第八章 死の螺旋

第35話 その一

 人間がベバードに街を築いてから二百年。その間、この街が陸地から攻められたことは一度もない。

 それは海のある西側以外、絶壁と言っていいほどの険しい山で囲まれていることに他ならない。

 かつては海賊による被害が度々起きた時期もあった。それもカベリアが市長を勤めるようになり、街の南北に建てられた見張り櫓と強力な海軍によって、海賊が港まで進入するような事態は起こらなくなった。

 今ではベバード周辺で海賊を見掛けることもほとんど無くなり、見張り櫓は湾内の監視というより、衛兵の詰め所的役割の部分が強くなった。

 それでも監視は衛兵の重要な任務である。

 現在、櫓の上には三人の衛兵が登って監視活動を行っていた。

 彼らは元々非番であったのだが、市長から緊急召集され、休みを返上し任務に就いていたのだ。

「それにしても、こんな日に警戒レベルを上げることないのになあ」

「そう言うなよ。市長が『賊が大規模な破壊活動の計画を企てているという有力な情報を入手した』と言うのだから、これはただ事ではないぞ」

「しかし、折角、オンセンに入ってまで準備した矢先だもんなあ。やっぱりパレードに参加したいよなあ」

 そう、彼らはユウタと一緒に入浴していた、あのマッチョ三人組である。喋った順番で「僧帽筋」、「上腕筋」、「腹筋」と仮に名前を付けよう。

「警戒レベルが下がったら、直ぐにパレードに加わるぞ!」

「ああ、もちろんだ! 防具の下には既に衣装を着込んでいる。いつでも行けるぞ!」

 「僧帽筋」が得意なポーズで、パレードのイメージトレーニングを行う。

 衣装と言っても、彼らの場合、大事なところがギリギリ隠れるだけのビキニパンツなのだが……

「あー、早く俺達のファンへ一年の成果を見せてあげたいなあ」

 「腹筋」が大剣を担ぎ上げ、スクワット運動を行っている。ちなみに彼らのファンがいるかは定かでない――


「……おい、何か聞こえないか?」

 「僧帽筋」がポーズを取ったまま、目だけが音のする方を見る。

「パーカッションの音しか聞こえないが……」

 「腹筋」はリズムに合わせてスクワットを続ける。

「違う。街とは逆方向。ミシミシと何かが擦れるような音だ」

 そう言われて、「上腕筋」と「腹筋」も街とは反対側の方向に聞き耳を立てる。

「――確かに聞こえる」

「おい、あっちの方向。何か動いていないか?」

「――暗くてわからん。おい、暗視鏡を持ってこい!」

 暗視鏡とは文字通り暗がりを見るための魔道具である。望遠鏡のような形をしているが拡大する機能はない。

 持ってきた暗視鏡で「上腕筋」は音のする方を覗く――

「ま……まさか……」

「おい、何が見えるんだよ」

「アンデットだ……それも一体ではない……何百……いや、もっといる……」

「馬鹿なこと言うな! ベバードにアンデットが出たなんて聞いたことがないぞ! おい、貸してみろ!」

 「腹筋」が暗視鏡を奪うように取り上げて覗く。

「ほ……本当だ……アンデットの大群だ……」

 放心状態の「腹筋」から暗視鏡を渡された「僧帽筋」も同じ反応をする。

「な……なんで、アンデットが……しかも、あんな数……」

「おい……ど、どうする?」

「馬鹿! いつも訓練でやっているだろう! まずは下の連中に知らせる! そして、応戦の準備!」

 「上腕筋」がそう指示すると、「僧帽筋」が櫓から身を乗り出し、叫ぶ。

「敵襲! アンデットの大群! その数、数百……いや千体以上!」

 

