第2話 お願い
暇潰しにはじめたアルバイトは、可もなく不可もなく続いていた。
自宅の近くにあるカフェレストランで、コーヒーや軽食、デザート類がメニューの主力だった。ワンコインのモーニングが人気で、朝からそこそこ混雑する。
オーダーを取ったり会計をしたり、料理を運んだりする作業を淡々とこなす。もう1年程度このバイトを続けているが、調理以外の仕事はほとんど覚えてしまっていた。ホールであれば、もはや考える前に体が動くといっても過言ではない。脳のスイッチを切り替えて自動運転にしておけば、いつの間にかバイトが終わっている。そんな感じだ。
ただ、今日はそうもいかなかった。
「……」
視野が狭くなっている。一つ一つの挙動が緩慢だ。なんとなく気が散る。
いや、なんとなくではない。理由は分かっている。
あのオートバイのことが、頭から離れない。
「
「!」
呼ばれてハッと顔を上げる。忙しそうな厨房から店長がこちらを見ていた。
「レジ! レジのヘルプお願い!」
見れば、日の浅い子がレジでもたついていた。オーダー待ちのテーブルを別の子に任せてレジに入る。2人で来店して別々の支払い、オーダーミスの取り消し、クーポン使用、電子マネーでの支払いと、完全にこんがらがっていた。
「君影さんゴメン! ドリンクバーの濃縮液切れちゃったから交換して!」
キッチンから出てきたテイクアウト商品を陳列しようとした矢先だった。店長が再び私に指示を出す。たしかに濃縮液の交換ができるのは、今は私か店長だけだった。そして店長は厨房で大忙し。私しかいない。
「あっ、スープ切れてる! 君影さ――いや、これは自分でやるか……」
朝(といってももう10時半を回った)のピークが過ぎると、ずいぶん店内は落ち着いていた。休日の午前中らしい、穏やかな雰囲気だった。このくらいになればトラブルもそう起きることもないし、昼間の時間帯の同僚も現れた。
こちらはもう退勤時間だ。店の制服から私服に着替える。せっかくだから一杯くらいコーヒーでも飲んで帰ろうかな、なんて考えていた。
その矢先だ。
「君影さんちょっといい?」
荷物をバッグに詰め込み終わった時、店長が休憩室に入ってきた。
「今日はいろいろバタバタさせてゴメンね?」
「はぁ、いえ、大丈夫です」
「よかった。でね、ちょっと相談があるんだけど」
店長は両手に飲み物を持っていた。片方はホットコーヒー、もう片方は冷水の入ったグラスだった。テーブルにその2つがおかれたのは、座ってくれという意味だろう。椅子に腰かけると、店長はこちらへホットコーヒーを押し出した。
「私さ、今度異動になるの」
「そうなんですか?」
「
「はぁ」
蜆塚は浜松の市街地の西にあるエリアだ。博物館を中心としたエリアで、大学を核とする浜松の文教地区の一角を構成している。中心市街地からは比較的近いものの、三方原台地の上にあるため、結構な傾斜の長い坂道を上って行かなければならない。東区にあるこの店からでは、街の構造上ではほぼ反対側に位置していることになる。
「蜆塚っていうと、わたしの学校からは割と近いですね」
「そう! だからお願いなんだけど」
「?」
「オープニングスタッフとして一緒に店を移ってくれない?」
「……あー」
そういうことか。
「ほら、君影さん仕事できるしミスしないしトラブっても落ち着いて対処できるし、学校帰りとかでシフト入ってくれれば助かるなーって。スタッフ全員新人でスタートっていうのは正直キビしいのよ」
「蜆塚……」
ネックなのがあの坂道だった。
今も毎日自転車で通っているが、あの坂道をバイトのために土日も上るのは正直勘弁してもらいたい。あのあたりはたくさんの学校があるが、あの坂道のせいでバス通学の生徒も多かった。鉄道の駅がもう少し家に近ければ、自分もバス通学にしていたと思う。
「今月中に返事くれる? じゃあお疲れ様」
「わかりました。お疲れ様でした」
店長は水を飲み干すとばたばたと厨房に戻っていった。
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