森を背負う巨大亀 4

 喉もうるおって、お腹も満たしたなら、あとやることはぐっすり寝ることだけだ。


「うん、たまには野宿も悪くはないね。朝日の木漏れ日が美しいぜ」

「ばっちり悪いよー……全身バキバキに痛いよう……」

「虫がめっちゃたかってきてた……寝不足だ……」

「うう……」


 希稲きいなは少年たちと出会って初めての朝を迎える。

 だが爽やかな目覚めとは言い難い。彼女をさらった集落の人間も、彼女が病気などで死んでしまえば元も子もないので、住居には多少気を遣っていた。だからベッドも柔らかいものを用意してくれていたのだが、少年たちはそうではなかった。

 切り株の上で寝る、なんて初めての経験に、希稲は睡眠不足気味だ。ささくれが服越しにちくちく刺さってよく眠れなかった。まあ、それは少年たちも一人を除いて同じらしいが。


「おい誕弾たんだん、水どこだっけ」

「リュックの中ぁ……」

戦部いくさべ君、後でまた水汲んできてくれよ」

「あいよ」


 ただ彼らはこういう生活に慣れっこらしく、起き抜けからテキパキと準備を始めた。親がいた時はお世話され、その後は飼われるまま何もさせてもらえなかった希稲には、その手際の良さがちょっとかっこいい。大人って感じがして、憧れる。

 そこで希稲は気づく。何かお手伝いしないと! このままぼうっとしているだけじゃ、前と何も変わらない! 慌てて希稲は、近くにいた千土せんどの服の裾を引く。


「ん?」

「わ、私も何か手伝います! 何かさせて下さい!」

「そう? じゃあいいや戦部君、僕が希稲ちゃんと一緒に水汲んでくるよ」

「りょーかい。朝メシはこっちで用意しとくわ」

「ありがとう。それじゃ行こっか、希稲ちゃん」


 そう言って千土は少し柔らかい笑みを浮かべた。意外だ。他人をけなすような顔しかできないと思っていたが、こんな顔もできるらしい。何と言うか……器用な表情筋だ。

 そんな千土に水筒を渡され、希稲は彼に連れ添って泉まで向かう。

 その途中。


「三つ編み」

「え?」

「昨日の三つ編み、ほどけてるね」

「あ……」


 猪に追われた時か、気絶して寝てた時か、それとも今朝か。いつかはわからないが、確かに三つ編みがほどけていた。かつて母親が綺麗に結んでくれていて、今は自分でやるしかなくなった不格好な三つ編み。

 それでも別の髪型にしようとは思えなくて、何となく続けていたのだが……それが今、ほどけていた。


「やってあげようか? 安心しなよ。こう見えても僕、手先は器用なんだぜ」

「わっ、わっ」


 自分でできるとは言い出せず、手頃な岩の上に座らされた。後ろに回った千土が希稲の髪をふわりと手でき、意外にも優しい手つきで結ぶ。

「ふんふふんふーふーん♪」

(わ……)


 やけにリズミカルな鼻歌混じりに三つ編みができていく。その光景に希稲は母親のことを思い出し、共に過ごした家の匂いがよみがえった。ふわりと鼻腔びくうをくすぐる思い出の匂いに、希稲は思わず目を閉じる。記憶にひたる。


「ほら、できた。うんうん、まだまだ腕は鈍ってなかったみたいだね」

「あ、ありがとうございます……」

「なに、いいってことよ。年長者は年下を色々構うものなのさ」


 何だか言動が一々気障きざったらしいが、マイブームらしいので仕方がない。それに希稲は、そんな千土に親愛にも似た気持ちを抱いてしまった。

 他人に髪を預けるなんてただむずがゆいだけだと思っていたが、なぜか千土のそれは心から安心できた。手つきが母親に似ていたからだろうか?

 それとも、〝お兄ちゃん〟でもできた気分だった?


「さて、とっとと仕事を済ませるとしようか。行こう、希稲ちゃん」

「は、はい……」


 あ、あの。ひらりと学ランの裾をひるがえして背を向ける千土を、希稲は無意識に呼び止めてしまった。振り向く千土の顔を見て、希稲はわたわた慌てふためく。


「え、えっと……あの、また、髪頼んでもいい……? 千土お兄ちゃん」

「お兄ちゃん」


 千土に驚くように復唱されて、猛烈な恥ずかしさを希稲は覚える。やりすぎた。距離を詰めすぎた。心を許しすぎた。顔を赤くして猛省する希稲は、まともに千土の顔が見れない。


「ああ、いいとも。いつでも頼んでくれたまえ」


 だけど少女の焦りとは裏腹に、千土はあくまで平然と答えた。希稲が一々恥ずかしがってたことが恥ずかしくなるくらい、彼の返答は堂々としていた。

 でも、千土がまた学ランを翻す直前。少女の目はそれを捉えて離さなかった。あるいは、あまりに不可解で焼き付いた。


(今……ちょっと、寂しそうだった?)


 理由はわからない。見間違いかもしれない。だからそれ以上希稲は言葉を飲み込んだ。先行する千土が希稲を呼ぶ。


「どうかしたかい、希稲ちゃん。早くおいでよ」

「あっ、は……うん!」


 その嘲笑顔えがおはもういつも通りで、希稲はあれこれ考えるのをやめた。結んでもらったばかりの三つ編みが、千土に追いつこうと駆けた足で揺れる。

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