第5話 社長室で二人きり!

 前回までのあらすじ。

 一日に二回も別の女性たちにカードゲームを教えた。

 

 社長ファンクラブとの飲み会の翌日。

 今回はお酒の失敗はせずに済んだ。二日酔いや頭痛などの不快な症状もなく、平常通りに働ける。

 カタカタカタ、ッターン! とタイピングも絶好調だ。

 「こずえちゃん、今日は調子良さそうだねえ」

 総務部の部長が声をかける。

 「この備品申請も頼めるかな」

 「あ、はい」

 部長から書類を受け取り、ちらりと時計を見る。

 そろそろ昼休みだ。社長に会って、ちゃんと謝ろう。

 「そうだ、こずえちゃん。今夜、飲みに行かない?」

 「部長と?」

 「ちょっとこずえちゃんと折り入って話したいことがあってね」

 部長はニタつきながら私の肩に手を乗せる。ちょっと嫌な予感がした。

 そもそもこの人、名前呼びの上にちゃん付けとか特に仲良くもないのに少し馴れ馴れしい。ちまたによくいるセクハラモラハラパワハラ上司だ。

 「え、ええと……」

 どう言い訳をして逃れようか悩んでいると、

 「――残念ながら、彼女はわたくしと先約がありまして」

 救いのイケメンボイスが頭から降ってきた。

 「しゃ、社長!?」

 部長は泡食ったような声を上げる。

 私も同様にびっくりしていた。いつの間に背後に来てたんだろう。

 「そろそろお昼休みですね。行きましょうか、能登原のとはらさん」

 社長は私の肩の上に乗ったままの部長の手を優しく引き剥がし、慌てておにぎりの入ったコンビニ袋をつかんだ私の手を引いて、二人で総務部を出た。

 「あ、あの、社長――」

 「今日は喫煙室きつえんしつではなく、場所を変えます」

 社長は私の手を握って、エレベーターのボタンを押した。

 一階ごとに止まるやつではなく、社長室まで直通のエレベーターだ。私はこのエレベーターに初めて乗る。

 エレベーターは静かな駆動音だがスムーズな速さでぐんぐん上の階まで昇っていく。普通のエレベーターよりも重力を感じる。

 ――社長室なんて、初めて入った。

 社長室に用事もなく来れるわけがないし、用事があってもたいてい秘書課を通すので、やはり社長室に入れる機会なんてそうそうない。

 黒い大理石みたいな石――何ていう石なんだろう――で出来たピカピカの床も、外を見渡せる大きな窓も、シックな木目の壁も、見ただけで高級感がある。

 社長のデスクには書類が乗っているが、量はそう多くはない。きっと毎日定時で帰れるように効率よく仕事を片付けているから、書類を溜め込んだりしないんだろう。

 「どうぞ、座ってください」

 社長が手でソファを示す。

 黒い革張りのいかにも高級そうな二人がけのソファが、小さなテーブルを挟んで向かい合わせに置いてある。多分取引先の社長とか、上客が座るためのものだ。私が座っていいのか?

 もし汚したり傷つけたりでもしたら、と嫌な想像をしてしまい、立ち尽くす。

 「……能登原さん。座って?」

 社長が耳元でささやくと、ゾワッと肌が粟立あわだって、身体から力が抜けた私を社長がすかさずソファに座らせた。

 す、座ってしまった……!

 緊張でがちがちになるけど、でも腰が抜けて立てない。

 「お隣、失礼しますね」

 さらに社長が二人がけソファに、私の隣に座って、近い近い! うわー! うわー!

