森を背負う巨大亀 5

 仕事を無事こなして、簡単な朝食も済まして、一同は出発の時間を迎える。


「あの、どこに行くんですか?」

「一旦アジトまで戻る。そこで色々準備だ」


 と答えてくれた刀香とうかの手の上で、コンパスが北を示していた。地図もない崩壊世界では、これが唯一道を教えてくれる指針だと言う。


「アジト付近はスーパーマーケットでもあったみたいでね。周囲に色々落ちてたのさ」

「リュックも水筒もね。こんな辺鄙へんぴな森の中だけど、そこだけ助かったよー」


 スーパーマーケット。希稲きいなは懐かしい響きにわくわくする。小さな彼女の体にはあまりにも広すぎるスーパーで、はしゃいで迷子になって両親に心配を掛けたこともあった。レパートリーの少ないお菓子棚の前でうんうん悩んだこともあった。

 これから行くのはその、希稲が知っている店ではないだろうが……それでも前の時代のものに触れられるのは、ホームシック気味な希稲にとっては嬉しいことだ。


「さて、出発だ。足元に注意して歩くんだぜ?」


 千土の号令と共に、一同はリュックを背負う。希稲は託されたポーチに水筒を入れ、落とすまいと気合い充分に鼻息を漏らす。昨日の猪のこともあり、四人一組で固まって離れないように慎重に進む。

 アジトに向かうついでに山菜などを取ってはリュックにしまい、休憩をこまめに取りながら歩くことおよそ二時間。森の様子が段々と変わってきた。

 木の根や雑草生い茂る獣道には瓦礫がれきなどが目立つようになり、木同士の間隔も広がってきた。そのせいか次第に光量も強くなり、森が開けつつあることを教えてくれる。

 最後に小高い丘を登れば、アジトは目の鼻の先だった。


「ほら、見えてきた。アレが僕らのアジトだよ、希稲ちゃん」

「うわあ……」


 希稲は興奮気味に声を漏らす。

 そこにあったのは太陽の日差しが明るい広場。ヒビ割れたコンクリートの隙間から小ぶりな花が顔を出し、植物のつるが瓦礫を巻き取って伸びている、力強い自然の集大成。

 その広場の中心にあったのは、これまで見てきた中でもひときわ巨大な樹だった。大樹たいじゅから生える太い枝の一本一本が、半壊したスーパーを絡め取って天へと掲げている。

 圧倒的な自然と文明の残骸、その共存。まさに崩壊世界を象徴するような光景を間近から見上げて、希稲はただ畏敬の念を抱く。


「すごい……」

「ここも、森に飲まれる前はどこかの町だったんだろうね。今じゃもう見る影もないけどさ」


 まあ、お邪魔してってよ。千土は希稲を案内するように手招きする。手作り感満載のはしごを伝って、豪快なツリーハウスに希稲は招待される。

 内部は思ったより荒れてはいなかった。しかし商品棚がいくつも倒れて積み重なり、ちょっとしたガラクタの山を築いている。彼らのリュックなどもこの中から見つけたのだろうか? だとすれば相当な重労働に違いなかっただろう。

 だが希稲は、その肉体労働をまるっと解決しそうなものを見つけてしまった。


「うわーい! ボクの『雪風ゆきかぜ』! 元気にしてたー!?」


 アジトに帰還して早々、誕弾たんだんが抱きついたそれはロボットだった。楕円だえん形の頭部コックピット、太い両腕と胴体に比べて多少短い脚部。全長3メートルくらいのロボットが、ソーラーパネルを頭につけて窓際に寄りかかっていた。

 『雪風一號いちごう』。コックピットを覆う透明の風防に、水色のスプレーでそう落書きしてあった。それがこのロボの名前だろうか。


「『雪風』の充電は大丈夫か?」

「うん、ようやく100%! ああ、三日ぶりに運転ができる……!」


 存分に使い倒して上げるからね! と言って誕弾は固い機体に頬ずりする。希稲はやっと彼がなぜ軍服を着ているのかが分かった。たぶん小倉は軍服でロボを操縦することで、ガンダムのパイロット気分でも味わっているんだろう。父親が休日に見ていたあのアニメを思い出す。話はよく分からなかったけど、父親が楽しそうだったから一緒に見ていた。