 ******


 広場にいた観客はルース――カベリア市長から唐突に告げられたアンデット来襲の報に騒然となっていた。

「皆落ち着くのだ! 非戦闘員は、衛兵の指示に従って南側へ避難! 冒険者は北の見張り櫓に集結!」

 ルースがそう言うや否や、公園の各所に配備していた衛兵達が、一斉に動き始める。

 衛兵たちの見事な連携で市長の指示が伝達され、混乱なく市民を誘導していく。日頃の訓練が行き届いているあかしだ。

 ユウタは避難する民衆の妨げにならないように注意しながら、ルースのもとへ向かう。

「ルースさん! いや、市長?」

「ルースでいい。それより聞いたとおりだ。君も北の見張り櫓に向かってくれるか?」

「それはもちろんですが、ルースさんは?」

「私も衛兵たちへ指示を伝えたあと直ぐに向かう!」

「わかりました! 先に行きます!」

 ユウタは一礼すると、北へと向かった。


 ユウタ君、キミが頼りだ――


 ユウタを目で追いながら、ルースは心の中でそう呟く。


 北の見張り櫓にユウタが到着した時、既に百名近い衛兵と冒険者が集まっており、今もなお増え続けていた。

 衛兵がアンデットの状況と作戦の説明をしている。

「現在、アンデット、千体以上が北から押し寄せて来ている。一部のアンデットは既にここまで到達しており、先に向かった私達の仲間と交戦中だ。ここから百メートル先に、柵が設けてある。冒険者諸君には私たちと共に、そこの防衛をお願いしたい」

 班をランクで2つに分け、アイアン級以上が柵の外に出てアンデット達を押し返す役、カッパー級と経験の浅い衛兵たちは柵の内側で最終防衛線を築くという作戦だ。

「冒険者の方々はこちらでクエスト登録を行ってくださーい! 市から報奨金が出ます!」

 最前線には不釣り合いな若い女性の声だ。どうやら冒険者ギルドの職員のようで、その横の机に水晶のような半透明の板が乗っている。そこに冒険者が自分のプレートを近づけると板がほのかに光り、クエスト受領ということになる。妙に近代的なシステムだとユウタはいつもながら感心するのだが、それがこんなに早く前線に準備されている今の状況が不思議でならない。報奨金も用意してあるし――何処からか情報を入手していたのだろうか?

 ユウタはこの街の危機管理が高いことに驚いていたが、実はその情報源の一端にはユウタ自身が絡んでいたなど思いもしなかった……

「ユウタ!」

 ラミィの声だ。もう街中まで情報が届いているようだ。

「ラミィ! フィン! 君たちも戦うの?」

「もちろんでしょ! アンデットと戦えるなんて滅多にないんだから! なんかワクワクしてきた!」

 MMOのイベント的なノリで話すラミィにユウタは苦笑いする。

「あまり無理するなよ。フィン、ラミィをよろしくな!」

 フィンは「もちろんです」と応える。

 まあ、よっぽどの強敵が現れない限り、この二人なら大丈夫だろう。

 それよりも何故か気になったのは、今日会ったばかりの修道服の少女、ナタリアだった。

 彼女はちゃんと避難できただろうか? あの神官達との関係も気になる……

「ユウタ! ぼーっとしないで! 行くよ!」

 妙なテンションのラミィにき立てられ、ユウタは前線へ向かう。


 ユウタ達が見張り櫓から前線に移動したのと同じ頃。物陰に潜んで、衛兵や冒険者の様子を伺っていたローブ姿の男がいた。フードを深く被り顔は見えない。

 そういった輩が街の至るところにいて、衛兵や市民の動向を探っていた。誰もが北か南に移動しているというのに、その場から動かないのはいかにも不自然だ。いくら目に付き難い場所にいるからといって、誰も気が付かないのは可笑しい――どうやら気配を無くす魔法を使っているようである。

 そのうちの一人、見張り櫓近くに潜んでいた者が、なにやら黒い物体を頭上に投げ放った。放物線の頂点に達したところで、黒い物体から羽が生え、自力で飛び始める。飛んでいる姿はコウモリと変わりない。

 それは、二、三回旋回して北へと飛んで行った。


 ******


 フィリップ達三人は混乱していた。

 いったい、何が起きているのだ⁉

 突然地面が揺れ、裂け目ができたと思ったら、今度はアンデットの群が現れたのだ。平常心でいられる筈がない。

 ただ、現れたのがアンデットだったのでなんとか対処できた。第一位階魔法だが、フィリップは信仰系魔法が使える。その中には、アンデットが忌避する魔法がある。スケルトンくらいならそれで襲われない。法国内でもアンデットが出没することがあるので、夜、郊外に出る場合には役に立つ。フィリップは急いでその魔法を唱えてなんとか難を逃れていたのだ。

 他の二人は魔法が使えない。しかし、フィリップの魔法の有効範囲は術者から半径一メートル程あるので、三人ならなんとか収まる広さだ。それでも、アンデットが恐ろしいのだろう――少しでもアンデットから離れようと、男三人がくっつき合う様は少々見苦しい。

