第33話 その三
「ねえねえ、見て! お肌スベスベ!」
温泉からの帰り、ラミィは自分の肌を撫でると、自然に笑みがこぼれてくる。獣人なので、肌が露出している部分は一部なのだが……
「なんか疲れも吹っ飛んだみたい! また食欲が湧いてきた」
本来なら、ここでユウタが突っ込みを入れるのだが、とてもそんな状態ではない……
「みんな、オンセンで元気になったのに、なんでユウタだけ、入浴前より疲れ果てているの?」
ユウタは虚ろな目でラミィを見上げる。
「なあに……男湯にはいろいろと苦行があるんだよ……」
「……どんな苦行なの?」
ラミィは真面目に考えてしまう……
温泉の話題が終わると、「粉もん」制覇の武勇伝を語り始めるラミィ。ヤキソバはパンに挟んで食べるのだが――つまり、ヤキソバパンね――頬張り過ぎると、中のヤキソバがはみ出すので、食べ方にコツが要る――要るかなあ……とか、お好み焼きの白いソースは魔法で出来ていて――いや玉子だけどね――食べたら幻術の効果でいくらでも食べてしまう危険なモノだった……とか……
「……ねえルースさん、他におすすめの食べ物ってありません?」
粉もんを討伐したラミィは、次なる獲物を求めているようだ。
「そうだな、今年から出店されている『アイスクリーム』という氷菓子があるのだが、それは美味しかったぞ」
「氷菓子⁉ それって冷たいの?」
チトの街では氷は贅沢品で、なかなか手に入らない。氷属性を持つ魔術士が売っているのだが、だいたい冷却用で食する事はない。
アイスクリームと言えば、製法も保存も他の氷菓子に比べて難しい。魔導士の作った氷くらいでは溶けてしまう。いったい、どんな方法で冷しているのか? そうルースに尋ねてみると――
「王国の高山にフリーザーという小型のモンスターがいるのだが、それを睡眠魔法で眠らせて冷却に使っているそうだ」
「モンスター⁉ それって大丈夫なの?」
「もともと、一年中眠っているモンスターらしいから、滅多なことでは起きないらしい。ただし、怒らすと厄介らしいぞ。この辺りが一瞬で凍るらしい……」
そんな危険なモノを街中に持ってきていいのだろうかとユウタは苦笑いする。
坂道を下り、住宅街の細い道を何度も曲がりながら進むと、にぎやかな鳴物の音と歓声が聞こえてきた。
夜に入って更にヒートアップしているようだ。
もう一度角を曲がると、夜とは思えないほどの光量が目に飛び込む。丁度、パレードの列がユウタ達の前を過ぎようとしていた。
「スゴいなあ――あのテーマパークのナイトパレードを思い出すなあ――」
「えっ⁉ ユウタ、何か言った⁉ 聞こえなーい!」
あまりにも大音量のため、隣の人の声も聞き取れないほどで、ラミィが聞き返すのだが、その声も良くわからない。
「きゃあ! スゴい‼」
ラミィもフィンも初めて見るパレードに大興奮だ。
背の低いシルは前の人が邪魔でぴょんぴょんと飛び跳ねながらパレードを見ようとする――が、なかなか見えないようなので、ユウタはシルを
それを見て羨ましそうな顔をしていたナタリアもルースが担ぎ上げ肩車すると同じように目を輝かした。
数分でパレードの列が通りすぎると、人混みがだんたんと解消されて、少しだけ静かになる。
「凄かったねえ! 明日もやるかなあ?」
興奮覚め止まないという感じのラミィ。
「明日と言わず、一晩中この通りを往復しているから、あと一時間もすればまたやってくるぞ」
ルースがそう説明するとラミィが「やったぁ!」と叫ぶ。
「パレードだけでなく、この先の広場でいろんな催し物をやってるからそれも見に行くといい」
「そうなの⁉ 屋台も見なければならないし、忙しいなあ」
あ、やっぱり食べることは止めないんだとユウタは苦笑いする。
「その前にナタリアの仲間を探してあげないと、ダメでしょ?」
ユウタがそう言うと、ナタリアは「大丈夫です。一人で探します」とまた断る。
「そう言って、また迷子になっていたでしょ?」
さすがにユウタも今度は引き下がらない。
その時――
「ペテグリーニ!」
男が叫ぶ声が聞こえるので、ユウタ達は声のした方向を見る。
そこには男性が三人。灰色のローブを纏った、神官らしき容姿の者達だ。
ナタリアはユウタ達の方を向きペコっと頭を下げる。
「見つかりました。ありがとうございました」
それだけ言うとナタリアは男達のいる方向にちょこちょこと駆けて行く。
そして、男達の前で立ち止まった瞬間――
パシッ!