 「あ、あああ、あの、社長」

 「はい」

 「き、昨日はその、すみませんでした……突然逃げてしまって……」

 私はなるべく社長の顔を直視しないように、目を泳がせながら謝罪する。

 「わたくしは気にしておりませんよ。それより、今日は体調は大丈夫ですか?」

 「は、はい、それはもう……」

 「なら良かった」

 社長はニコッと笑う。うう……まぶしい……。

 「あの……どうして今日は喫煙室に行かず社長室に……?」

 私は純粋な疑問を呈する。

 「能登原さんが、今日も体調を崩されていると、タバコの煙はあまり良くないかな、と」

 ああ、社長は私が体調不良だと思ってたんだっけ。なら納得だ。

 「それと、ですね……能登原さん、昨日いろんな女性に『マジック&サマナーズ』を教えたそうですね?」

 「え、はい」

 秘書課の人たちと社長ファンクラブの人たちくらいだけど。もしかしたら彼女たちがさらに広めているかもしれない。

 「あれで、女性たちがカードゲームをしようと喫煙室に詰めかけてしまいまして、いま喫煙室は満員なんですよ……」

 「えっ」

 カードゲームの遊び方を覚えて、タバコのニオイなんてなんのその、社長と遊びたくて詰めかけているのか……。

 「喫煙室なのに男性社員に『くさいからタバコやめて』などと申しておりまして、いま大混乱です」

 「Oh...」

 そういう迷惑行為は良くない。

 「なんか……すみません……」

 迷惑行為は良くないし、そういうマナーのない女性にゲームを教えたのは私だ。

 うーん、でも秘書の方々もファンクラブの方々もそんな礼節に欠けた人たちとは思えないんだけど。

 「まあ、わたくしも能登原さんにタバコの副流煙ふくりゅうえんを吸わせるのはどうかとは思っていたので、今度からは会議室を借りて皆さんで遊べればいいかな、と思っております」

 社長は謝る私をとりなすように微笑む。うう……優しい……好き……。

 「なので、今日は二人でゲームしましょうか」

 社長の目がえがくように細められて……この顔は反則級である。

 「その前に私、言わなければならないことがあります。その……昨日逃げた理由について」

 社長は「気にしていない」と言ってくれたけど、私は頑張って伝えなきゃいけない。

 「私、怖くなったんです。社長はみんなに好かれているから、社長を好きな人たちに嫉妬されたり嫌われたり、そういった感情を向けられるのが怖かった。でも社長の手を離したとき、社長の悲しそうな顔を見て、社長に嫌われるのも怖い自分に気づいたんです。それで、どっちのほうがより怖いか考えたら……社長に嫌われることのほうが怖かった。傷つけてごめんなさい。私が臆病おくびょうで、逃げてしまってごめんなさい」

 私は社長の顔が見れなくて、うつむいた。

 「能登原さん」

 社長の声がうつむいた頭の上から聞こえる。どんな言葉をかけられるか怖くて、まだ臆病な私はギュッと目をつぶる。

 「わたくしも……反省しておりました」

 「え?」

 予想外の言葉に、思わず顔を上げる。

 「男だらけのタバコ臭い喫煙室に連れて行って、イヤだったかな、とか。しかも毎日わたくしが迎えに行って、半ば強制的だったので、断りきれなかったのが昨日とうとう爆発したのかな、とか。社長が迎えに来たら普通断れませんしね。でも、能登原さんとお話したり、一緒にゲームするのが楽しくて、つい……。男同士の悪ノリにも女性はついていけませんよね、すみません」

 「それは違います。前も言いましたけど、私はタバコ平気だし、ゲーム友だちというか、ゲーム仲間というか……そういう人たちが増えたのも嬉しかった。しかも憧れの社長に紹介してもらえて、社長と一緒にお話したり、ゲームするのは、私も楽しかったんです」

 プラモも、カードゲームも、ずっと私はひとりぼっちだった。あのとき社長が落とした部品を拾ってくれなかったら、今こんな楽しい毎日送ってないと思う。職場にいるのに趣味の話で盛り上がれるなんて最高の環境じゃないか。

 「憧れ……」

 社長が私の言葉を反復するようにつぶやく。

 私も無意識に、つい口をついて出てしまった言葉だけど、訂正はしない。

 「はい。私はずっと、社長にがれてきました」

 女性たちに囲まれた社長を、ずっとずっと遠くから見ていた。私のことなんか見ていなくても構わなかった。その笑顔が、大好きだった。

 その顔が、何の奇跡か、今、こんなに近くにある。

 「社長。――好きです」

 私は、精一杯の気持ちを伝えた。

 社長がわずかに目を見開いたのが見えた。その手が、両肩に添えられて、その端正たんせいな顔が近づいて……ひたいにチュ、と柔らかいものが当たった。

 呆然ぼうぜんと目を開きっぱなしだった私は、額にキスされたのだと分かっていた。顔に血流が集まるのが実感できる。

 「わたくしも……能登原さんとお話しているうちに、いつしかかれていました」

 社長の発言の意味が理解できず、しばらく頭がフリーズする。

 ひかれ……惹かれて? え? 漢字これで合ってる? かれてとかでなく? いや、社長が轢かれたら困る。

 脳みそがうまく働かずぼーっとしている間に、社長に抱きすくめられてしまう。

 「今夜、飲みに行くと部長には嘘をついてしまいましたが……よろしければ、今夜、わたくしの家に来ませんか?」

 社長の声が耳をくすぐる。

 あ、やっぱり。社長と飲みに行く約束してなかったもんな。

 ――いや、違う、問題はそこじゃない。

 しゃちょうの、いえ?

 待って、今日の下着、何着て来たっけ。上下バラバラだった気がする。

 私はそんなことしか考えられなかったのであった。

 

 〈続く〉

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