 しかし、今はそんな見た目を気にしている余裕はない。少しでも有効範囲から出れば、引きずり出されて、あっというに体中の肉という肉を食い千切られるのだ。

 魔法の使えない二人と違い、フィリップは多少余裕がある。それでも、目の前で起きている異様な光景に驚きを禁じ得ない。

 最初は恐怖でしかなかったのだが、時間が経つほど今度は高揚感が湧いてくる。

 これだけのことを自分が身を置く組織はやってのけるのだ。そう考えると自分がやっていることではないにせよ、何故か満足感に浸れるのであった。

 他の二人はどうか知らないが、フィリップにはジャミルから、組織の趣旨を聞かされていた。ジャミルは言った、「この閉塞感ある世界を根本的に変えよう。そのためには、一度、世界を破壊せねばならない」……と。フィリップはそれに賛同した。自分を受け入れてくれないのなら、自分が作ればいい。

 そして、この光景を見て、フィリップは確信する。この組織なら世界を変えられる――と。そして、家も仕事も全て捨てて、今ここにいる自分の判断が正しかったことを。

――しかし。


「――術式は完成した。後は待つだけだ」

 盟主はそう口にする。

 特に変化はない。いや、それこそ問題だ。

 アンデットが今なお増え続けている。既に二千や三千ではない。ナタリアは千程度の召喚が可能と言ったが、もうその数を大きく超えている。つまり、もうナタリアの術だけで召喚したのではないということだ。


 そこに一匹のコウモリが舞い込んできた。そして、ジャミルの頭上で浮遊すると姿が巻物に変わりジャミルへと落下する。

「街に放った間者からのようです」

 ジャミルはその巻物を掴むと直ぐに読み始める。

「街北側に衛兵や冒険者が集結して、防衛ラインを形成しつつあるそうです」

「――早いな。やはり感付かれていたか」

 盟主がそう呟くと、ジャミルは目を見開く。

「こ、こいつらのせいで! 申し訳ありません!」

 ジャミルがフィリップ達を睨むと、三人はそろって畏怖の表情をする。

「起きてしまったことは仕方ない――私は街の様子を見てくる。ジャミル、娘を守ってやれ」

「はっ! 畏まりました」

 ジャミルがそう返事をするや否や、盟主の体が浮き上がる。十メートルほど垂直に上がったところで今度は水平に移動を開始し、街の方へ向かって行った。


「ジャミル様!」

 盟主を見送った後、フィリップは意を決して声を発する。

「――なんだ?」

 ジャミルは面倒だと言わんばかりに、嫌な顔をして応える。

「私達はこれから何をすれば宜しいでしょうか?」

「ああ……もう用はない。帰って良いぞ」

 その言葉に三人は耳を疑った。フィリップばかりでない。他の二人だって家も仕事も捨ててきた。もう、帰る場所なんて無いのだ。

「ジャミル様! 私達はジャミル様――そして、盟主様にこの身を捧げる所存です! どうか役目をお申し付けください!」

 三人が頭を下げる。全員鬼気迫る思いだ。

 ジャミルはそんな三人を最初は無視していたが、妙案を思い付いたのか、三人に声を掛ける。

「……宜しい。なら役目を与えてやろう」

「ありがとございます! で、何をすれば……」

 三人が顔を上げ、ジャミルの言葉を待つ。

「なあに、何もすることはない」

「……と、言いますと?」

 三人が怪訝な顔をしたとき、ジャミルは三人に向けて無詠唱で魔法を掛ける。すると、フィリップの忌避魔法が簡単に解けた。

「ジャ、ジャミル様! い、いったいなにを⁉」

 フィリップは慌てて術を掛け直そうとするが、どんなに詠唱しても術が利かない。

「今は一体でも多くアンデットを召喚する必要がある。そのためにお前たちにも骸になってもらう。どうだ?盟主様の役に立てて嬉しかろう?」

「ジャミル様! お、お戯れを……」

 恐怖のあまり声が続かないフィリップ。ジャミルはつまらなさそうに言葉を返す。

「なんだ? お前たち。『身を捧げる』と言ったばかりじゃないか? その通りにしてやったのだ。何が不満だ?」

 そう意味ではないと、言葉を発したかった――が、その前にアンデットに頭を殴られ気を失い、その後、フィリップの姿が見えなくなった。

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