乾いた音が鳴り響いた。神官の一人がナタリアの頬を平手打ちしたのだ。
「お前‼」
ユウタが男達に言い寄ろうとしたところ、ルースの腕がユウタの前へと伸び、行く手を遮った。
「何度も世話を焼かせやがって! まあ、いい……もう勝手なことはさせない。さっさと来い!」
「待ちなさい」
その場を離れようとした男達をルースが引き止める。
「ん? 何だね? 君たちは?」
突然声を掛けられたことに気を悪くしたのか、ムッとした表情で振り向く神官の男。
「そっちの事情は知らないが、彼女をここまで連れてきてやったのは確かだ。礼ぐらい言ったらどうだ? それとも、それさえ出来ないくらい法国の神官は礼儀知らずなのか?」
「なっ!」
ルースの挑発に一度は怒りの表情を見せた男だが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「――そうだな……この子が世話になった……これでいいか?」
「――ああ」
ルースが承諾すると、「フ……」と薄ら笑みを浮かべる男。すると、ルースの隣にいたラミィとフィンに気付き、チッと舌打ちしてあからさまに嫌な顔をする。
「行くぞ」
男はナタリアの上腕部をしっかり掴み、そのまま連れていく。ナタリアは顔だけこちらに向けて二度三度頭を下げ、そして人混みの中に消えていった。
「何、あれ⁉ 感じ悪ーい!」
ラミィが腹を立てた表情で四人が消えていった方向を睨む。
「――僕、付いていって様子を見てきます」
ユウタがそう言うと、ルースが「待て」と引き留める。
「他人の事情に首を突っ込むモノではない。どちらにとっても後味が悪くなるものだ」
ユウタはそれでも諦めきれないのか「しかし――」と声を詰まらせる。
「ユウタ君、気持ちはわかるが今日はこの娘達を楽しませるという大事な仕事があるだろう?」
ルースにそう言われて、ユウタは三人の顔を見る。皆、不安な顔でユウタを見つめていた。
「――ごめん。そうだった。今日は楽しまないとな。何てったって年に一度のお祭りだ」
ユウタはシルの頭をポンポンと軽く叩く。
それで安心したのか、ルースは笑みを浮かべる――が、すぐに真剣な表情に変わる。
「悪いが用事を思い出した。ここで失礼するよ。それではまた!」
それだけ言うと、あっという間に人混みの中に消えていった。
「えっ? またって?」
お互い、名前以外の素性を知らないのに、まるで毎日会っているかのような別れだった。
ルースと別れてから一旦宿に戻り、温泉で着替えた服を宿のランドリーに置いてくると
ちなみに宿のランドリーは専門の魔術師がいて、その日の内に洗濯乾燥まで終わってくるそうだ。シャツなどはアイロン掛けまでやってくれるというのだから、さすが高級宿だ。
今度はステージのある広場に向かい、歌やダンスの催し物を観ようということになっていた。途中、大きな噴水があり、その周りに屋台が連なっている。そこでラミィが脱落。当然、フィンもラミィに付いて行き、広場に到着できたのはユウタとシルだけだった。
広場は山の傾斜を活かし、斜面の下にステージが設けられ、丁度、スタンド席のように遠くからでもステージが見下ろせるようになっていた。
ユウタ達が到着したころには、弦楽器やパーカッション、そして魔法で奏でる楽器による演奏が始まっていた。
奏でる音楽はアップテンポからスローテンポまで様々だ。どれも良く洗礼されており、このままユウタのいた世界でもヒットしそうな曲ばかりである。
ふと、横を見るとシルが両手両足でリズムを取りながら唄を口すさんでいた。
(そう言えば妖精族は歌が好きなんだっけ?)
楽しそうにしているシルに、連れてきて良かったと満足する。
(まあ、ここまでにいろいろあったけどね……)
すると、拡声器のようなものを使い、演奏者が観客に向かって曲紹介を始めた。
「さあ次からは皆さんの良く知っている歌が続きます! 歌いたい人、踊りたい人がいたら遠慮せずステージに上がってください!」
それを聞いたシルがユウタを見つめる。
「……歌いたいか?」
ユウタの質問に特に答えないシルだが、大きく見開いた目は明らかに訴えていた。
「――よし! 行ってこい!」
「――わかった」
イントロが始まると、シルの姿が消え、ほぼ同時にステージにシルが現れた。
一瞬静まり返った観客だったが、シルの緑の髪、緑の目に気付き、彼女が妖精族だと理解した。
「おーっ! ドライアードだ!」
「妖精だ! 妖精が歌うぞ!」
観客から歓声が沸き上がる。
そして、シルが歌い始めると、一斉に静まる。
シルの歌声が広場全体に広がる。
演奏の中でも歌声は描き消されない。おそらく、魔術的なものなのだろう。耳からというより心の中から聴こえてくる感じだ。
迷子になった旅人が何処からともなく聴こえてくる歌声に導かれて難を逃れた……なんて話を聞いたことがあるが、きっとこれと同じことが起きているのだろう。
その場にいた全員がシルの歌声に聴き惚れていた。
