第4話 バス停

「帰らなくていいのか。」

バス停で黙りこくってしまってから2〜3分が経っていた。

おい、なにか言ってくれよ。

そう思っていたら向こうが苦しげに口を開く。

「ねえ…ぬんさんのこと、いつから…。」

「少し前から。」

付き合ってるのか。

そう聞けないのが情けないというか、世でいう、意気地無しってやつだろうか。

「怒ってる…?」

こういう感情は、一言では言い表せないし、言い表せたとしても格好悪いし、言いたくないし。

「別に。自由だろ。」

「そ、そうだけど…。」

お互い付き合ってるの。とも、付き合ってるのか。とも言わない。ずっと言えない。聞けない。

「ぬんさんは…ずっと前から仲良くて。」

「悪いがそんなことを聞きたいわけじゃないんだ。」

俺は聞き下手らしい。

「ご、ごめん…。」

こいつは気が弱い。こうやって強く言われるとすぐ涙目になる。

「あ、あの…ぬ…。」

あの男のことを上手く説明しようとして、涙を拭くことを優先したようだ。

18時になった。化粧も崩れかけていて、疲れた様子も見せるのに、ずっと帰ろうとしない。バス停にはもうバスも来ている。

「…私、あなたのこと本当に好きだった。」

シンプルな告白だった。

でも、それは過去形をつけると、こうも惨めなものになるだろうか。

「知ってるよ。」

あんなに優しい顔とか、照れてる顔、泣きそうな顔、怒ってる顔。見せられるのは恋人特典だ。

「…ぬんさんのことは、大事よ。でも、あなたのこと、考えていないとかじゃないの…。分かってちょうだい。」

俺はしおらしい女言葉が嫌いだ。

ちょうだい。とか、〜よ。とか。鬱陶しいんだよ。好きだったとか、今の男が大事とか、既成事実でしかない。ただの過去の話だ。

「あなたといるとき、女言葉が嫌いっていうから直してた。」

陰りを見せて笑っている。

心をよまれている気分だった。

俺の前で久々に女言葉を使ったらどういう顔をするか、狭い双方の隙間から黒い玉が俺を捉えて離さない。

「…そろそろ行くね。」

ストーカーしていたことを突き止めない。バスはさっき出発したばかりなのにバス停から離れて歩きだそうとする。お前の家からここまでは歩いて2時間かかる。他のバス停もいちいち間隔が広い。バス停から自転車で消えていく君を、送ってやろうかと思ったこともあった。階段でもないのに躓く君の手を握って、どんくさいな、と言ってやりたかった。なのに何一つできなかった。いつも楽しい気分の中に影を落とす君に、気づかないふりをした。

「さわ。」

付き合っていた時ですら1度も呼ばなかった名前を呼ぶ。

「…!」

涼し気な双方の隙間が今では愛らしいまん丸の隙間になっている。

「な、なあに?」

やっぱりお前、パーカーとかいうキャラじゃないよ。スニーカーも似合わないよ。そのふわふわの髪に似合う、サラサラしたブラウスが似合うよ。演奏会の曲も、ショパンにしろよ。

言いたいことは山ほどあった。

でも俺は全部を綺麗に言えない。

「俺も、お前のことちゃんと好きだったよ。」

さわの声が漏れる。人間、衝撃を受けた時急に涙が出るものだ。それも、なんだか苦しい声を出して。

「いまさっ…ら…。」

心臓を苦しそうに抑える。俺のせいだ。

「あなたと、別れてからっ…全然慣れないの…。」

忘れられないの。と小さくいう。

「真っ黒なあなたと違って、カラフルな服着てる人の見るだけで嫌だし、あなたと違って、面白い人なんてっ…悲しくて、悲しくて…。」

さわが走る。徒歩2時間の距離を走ろうなんてもっと無茶だ。

意味もなく俺も走り出す。客観視したらストーカーだ。でもいい。どうせ俺は今日一日ストーカーだったんだ。

「さわ…ちょっと待ってくれ。」

さすが陸上部。俺には辛い。涙に震える体を力強く抱きしめる。

何を言うつもりか考えていないのに、無茶がすぎる。俺はいつもそうなんだよ。

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