森を背負う巨大亀 7
夕食を取ってすぐ、少年たちは眠りについた。いつも通りの静かな夜で、だが最初に異変に気づいたのは
「…………?」
(朝……? いや……)
外が妙に明るくて目を覚ました。日光じゃない。ましてや電気でもない。だから奇妙に思って体を起こし……気づく。
「火?」
火。
(火ィ!?)
「おい起きろテメエら! なんか知らんが外が燃えてんぞ!」
その怒号に目を覚ましたのは
「起きろっつの馬鹿共が! 死にてえのか!」
もしすぐ起きてなかったら、あんな風に刀香に蹴飛ばされていたかもしれない。壁際までごろごろ吹っ飛んだ二人が、のそのそ脇腹を押さえて起きる。
「……おおう、いつになく強烈な目覚ましだねえ……」
「こ、こんな強く蹴らなくってもさ……」
「だから言ってんだろ外見ろ外ォ! ばっちり燃えてんだろうが!」
刀香に怒鳴られて初めて、彼らは状況を認識した。窓の外で燃え盛る炎を見た。その煙の臭いを嗅いで、
「おや、大炎上だ。マズいね」
「うぎゃああ!! やっ、山火事だぁ!? 『
同時に目もばっちり覚めたようだ。ポーカーフェイスな
「とにかく、誕弾は『雪風』使ってパラグライダーを安全な場所に移せ! 俺は外の様子見てくるから、千土は希稲のとこについててくれ!」
「わっ、わかった!」
「あいよ、気をつけてね」
刀香はアジトの扉を開き、
広場は完全に燃えていた。コンクリートの隙間から顔を出した花も、瓦礫を巻き取って伸びる
「クソ、なんなんだ! これまでこんなの一度も……!」
この森に来て以来火事なんて経験したことがない。自然に発火したとは思えないが、火の不始末にも心当たりがない。
そこで、一つの可能性に思い至る――放火。でも、誰が?
(まさか、希稲を攫った連中か!?)
「やはり人が住んでいたか」
「!」
炎の向こうに人影が見える。一人じゃない。確認できるだけでも四人。全員どうやら武装しているらしい。
「刀香お兄ちゃん! 気をつけて!
「っ!」
希稲の助言に、刀香は顔をしかめる。能力者か。
『
地球の環境が大きく変わり、そこに住まう全ての生物は変化を遂げた。その最たるものである異能――それが今、少年少女に牙を剥く!
「熱ちぃ!」
ごう、と音を立てて火柱が刀香のすぐ傍を横切った。明らかに自然の風じゃない。刀香を狙うという意志を感じた。つまり人為的な不自然現象、超能力だ。
「娘を渡せ。あれは我々にとって必要なものなのだ」
炎の中から、猪の牙をあつらった装備をした中年の男が現れた。その手には小さい火の玉が浮いている。
彼に続くように同じ装備の人間が次々と姿を現す。彼らの立ち振る舞いから見るに、最初の中年男――岩渕とやらがリーダー格の存在なのだろう。
「抵抗は無駄だぞ、ガキ」
炎の海を自慢するように、岩渕は手を大きく広げる。手のひらの火が勢いを増す。
「見ろ! この炎を! 俺が一度腕を振るえば、ここまでの力が出せるのだ! その気になれば、この森を焼き尽くすことだってできる!」
それがこの俺の能力、『
「う……」
あの時、逃げた先の森で見つかった時。母親の元まで案内しろと突きつけられた火柱。それを思い出して、希稲は自らの肩を抱いた。震えが止まらなかった。
だが、その肩にぽんと手を置く人がいた。
「安心しな、希稲ちゃん。
とウインクまでする千土に、少女の震えは止まっていた。大丈夫だ。心配ない。思い出せ。あんなに大きな猪を一撃でやっつけた彼なら、負けやしない。
「なんたって、彼は――」
希稲は刀香の横顔を見下ろす。その顔に、一切の恐怖はなかった。
危機にまっすぐ立ち向かおうとする勇敢さと、油断のない目つきがあった。