「希稲ちゃん。荷物を置いたらちょっと散歩に行こう」

「え? う、うん」


 刀香に「仕事しろ」と引きずられていく誕弾を眺めていたら、千土にそう誘われた。特に断る理由もないので、大人しく希稲はついていくことにする。

 アジトから出て、瓦礫の広場を二人は歩く。千土も希稲も手ぶらで、何かを取りに行くという感じでもなさそうだ。本当に散歩したかっただけ? 疑問には思うが、その他特に疑うことなく希稲は千土についていく。

 「こっちだよ」「そっちは危ないよ」と気にかけてくれるものの、本題については何も触れない千土としばらく歩き、ついに二人は森の〝果て〟へとたどり着いた。

 そこからの景色を一瞥し、千土は唐突に質問する。


「希稲ちゃんはいつからこの森にいるんだい?」

「うーん……戦争のちょっと後から、かな……?」

「じゃあ、一年と半年前くらいかな。僕らとほぼ同じ時期だね」


 カレンダーがない以上、千土たちには正確な日付は分からない。だが実際、『崩落ほうらく』から二年もの月日がすでに経過している。


「お兄ちゃんたちも戦争から逃げてきたの?」

「いや、僕らの場合ちょっと複雑な事情があってね。でもまあ、大体それと似たようなものさ」

「?」

「その事情ってのが――うん、僕らが東京を目指す理由でもあるんだけど、その話はまた後でしよう。今はとりあえず、この森の話だ」


 この森が時の話だよ。希稲には心当たりがある。

 集落から離反した人間たちにさらわれ、やってきたこの森、というか、。追手から逃れるように平地から登って、身を潜めた途端この巨山は動き出した。


。戦争のせいで」


 

 あまりに大きすぎて全容すら未だに知れないほどの森を、やすやすと背負って進むほどの巨大生物。昨日の猪など、この亀にとっては羽虫に等しい。

 だから降りられない。森の果てから見える景色とはすなわち、眼下に広がる広大な砂漠を指す。何の考えもなしに飛び降りれば、砂とは言えまず助からないくらいの高度。


「こんなデカいの、まず前の日本にはいなかっただろうからねえ……たぶん『崩落』で亀が突然変異起こしたか、山そのものが生物になったんだろうね」

「…………」


 ありえない。とんでもない。常軌を逸している。それがまかり通るのが崩壊世界だ。現に亀は森を背負って進み、外の風景はその移動に合わせて絶えず動いている。

 少女は改めてその現実に直面し、絶句した。だけど千土はあくまで冷静に砂漠を見下ろす。


「東京に行くには、ここから安全に降りる方法をまず考えないといけない」

「……うん」


「その方法自体はもう考えてる。あと必要なのは試行回数だけさ」


 。千土はあっさりと言ってのけた。

 飛び降りる、のではなく、飛ぶ。滑空する。パラグライダーのように、広げた翼で緩やかに下降する。


「だからちょっと聞いておきたかったんだよ。君が高所恐怖症じゃないかどうか」

「大丈夫、だと思う。ちょっと怖いけど、大丈夫」


 本当は怖い。怖いけど、最初の一歩というのはいつだって怖いものだ。そして少女はすでにその一歩を踏み出している。あの牢獄を抜け出した時から。

 希稲は踏み出した。だったら進まなければ止まってしまう。そんな当然のことに挑戦する。


「そっか。なら始めよう。偉大なる第一歩だ」


 千土が本当に確かめたかったのは、希稲が高所恐怖症かどうかではなく彼女の覚悟だろう。この高度を前にして、それでも進む意志があるかどうか。『幸運』ではなく、希稲自身の力を見たかった。

 希稲は覚悟を示した。だから千土も彼女を認めた。ただ子供扱いして世話を焼くだけじゃなく、一人の人間として扱ってくれた。それが何より嬉しかった。

 この期待に答えたい。少女はそう胸に刻み、


「うん!」


 と大きく頷いた。

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