森を背負う巨大亀 6

 アジトに戻ると、刀香とうか誕弾たんだんが巨大なパラグライダーを前に何やら話し合っていた。


「これほんとに大丈夫かなぁ……? ちゃんと落ちずに飛ぶかなぁ……?」

「馬鹿野郎、この前の実験で行けてただろ。これで飛ぶはずだ」

「でもさ、材料足りなくて変えたとこ、あそこがどう影響するかわかんないし……」

「そんなん言うなら風だって毎日変わるだろ! 多少の変更はどうにもならねえって!」

「でもそれで失敗したらどうすんのさ!」

「起こるかどうかわかんねえもんにビビってんじゃねえよ!」

「熱い議論の最中に済まないけど、そろそろお昼にしないかい? 歩き回ってお腹も空いただろ?」


 千土せんどがそう提案すると、案外素直に二人は従った。パラグライダーを壁に立てかけ、そのままテキパキと準備を進め、あっと言う間に昼食ができあがる。木の実や山菜にさっと火を通しただけの、野菜炒め的な料理だ。それと一緒に天日干しした肉を食べる。


「パラグライダーの最終調整は終わったかい?」

「んー、まだ手を加えられそうなんだけどさ、正直どこいじればいいのかわかんない」

「これ作り始めてから、もっと勉強しときゃよかったってマジで思ったよ……」

「わっかる、どこで勉強が役に立つかわかんないね……」

「ふむ。とりあえず、もう少し掛かりそうってことでいいのかな?」

「このままでも行けるはず。だけど安全性を高めるなら、まだやれることはある。でもそれがなんなのかわからねえ、ってのが現状だよ。つうかお前も手伝えよ千土」

「…………」


 大人の会話だ。希稲きいなはそう思った。なんか頭の良さそうな会話だ。


「はっはっは。具体的に不安なところは?」

「骨組みの安定性にちょっと難ありだな。当日の風次第だけど、強けりゃ空中分解するかも。一応後で補強しとくわ」

「翼部分の保存が難しくてさ、何枚か皮が腐ってたから無事なとこツギハギで作ったけど、それがどうなるかわかんない……」

「あとハンドルはつけなくていいんだよな? 風に任せても砂漠だから大丈夫とは思うけど」

「今からつけても時間掛かるよぅ。それに操縦までは実験できないってば」

「…………!」


 大人の会話だ! 希稲は目を輝かした。


「すごい……」


 思わず声を漏らすと、少年たちが一斉に希稲を見た。急に視線を一身に浴びて縮こまる希稲は、弁明しようと口を開く。


「いや、えっと、お兄ちゃんたちいっぱい考えててすごいなぁって……私、何にも考えずに逃げてきちゃったから……」

「「お、お兄ちゃん?」」


 希稲のお兄ちゃん呼びに刀香も誕弾も揃って凍りついた。その反応に希稲はまた慌てる。


「ご、ごめんなさい! で、でも私、なんて呼べばいいのかわかんなくて……!」


 つい反射で謝る少女だが、当のお兄ちゃんたちは優しい口調で希稲を落ち着かせようとする。


「い、いや、びっくりしただけだ。後輩からよくアニキとは呼ばれてたけど、お兄ちゃんって呼ばれたことはさすがになかったから。まあ、そんだけだ。気にすんな」

「か、感動ものだ……。生涯一度も女子からお兄ちゃんって呼ばれることなく死ぬんだと思ってたけど、まさか実現するなんて……」


 刀香の過去が気になるし、誕弾はちょっとオーバーだ。でも悪い気はしていない、むしろ満更でもない様子で少年たちは笑っている。

 千土お兄ちゃん。刀香お兄ちゃん。誕弾お兄ちゃん。希稲の少年たちへの呼び名が決まった。


「話を戻すがね、希稲ちゃん。僕らは別にすごくはないさ」


 と言ったところで、千土が希稲の方を向く。


「本当にすごかったら、多分一年半も同じ場所でくすぶってなんかいない。とっとと降りて、今頃東京さ」


 そのおかげで君を助けられる、ってのもあるけどね。千土は肩をすくめるが、それが結果論であることを彼は自覚しているだろう。


「僕らは不真面目でね。僕はテストでいつも赤点だったし、戦部いくさべ君は中学時代金髪だったし、小倉おぐら君は不登校だった。そんな僕らができるのは、一発で正解を導くことじゃなくて、何度も繰り返すことだけだよ」


 トライアンドエラー。実験の繰り返し。分からないから分からないなりに、地道な努力で理解しようとした。

 始めは木の上から飛び降りた。次は石や木を束ねて甲羅の端から落とした。徐々におもりを大きく重くして、『雪風一號ゆきかぜいちごう』の重さに近づけた。三人一緒に飛び降りるために、準備を重ねた。

 あのパラグライダーは彼らの努力の結晶だ。ゼロからスタートしてここまで漕ぎつけた、執念の為せる技だ。

 少女にもあるように、彼らにも譲れない思いがある。それに相乗りするという行為の罪深さを、希稲は突きつけられた。

 だけどすでに、希稲は覚悟を示した。森の果てで、遥か下の砂漠を見下ろした。


「……私はお父さんとお母さんに会いたい。だから東京に行きたい」

「僕らも東京を目指している。その旅路はきっと過酷だよ?」

「それでも。それでも行かなくちゃならないもん」


 希稲は千土の目を、嘲笑顔えがおをまっすぐ見据える。その奥にある優しい光を見据える。わざとらしいくらい露悪的な嘲笑ちょうしょうが、しかし隠しきれないくらいの善性を見つけ出す。


 この優しい〝お兄ちゃん〟に出会えた『幸運』を、希稲は素直に受け取った。


「明日だ」


 やがて千土は宣言する。


「明日の朝。太陽が昇り始めてから、風さえ良ければ出発しよう」


 全員が静かに頷く。わずかな緊張がほとばしる。だがそこにあるのは溢れんばかりの希望だ。

 一歩を踏み出す。何より簡単で何より難しい試練だから、何より輝かしい。


「ま、そういうわけさ。最後にちょっと仕上げをして、今日は早めに寝ようぜ」


 そう言って千土が突き出した拳に、刀香は勢いよく、誕弾は控えめに、希稲は少し出遅れて、それぞれ拳を当てた。視線を合わせ、目的を共有した。

 明日、最大の試練がやってくる。彼らの旅が始まる。

 だけどその前に。

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