「〝最強〟、だからね」
「そこをどけガキ、さもなきゃ燃えろォ!」
岩渕が火柱と一緒に躍り出る。刀香は丸腰だ。あの時持っていた刀はない。
だけど。
「……は……!?」
刀香の周囲には黒い
猪を斬った時の格好に。
「『
刀身まで真っ黒の刀が火柱に触れた瞬間、火柱は霧散した。
あれだけの炎が、熱が、跡形もなく消失した。
戦場に一瞬の静寂が訪れる。誰もがその光景に呆然としていた。同じく呆気に取られる希稲に、千土が軽く解説をする。
「『我が道を征く』は何でも壊す。どれだけ硬かろうが、どれだけ脆かろうが等しく何もかもを粉砕する。道を阻む全ての障害を、力技で突破するための能力――戦部君の異能はそれだよ」
「っ…………」
だから『
だが、今まさに目の前で起こったのはそれだ。触れただけで火柱をぶっ壊した。この目で見たとは言え、未だに信じがたい。
「そこをどけ、だと?」
「っ」
自慢の火柱が消えて焦る岩淵に、刀香は刀の切っ先を向ける。岩渕が怖がるように後ずさるのを見て、脅すように言い放つ。
「そりゃこっちのセリフだオッサン。そこをどけ。俺の進む道を塞ぐな」
「な、なぁっ……!?」
岩渕はその言葉にカッとなったようだが、刀から目が離せない。そりゃそうだ。あの刀で体を切られたら、どうなるかなんて言わなくてもわかる。
「ち、ちくしょう! おいお前ら、こいつやれ! 見てねえで俺を助けろ!」
岩渕は仲間に助けを求めた。唖然としていた彼らも岩渕の怒号にはっとし、手にした武器で刀香に襲いかかる。三人がかりなら何とかなると思ったのかもしれない。
しかし。
「よっ」斧を持った一人目に足払いを掛けて転ばせ、「うわ!」
「おら」斧を奪って槍男の槍をへし折り、「なッ!?」
「ほい」棍棒男の喉を斧の持ち手で突く。「がっ!?」
瞬殺。しかも刀は岩渕に突きつけたままだ。刀香自身はほとんど動いていない。
これには武器を奪われただけの二人も、すっかり戦意喪失した。能力がどうこうじゃない。元が違う。喧嘩慣れしすぎている。
「ひゅう、さすが『西中の
「その名前で呼ぶなって! あん時の俺は荒れてたからさ……!」
千土が茶化すと、刀香は本気で恥ずかしそうにしていた。それで希稲も納得する。やたら目つきが鋭いのも、アニキと呼ばれてた理由も。ヤンキーさんだ。
「な……な……」
話が違う、とでも岩渕は言いたげだった。だが彼の思い通りになる話など元々存在しない。
「なんなんだ、お前ら……なんで……」
「なんだって、そりゃ――」
「何だかんだと聞かれたら!」
何か言いかけた刀香を遮り、千土が飛び降りてきた。その時に着地を失敗して足をくじいたらしく、ふらふらしながら口上の続きを述べる。
「答えてあげるが世の情け、そう僕らは!」
「無理すんなよ……」
「心配無用さ戦部君。何せ二年ぶりの自己紹介なんだ。やらせてくれよ」
「いや、お前がいいなら別にいいけどさ……」
「恩に着るよ。そう僕らは、悪名高き『ルブナ――』」
唐突に何か巨大な影が炎を蹴散らしながら突進し、千土を遠く弾き飛ばした。
「千土!!」
「お兄ちゃん!?」
「えっなに!? 今なんかすごい音したけど!?」
何が起きた。
あまりに速すぎて、刀香ですら正体を捉えられなかった。その何かが炎を蹴散らしたせいで辺りは早朝の薄暗さを取り戻し、その巨大な影を見失ってしまう。
そこで刀香は鼻を鳴らす。粘つくような獣臭がする。
巨大な何かは、広場を通り過ぎて遠くまで走り去ってしまったらしい。木の倒れる音が聞こえる。だがその足音は次第に大きくなり、影が再び近づいてくることを示していた。
(この地響き……ッ! 本当に足音かこれ、だったら相当デケえぞ!?)
