第34話 その四
時は少し戻って、ナタリアとユウタ達が別れた直後のこと――
フィリップはナタリアの腕を掴んだまま、引きずるように先を急ぐ。
この娘はいったいどれだけ私の足を引っ張れば気が済むのか?
(このままではジャイル様に叱られてしまう)
もう、私に失敗は許されない。そう、このチャンスを逃す訳にはいかないのだ……
そして、今まで自分の能力を正当に評価してこなかった行政省の奴らに一泡吹かせなければならなかった。
フィリップ・フォン・ガルドールは中堅貴族の次男坊。このままでは家督を継げない。そのために猛勉強を行い、兄より良い成績、兄より良い職、そして兄より早く出世しなければならなかった。
そして、神官学校を上位の成績で卒業し、行政省に配属された。ここまでは、兄より一歩先を行っていた。そして、三十歳を前に地方の布教に関わる組織に出向を命じられた。将来の高官候補が若い時に地方へ出向することはよくあることなので、これも悪くはない。
フィリップは地方でしっかりと成果を残し五年で都に戻ってきた。それから歯車が狂い始める。
戻ってくると同期が先に出世していた。
それでもまだチャンスはあると考え、与えられた仕事をしっかりこなしていた。しかし、今度は後輩にも先を越されたのだ。
そして家督も正式に兄が継ぐことになり、家からも追い出された。
フィリップは納得がいかなかった。なぜ、しっかり成果を出しているのに誰も評価してくれないのか?
今のフィリップにとって、家督や出世など、もうどうでも良いことだった。ただ、兄、それと自分より先に出世した同期や後輩、彼らの鼻を明かしたい。行政省の高官達は、自分のような有能な人間を正しく評価できなかった。そのことを後悔させたい。そういう思いだけが募っていった。
その時に現れたのがジャミルである。フィリップが行政省へ配属したばかりの頃、彼が上司だった。
彼はフィリップを自分の組織に誘った。もちろん、フィリップは直ぐに承諾した。
これはチャンスだ! ここで成功すれば、自分を思いを満足できる――そう考えたのだ。
そして最初の任務がこのベバードまで今年魔法学校を卒業したばかりの娘を連れてくることだった。
初めはつまらない仕事だと思った。しかし、ジャミルから直々の依頼だ。これを完璧に遂行して信頼を獲得しなければならない。
それがフィリップの考えだった。
しかし、問題だらけでとてもミッションを成功できたとは言えない状況である。
挽回することは難しいが、これ以上失態をさらす訳にはいかないのだ。
それもあともう少し、ジャミルに娘を引き渡すだけ――
フィリップは指定の場所へ急いだ。
郊外まで出ると市街地の賑わいはほとんど聞こえてこない。フィリップは能天気に騒いでいる輩が大嫌いなので、ここまで来ると清々する。
そして、ジャミルが指定した丘はこの先だ。
不自然に盛り上がった丘は人工的に作られたものに思える。しかし、フィリップにとってはどうでも良いことであった。
丘を登りきると人影が見える。そして近付くにつれ、その姿がはっきりとしてくる。
背は低く、長めの白髪で目の下に隈があり、顔だけならかなりの年齢に見えるが、背筋をしっかりと伸ばし立っている。体が丈夫な老人か、老け顔なだけか、見た目だけでは判断が付かない。
「ジャミル様、連れて参りました」
フィリップと残り二人も深々と頭を下げるので、ナタリアも慌てて下げる。
「ずいぶんと遅かったな。まあいい、貴様としては良くやったほうであろう」
「あ、ありがとうございます!」
ジャミルはナタリアを見る。
「この娘か? 死霊術士の筈だが、その格好は何かの興か?」
「し、失礼しました! 直ぐに着替えさせます!」
帝国を出た時点で修道服でいる必要はもう無かったのだが、着替えさせる時間がなく、そのまま連れてきてしまったのだ。
「まあ良い。このままで構わん――娘よこちらへ来い」
突然呼ばれたナタリアはどうすれば良いか戸惑う。
「何をしている⁉ 早く行け!」
フィリップの言葉に追い立てられ、ナタリアは恐る恐るジャミルに近付く。
