば、すぐにまた唇で柔らかいアーチを作っていた。





「店長、いいですか?」


 ある日のバイトが終わった帰り際、パソコンで事務処理をしている店長に声をかける。


「店移る話なんですけど」


 忙しそうにしている手が止まる。引き継ぎやら新店舗の準備やらで忙しいのだろう。だから手短に、率直に本題を告げる。


 特に目的もなく始めたバイトの給与は、そのほとんどが預金通帳に死蔵されていた。教習を受ける時間は、バイトのない放課後でも充てれば良い。時間もお金もクリアできている。


 しかし、まだひとつだけ確認しなくてはならないことがあった。それを今から確認する。



「バイクで通勤してもいいですか?」



 店長は嬉しそうな笑顔を浮かべ、ついでに右手でサムズアップを作った。


 決まりだ。



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