来る。来る。来る。
何かが来る。巨大な何かがやって来る。
「誕弾、逃げる準備しとけ! 荷物まとめてリュックに詰めろ!」
「でも、トーカ!」
「どの道今日で出発すんだ! アジトを捨てる! その準備をとっととしやがれ!」
「…………っ、あんまり危険な真似しちゃダメだよ!」
刀香はあえて返事をしなかった。その余裕がなかった。巨大な影はもはや目と鼻の先だ。実際にはそれ以上の距離があったが、このスピードならそれも一瞬で詰められる。
「ひぃいっ!?」
岩渕が情けない声を上げて逃げたが、刀香はそれも無視した。ヤツがここにまっすぐ向かって来ると直感めいたものがあったから、追うわけにはいかなかった。
そしてその時は来た。
(デカぁ…………ッ!?)
猪。ただし希稲を追っていた猪とは大きさがまるで違う。
あれが2トントラックの大きさとするなら、こいつはビルだ。あれが木を牙に刺して振り回せるなら、こいつはアジトを支える大樹を振り回せる。
規格外。
想定外。
ただひたすらに、巨大。
その猪は、亀の背負う森の主とでも言うような……そんなとんでもない風貌をしていた。
「――――――――…………」
「うっ……」
生臭い鼻息が刀香の全身を覆う。こんなに巨大だと鼻息ですら突風並みの威力だ。立っていられるのがやっと。こんな生物が存在することに、改めて崩壊世界のイカレ度合いを痛感する。
「千土!」
薄暗いせいで気づかなかったが、巨大猪の牙に千土が突き刺さっているのが見えた。あれは即死だろう。上半身と下半身が千切れかけている。自慢の学ランもビリビリに破けてしまっていた。
「今下ろしてやるからな!」
刀香は刀を構える。だがどうやって戦えばいいのか、まるで見当もつかなかった。
「おらっ!」
とりあえず一太刀。一太刀浴びせればそれで勝負は決する。だから刀香は大きく一歩を踏み出し、刀を振るって――避けられた。
「なっ!?」
好戦的な獣であれば、あっちから攻撃してくる。それでなくともこっちから仕掛ければ、それに対して突っ込んでくるのが普通だ。罠で仕留めきれなかった獣をそうやって仕留めてきた刀香にとって、こうも華麗に避けられたのは初めてだった。
獣は刀香の能力を知らない。ただその牙や爪を、外敵を排除しようと力のまま振るうだけだ。戦略など彼らにはあるはずがない。
だがこの猪は違う。まるで刀香の能力を知っていたかのように刀を警戒し、避けてみせた。さきほどの岩渕との一幕を見られていたのかもしれない。だとすれば、一度見てそれが「ヤバい」と理解できるほどの知性がある。
もしくは、
「これが『野生の勘』ってヤツか……!?」
初見の攻撃を躱す直感。死角からの一撃をいなす予感。それが野生の勘。戦いを何度となく重ね、視線を幾度となく潜ってきた
それに、こいつは至った。
「厄介すぎんだろ……!」
刀香は舌打ちする。どんなに強力な能力でも、当たらなければ意味がない。この刀で触れられなければ、『
(……まあできねえこともねえんだけど、できればやりたくねえしな!)
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!」
「うるせっ!!」
猪が咆哮する。森全域に響くほどの低く重い
出発前の最後の試練が、始まった。
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