「ふん、このような小娘がのう……」
ジャミルが舐め回すように全身を見るので、ナタリアはぞわっとした。
「……ん? お越しになられたようじゃ」
ジャミルがそう言うと後ろを振り向き、片膝立ちになり深々と頭を下げる。すると、何の前触れもなくジャミルの二メートルほど先に人が現れた。
漆黒のローブに身を包み、漆黒の髪は風になびいて、僅かな月明かりでも光を反射している。
そして、純白の仮面が顔全体を覆い右目の部分だけが切り抜かれ、瞳だけが確認できる。
ナタリアとフィリップ達は突然のことで、ただ呆然としていた。
「何をしている⁉ 盟主の御前であるぞ!」
ジャミルの言葉にフィリップ達は慌てて片膝を地面付く。彼らを見て、ナタリアも片膝を付こうとするがスカートでは変なので、両膝を付いて頭を下げた。
「ジャミル」
盟主の声だ。かなり若い声に聞こえる。
「はっ」
「あの者達は何だ?」
「はい、彼らは死霊術士を連れて参った者たちで……」
「そんな事わかっている。何故、法国のローブを着ている?」
「……と、言いますと……?」
「あれでは法国の人間だと教えているようなものではないか?」
それを聞いてフィリップはまた失態を見せてしまったことに焦ってしまい、釈明する。
「た、大変申し訳けありません! こちらに向かうときに時間がなく着替えが出来ませんでした……」
「……お前に聞いてはいない」
「……えっ?」
「これ! 黙っておれ! 大変失礼しました!」
「ジャミル、失態だな? いずれ罰をくれてやる」
「ははーっ」
ナタリアはここまでの会話をほとんど聞き取れていなかった。それは盟主と呼ばれる男のオーラに圧倒されていたからだ。
恐怖という感情。ナタリアはつい数日前にも同じ状況があった――エ・ランテルでの事である。
魔導王に会ったときと同じ感情を、今この盟主と呼ばれる者に感じていたのだ。
「ナタリア・ポート・ペテグリーニ、こちらに来なさい」
盟主がナタリアを呼んだ。何故、自分の名を知っているのか? そう思ったのだが、とても口にできない。立ち上がることもできないと思ったのだが、足が勝手に動く。盟主の言葉が言霊のように、自分の意思より優先されていた。
そのまま盟主の前まで進むナタリア。
「お前は魔法学校で同時に百体のアンデットを召喚したそうだが、事実か?」
「はい……事実です」
ナタリアが応える。これもナタリアの意思とは関係無く、盟主の質問に偽りなく口にしてしまう。
「それで、今なら何体まで召喚できると考えている?」
「……千体以上は可能かと」
「ば、馬鹿な! こんな小娘が⁉ フールーダ以上だというのか?」
「……ジャミルよ口を挟むな」
「し、失礼しました……」
「それでは、ナタリア。ここでアンデット千体の召喚を行いなさい」
盟主がナタリアに命令する――が、ナタリアは黙ったままだ。
「どうした?」
「アンデットを召喚するためには、それだけの代償が必要です」
つまり、千体召喚するためには千体の
「そうだった――言い忘れていたな……ここは戦士達の丘と呼ばれている。何故、そう呼ばれているか、教えてやろう……」
それは、まだ人間の巨大な国がこの地を治めていた頃。三万の軍がこの地に駐留していた。
しかし、本国で内乱が起き、人間の巨大な国は急速に衰退した。
この地に残る三万の兵を養うだけの国力が無くなった本国は、撤退命令を駐留軍に発令する。
そして、各地からベバードに兵が集結したとき、将校達はある現実を知った。
本国に戻るための船は千人分しか無いことを……
それを、兵に知らせれば必ず暴動が起きる。
対策を協議した結果、将校達は暴挙に出た。
船を付けるという理由で、窪地に三万の兵を集結させる。
そして……
窪地の周りにある斜面に爆薬を仕掛け、三万の兵を生き埋めにしたのだ。
「それがこの戦士達の丘だ――」
衝撃的な話だ。もし、それが本当なら今までアンデットが発生していなかったことの方が不思議なくらいだ。
「何故、三万の骸があるのにアンデットが発生しない? 確かにそれは謎だ。これは私の仮説だが、まだこの地でアンデットの発生が無いからだと考えている」
