2

 日が沈み始め、駐輪場には暗闇が広がっていく。それに伴って、雨どいに取り付けられた蛍光灯が乳白色の光を放つ。俺が驚き、唖然と鷺沼千世を見つめている間に、辺りは夜になってしまった。


 この女……正気か?


 一瞬、聞き違いであってほしい欲から、聞いたという事実を排除したかったが、俺の耳はしっかりと彼女の言葉を聞き入れ、脳は言葉を理解していた。


 ──私と契約して、彼氏になって欲しいんだ──


 一言一句違わず、脳内で言われた言葉を繰り返す。言ってることはわかる。しかしそんなことをする意味がわからない。

 そもそも前文からしておかしいだろ。契約してってなんだ契約してって。某魔法少女アニメじゃないだから、普通そんな言葉出てこないぞ。


 かけられた言葉に、返す言葉が思い浮かばない。本当に、どうすればいいのか、と困惑している。

 鷺沼はまだジッ見つめて、動こうともしなかった。俺からの返事を待っている、そんな様子にも見える。

 これは……返事を帰さないと話が進まないような気がする。というかいい加減にしないと、俺以外の人がやって来て、このよくわからない光景を見せることになってしまう。ただでさえ噂になる鷺沼と一緒に居たとなれば、後々何を言われるかわかったものではない。


「……しょを」

「ん?」

「場所を……変えさせてくれ」


 絞り出した言葉に、鷺沼は少しだけ考えてから「いいよ」と微笑んだ。


 よし。


「ただし……」


 鷺沼は俺の自転車のサドルに手を置いて「逃げないでよ?」と釘を刺してくる。


 言うこと聞く代わりに、話は聞けよってことだろ? わかってるよ。


「逃げないから。早くここから離れたい」

「わかった。どこまで行く? 合わせるよ」

「じゃあ……海に行こう」


 ~~~


 学校から歩いて10分程度すれば、海岸に辿り着く。潮の香りと波の音、そして潮風が纏わりつき肌がベタつく。

 ここいらは沿岸のランニングコース以外に街灯がないため、夜になればほとんど見えない。砂浜に降りれば、誰がそこにいるのかなんとなくわかるくらいで、目が暗さに慣れたとしても砂浜に降りるのは危険な行為だ。

 ランニングコースの途中にある休憩スペースのようなところに自転車を停め、石階段を降りて砂浜に立つ。周囲を警戒しつつ階段から少しずれた、ランニングコースから死角……とまではいかずとも見辛い場所に移った。


 ここまでくれば大丈夫だろう。


「……私はこれから犯されるたりするのかな?」


 後ろを付いてきていた鷺沼の言葉に「はあっ!?」と声をあらげた。


「初めてが外って、さすがにないかな~」

「なんでそんなことになるんだよ」

「だって……ねぇ?」


 諭すように言われ、改めてこの状況を整理する。暗がりの海岸、しかも見つかりにくい位置、一人の男と一人の女が一緒。うん……思われてもしかたがないな。

 連れてきたの自分だけど、完全にやってしまってる。


「けしてそんなことはないから安心しろ!」

「まあ、初対面でそういうことしようって言うなら、さすがに私も逃げるよ。逃げるなって言っといてあれだけど……。そして自分の人選を呪うかな」

「そうならないことだけは、確約できる」

「……じゃあ信じる」


 暗がりで表情は見えづらいからか、先ほどから表情がピクリとも変化しているように見えない。信じると言われても、一切信じられてないようにしか思えないが、一先ず何もしなければ大丈夫だろう。


「けれど、どうしてわざわざ場所を変えたの? あそこでも話はできたじゃん」

「俺以外の誰かが来ると困るからだよ。見られたら最後なんだから、移動するのは当たり前だろ」

「告白されてるって、他の人に知られたくないから?」

「……そうだけど」

「私はむしろその方がよかったかな」

「はっ?」


 スッと歩みより、鼻先と鼻先が当たりそうなほど顔を近づける。突然のことで反応できなず、身を引くことは叶わなかった。至近距離で視線が交わされる。


「そしたら、断るのは難しいでしょ?」


 大きな瞳に体ごと吸い込まれそうな錯覚を覚えながら、なんとか顔を背けることでこれ以上の接近を拒む。

 危なすぎる。あのまま見つめてたら、危うく吸い込まれていたかもしれない。

 魅力からくる引力のようなものなのだろうか? 異様さを感じながら後退り、距離をとった。


 しかしこの女、考えがなかなかしたたかだな。駐輪場という場所で告白したのも、人の行き来の多さを考え、目撃される確率をあげるためだった可能性まである。

 確かにあの場で人に見つかっていたら、言い訳云々より主導権を握るのは告白している鷺沼の方になる。そして鷺沼の影響力を考えれば、噂されるのは必然と言えよう。

 そうなれば、断ろうが付き合おうが待っているのは地獄。無駄な争いを増やさないようにするには、告白を受け入れるのが一番効率がいい。


 こわ……。


 まあ真意はさておき、まずは俺の中で整理するべき部分は整理してしまおう。


「……まず聞きたい」

「何?」

「告白は本当か?」

「マジもマジの大マジだけど」


 眉をしかめる。できれば否定して欲しいところだった。

 次。


「あ~……契約どうのって言ってたけど」

「うん。契約して私の彼氏になってほしい」

「俺が好きな訳ではないんだよな?」


 告白時の言葉を思い出して、好意はないのではないかと推察した。もしこれば本当ならば、それを理屈に返答できるかもしれない。

 しかし鷺沼は考える素振りすら見せずに「他の男子の中では一番好きかな」とあっさり否定した。


「……そうなの?」

「うん」


 暗がりのせいもあるが、表情が読めないし声の抑揚も全然ないから、本当に好意を持たれているのか謎過ぎる。


「じゃあ……契約してってなんなんだ?」


 本題を切り出す。いや……どれも本題ではあるんだけど、今回の話の核を担うワードにメスを入れないといけない。


「そのまんまの意味だけど。私と契約して、2年か3年、彼氏になってほしいの」

「いや……意味がわからん」


 2年か3年って、アルバイトとか契約社員とかじゃないんだから、付き合ったらそのまま付き合っていたいものじゃないのか? なんか……別れる前提で話してるような気がする。


「私、モデルやってるでしょ?」

「うん」

「だから」

「……うん?」


 主語は? モデルが主語なの? モデルやってるから何?


 独特な言い回しと思考回路に、何を考えてるのか全くわからん。


「すまん。事の経緯を1~10までちゃんと説明して欲しい。でないと考えを整理できそうにない」


 今のところわかってるのは、鷺沼が俺のことを男子の中では一番好きで、2年か3年は彼氏になってほしいことだけだ。

 結果だけ伝えられても、動機がなんなのかわからないと何も言えない。

 鷺沼は唇に人差し指を添えて、視線を少し下げた。何か考えているか、ほんの一瞬だけ時間を開けてから頷いた。


「うん。それで彼氏になってくれるなら」


 いや、内容次第では断ろうと思ってるけど……まあいいや。

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