妖精の歌声には心を落ち着かせ、幸せな気分になるという言い伝えがこの世界にはある。どうやら、それは本当のようだ。泣いていた赤ん坊も、落ち着かず広場を駆け回っていた子供も、口喧嘩をしていたカップルも、ウトウトしていた老人も、皆幸せそうにシルの歌を聞いていた。
曲が終わると再び大歓声が起きる。
そして、すぐに次のイントロが始まった。
今度はアップテンポでダンサーがステージに上がり踊り始める。そして、シルもそれに合わせて踊りながら歌った。
今度は観客も一緒に踊り始める。
皆それぞれ、思い思いの振り付けで踊っていた。
一万人のダンス。その中心はシルだった。
演奏が終わると歓声が鳴り止まない。
ステージ上のダンサー達は一斉にシルへ駆け寄り、抱き付く。演奏者も駆け寄りシル中心の輪に混ざる。
観客から「ドライアード!」コールが沸き起こり、ここまでのイベントの中で一番の盛り上がりを見せていた。
「アンコール!」
「ドライアード!」
この大歓声の中、我に帰ったシルは恥ずかしくなったのか、ステージから忽然と姿を消した。それさえ、大歓声だ。
そして、ユウタのもとに戻ってくると、ユウタの腕にしっかりと抱き付き、顔を埋める。
「よしよし、楽しかったか?」
ユウタがそう言うとシルは小さく頷いた。
「ドライアードはここにいるぞ!」
近くにいた観客がシルを見付け、そう叫ぶと全員が一斉に二人を見る。
「おおーっ」
「ドライアード!」
「アンコール!」
歓声が鳴り止まず。皆シルの歌声を求める。
すると、恥ずかしさに耐えられなくなったのか、シルが再び姿を消し、今度はもう現れなかった。
「は、は、は……」
残されたユウタは困惑状態……まるで、自分がシルを独り占めしているかのような目で全員がユウタを見る。
(これって……ヤバくない?)
どうしようかと焦っていたところ、強力な助っ人が現れる。
「市長だ!」
「カベリア市長だ!」
その声に今度はステージの方向を全員が見た。
「おおーっ‼」
「市長!」
ものすごい人気だ! シルの時よりテンションが上がっているように思える。
ユウタは安堵のため息を付いた。あのままだったら、襲われても可笑しくない状況だった。
自分の危機を救った市長の顔を見ようとステージの方を見下ろすと――
「……えっ?」
市長は女性であった。真っ赤なアーマードレスを着ている。生地も甲冑も赤で統一されており、ルビーで作られているのではと見間違うほど美しい。大きめの髪飾りはおそらくアダマンタイト。戦場では兜として、城では王冠として使えるのだろう、それだけの硬度と美しさの両方を兼ね備えているようだ。
そして、腰にぶら下げた大剣。
真っ赤な長い髪は頭の後ろで纏められていて、ちょっと雰囲気が変わっていたが……紛れもなく……
「ル……ルースさん⁉」
ユウタは思わす叫んでしまう。
つい先ほどまで一緒にいたルースであった。
「おい、兄ちゃん!」
隣にいた、いかつい顔のオヤジがユウタに言い寄る。今にも胸元を掴まれそうな勢いだ。
「えっ? ええーっ⁉」
あまりに突然のことで訳がわからない――
「兄ちゃんよう。よくも俺達の前で、堂々とそんな呼び方をしてくれたなあ?」
「えっ? だって、ルースさん……市長が自分からそう呼んでほしいと……」
「そんなわけはないだろ! いいか、ルースというのは『赤毛』という意味なんだよ! つまり市長をよく思わない連中が、悪口でそう呼ぶんだよ」
「えっ……ええーっ⁉」
もう、ユウタには何が何だかわからなくなってきた……ルースはカベリア市長で、「ルース」という呼び名は市長を良く思わない連中が使う悪口?
まあ、レグルの密書を受け取りに来た時点で、察しの良い者なら気付きそうなものだが……
「ベバードの市民諸君‼」
ルースがそう叫ぶ。
「並びに、このカーニバルのために各地から足を運んでくれた旅行者の方々。今日、こうしてこの祭に参加してくれてありがとう! 市長として、カーニバルの実行責任者として感謝する!」
割れんばかりの大歓声だ!
「まだ祭は二日残っているが、今宵もこれから予定がたっぷり残っている。まだまだ楽しんでくれたまえ!」
「おーっ!」
「市長!」
「市長様!」
大歓声の中でルースは観客に軽く手を降る。
「いやー、スゴい人気だなあ!」
圧倒され続けのユウタ。
(おーっと、その間に逃げないと――)
この騒ぎに乗じて、この場を離れようとしようとする。
その時――
観客の様子がおかしい……
急に歓声がざわめきに変わったのだ。
何だろうとステージの方向を向くと衛兵がステージに上がって、ルースと話し込んでいる。ルースが一度頷くと観客の方へ向き直す。
「諸君! 冷静に聞いてほしい。緊急事態が発生した。郊外にある戦士達の丘で異変が起きた」
観客が再びざわつき始める。
「今、千体ものアンデットが市街に向かって押し寄せてきている」
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