つまりこうだ。骸がいくらあってもアンデットは発生しない。どんなに強い怨念があっても――だ。そこに必要なのはアンデットを召喚するための「道」。死霊術でアンデットを召喚し、その「道」を作ってしまえば、あとは自然発生する。
そういった仮説だ――彼は――盟主と呼ばれるこの男は、その仮説から「死の螺旋」という恐ろしい術を編み出した。アンデットが沸く場所ではより強力なアンデットが、そのアンデットが更に強力なアンデットを呼び出す。それが「死の螺旋」だ。
彼は召喚する「道」を強制的に広げることで、「死の螺旋」を成功させた。つまり彼の仮説を裏付ける実証例だ。しかし、彼には「道」が無い場所から、新な「道」を作ることはできない。彼の行える召喚魔法では、「道」は直ぐに塞がってしまう。とても「死の螺旋」に繋げることはできなかった。
そこで、一度に沢山の召喚魔法を行い、大きな「道」を作ることを考えた。ただし、それだと死霊術士を千人レベルで集める必要があり、現実的に不可能だったのである。
そこで目を付けたのがナタリアだった――
「ナタリアよ、おまえの力を存分に出しきりたまえ!」
「――承知いたしました」
ナタリアが詠唱を開始する。周囲三メートルほどに大きな魔方陣が現れた。
「おおーっ! なんと!」
その大きさにジャミルが驚く。
すると、立っていた地面が大きく揺らぎ始め、ジャミルやフィリップ達は左右前後に振られ立っているのがやっとになる。
そして、地面が裂け始め、フィリップ達は落ちてはならぬと地面にしがみつくように伏せた。
術者のナタリアと盟主だけはこの揺れの中、全く微動だにしない……
裂け目の中に何か
アンデットだ――
スケルトンなど下位アンデットばかりだが、すでに百体近くが地上に這い上がり、その後も次々と現れ、鎮まる気配はない。
「こ、これほどの力が、このような小娘に!」
ジャミルは驚きのあまり、開いた口が塞がらない。
「なんと素晴らしい! もっとだ! ナタリアよ。もっと呼ぶのだ!」
それまで冷静だった盟主が、ナタリアの術を前に初めて感情らしい感情を見せた。両手を広げ興奮を露にする。
ナタリアの意識はしっかりしていた。普通の人間なら卒倒しそうなこの状況の中で、ナタリアは目に見えるものをしっかりと見ていた。
しかし、体は完全に盟主に支配され、自分では全く制御できない。
正直、ここまでの召喚魔法が使えるとは自分自身、考えてもいなかった。体を支配されたとで、彼女本来の潜在能力を出し切ったからであろう。
ナタリアは術を極めようと日夜努力し、三年の月日をそれに充てがった。もっと、強力な術を習得したいと……
しかし、今の状況は彼女が求めていたものではない。これはただ無駄に力を放出しているだけで、術と呼べるものではない。
(もう、止めて!)
ナタリアの精神は悲鳴を上げていた。これほどのアンデットが、祭で集まった人達に襲い掛かれば、かなりの被害が出るのは確実だ。しかし、彼女の力は完全に召喚だけに向けられ、召喚したアンデットを制御することには使われていない。制御されていないアンデットは、ただ無闇に生者を襲うだけだ。
この街で出会ったユウタ、シル、ルース、ラミィ、フィン。偶然、この街に生まれ育った人々。ただ、観光に来た旅行者。彼らを自ら召喚したアンデットが襲うことに耐えられない。
(誰か助けて! ユウタさん!)
ナタリアは今日会ったばかりの青年の名前を心の中で叫んだ。何故だかわからない。ただ、彼ならきっとなんとかしてくれる!
全く根拠のないことをナタリアは願っていた。
既に千体以上のアンデットが召喚されているだろう。丘はアンデットで埋め尽くされていた。
「盟主様、そろそろかと――」
ジャミルが盟主に声を掛ける。
「うむ――」
盟主が改めて体勢を整え、丘の中心に立つ。
「これより『死の螺旋』の術式を開始する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます