森を背負う巨大亀 2
「う…………?」
「おや、おはよう。気分はどうだい?」
少女が目を覚ますと、辺りにはいい匂いが広がっていた。肉の焼ける匂いだ。
寝ぼけまなこで周囲を見渡すと、三人の少年が切り株に座っていた。気絶する前に見た学ランの少年と、知らない軍服の少年とTシャツの少年だ。彼らは揃って焚き木を囲んでいて、串に刺した肉を焼いていた。
日は既に傾きつつあって、オレンジの光が枝葉の隙間から差し込んでいる。少女も切り株の上に寝かされていたようで、薪の爆ぜる音と共にゆっくりと上体を起こした。ここはどこだろう?
「怪我はないか? 痛むところは? 腹減ってるか? ならこれ食え」
「え、えっと……?」
起き抜けの少女に、Tシャツの少年が
(あれ、この声……どっかで聞いたような?)
「まあまあ、心配はわかるが落ち着きな。君の百戦錬磨の目つきじゃ女の子が怖がるよ。そういや君、名前なんだい?」
「え、えっと……」
出し抜けに名前を聞かれて、少し戸惑う。まだ少年たちに警戒が解けない。差し出された肉も素直に受け取れない。
「ああ、まずはこっちから名乗るのが礼儀かな」それを察したのか、学ランの少年が自己紹介を始めた。「僕は
少女が反応に困っていると、学ランの少年……千土は残りの二人を指さして、
「そっちのTシャツは
「戦部
あ、と少女は思い出す。さっき猪と戦ってた人だ。でもさっきと服装が違うし、なにより髪が短い……双子?
「で、そこの変態は
「変態言うな! ボクは小倉
「よ、よろしくお願いします……」
反射的にぺこりと頭を下げて、少年たちの目線に気づく。次はお前の番だぞ。言外にそう期待されている気がした。少女も腹をくくることにする。
唾を飲んで、言葉を吐く。
「さ、
「きいなちゃんね。漢字はどうやって書くんだい?」
「希望の希に、えっと、稲って書いて、希稲です」
「へえ、綺麗な名前だね。秋になって大きく実った田んぼに、黄金の波が生まれる景色がありありと浮かぶよ」
「あ、あの……?」
「気にすんな。こいつの病気だ。気障ったらしく言うのがマイブームなんだとよ」
Tシャツの少年、刀香が呆れたように言った。自己紹介の時点でなんとなくわかっていたが、あまり希稲の周囲にはいなかったタイプの人間だ。率直に言えば、変なヤツだ。
学ランの鎌倉千土。
Tシャツ、もしくは長髪の戦部刀香。
軍服の小倉誕弾。
ずいぶん個性的な人たちに拾われちゃったな、と希稲は少し背筋を伸ばす。悪い人たちではなさそうだが、どうしても緊張してしまう。
あの一件以来、人間不信がちだ。希稲はそう自覚する。
「あっ」
「お腹空いてるみたいだね。ほら、遠慮せず食べなよ」
きゅう、と腹の虫が鳴いた。それを聞き逃さず、千土が肉の刺さった串を手渡してくる。希稲は赤面しつつ、受け取った。
口をつける前に、「そういえば、」と希稲は尋ねる。
「このお肉、何のお肉ですか?」
「さっきのデッカい猪」
ぴたりと思わず動きを止める。血走った目、咆哮、迫る巨体。先程まで希稲の命を脅かしていたあの猪が、今手に持っているこれ?
「普段はあんな派手にはやんないんだけどな。あん時は緊急時だったし……捨てるのも勿体ねえし、食えそうな部分は食っちまうことにしたんだ」
要するに、あの爆散した肉片を集めて串に刺して焼いた、ということだろうか。元気だった頃はあんなに怖かった猪も、死んでしまえばちっぽけな串焼きだ。これも弱肉強食の定理なのだろうか。
「ちゃんと血とかは近くの泉で洗い流したから、衛生面も大丈夫なはずだ。安心しろ」
「え、泉ってまさか、あの光ってた……?」
希稲は猪から逃げていた時に見た、あの泉を思い出す。蛍光色に発光する水。明らかに口にしちゃいけない色をしていたが、本当に大丈夫なのか?
「まあ、生で飲んだらマズいけど……」
「あれね、なんもしないで飲んじゃったら全身びびびって
と、千土は足元の水筒を拾って、泉の水を透明なマグカップに注いだ。ガラス越しに見える光が綺麗だ。飲もうとは思わないけど。
「やってみようかって千土お前なあ……おい飲むなって!」
その光に見とれていたら、千土はためらいなくそれを飲んでしまった。そしてびびびっと、雷にでも打たれたように全身痙攣した。びくびく体が跳ねているにも関わらず、一切途切れない
「……とまあこんな感じだよ」
「こんな感じ、じゃねえよ! 二度と飲むなって言ったよな! 何の病気があるかわかんねえんだぞ!」
まだちょっとビクビクしてる千土から刀香が水筒を奪った。二度と、ということは最低一度は飲んだことがあるのだろう。それで懲りないあたり、頭のネジがどこか飛んでいる気がする。
「生で飲んだらこうなるけど、一回火を通しちゃえば普通の水だよ。問題ないさ」
「センドそれ、逆に不安にさせるんじゃないの?」
軍服少年、誕弾の言う通りだ。希稲はすっかり怯えてしまった。そもそもが、あの人間を何人か食ってそうな猪の肉だ。それに得体の知れない水が掛かっているとなれば、希稲の不安ももっともだ。
「あー、本当に大丈夫だって。千土の馬鹿は気にすんな。ほら、こうやって……ちゃんと食えるから」
希稲の疑念を取り払うように、刀香がわざと大きく肉を頬張ってみせる。噛み千切った断面から滴る肉汁に、希稲は思わず喉を鳴らす。
「うめえ。食ってみろよ」
「…………」
希稲は手に持つ肉を見下ろし、息を一つすると……意を決したようにかぶりついた。歯からぷりぷりとした弾力が伝わり、肉からじんわり滲み出る脂(あぶら)が喉を通る。
「あ、おいしい……」
少し獣臭いが、野性味あふれる味だ。調味料なんて望むべくもない崩壊世界にて、間違いなくご馳走と言える。久しぶりの肉に、希稲は感動さえ覚えた。
「だろ?」
刀香が得意げに破顔してみせる。目つきは怖いが、やっぱり優しい人だ。
希稲がやっと食べ始めたのを見て、少年たちも食事を始めた。あの蛍光色の水は本当に火を通せば大丈夫なようで、煮沸されたものはきちんと透明だった。湯気の立つ
「ぷは……」
「うん、いい顔だ。せっかく生きてるんだから、落ち込んだままじゃつまらないぜ」
特にこんな世界じゃね。千土が白湯を一気に
「…………」
崩壊世界。文明が滅亡した後の地球。たった二年前の出来事が、もう遠く昔のことに思える。
何とか『崩落』を生き延びても、その後食べ物を手に入れられずに死に、物資の奪い合いで死に、巨大化・凶暴化した獣に食われて死ぬ。そんな人たちを何人も見てきた。
少女が今を生きていられるのは、ただ運が良かっただけだ。
今日のような偶然が、何度も続いただけだ。
(……でも、これって本当に偶然なのかな……)
少年たちは、きっと少女より強い。それは身体的な意味ではなく、精神的な意味で。逆境にへこたれず、諦めず、立ち向かえる強さ。大きく口を開けた絶望を眼前にして、それでも足掻ける心の持ち主。
その強さに眩しさを感じる。希稲はそこまで生きることに精一杯になれない。猪が投げた木が自分に迫ってきたあの瞬間、彼女は生きることを諦めてしまったから。目を閉じてしまったから。
(お母さん……)
だけど、少女は立ち止まるわけにはいかない。向かうべき場所がある。
そのために、ここまで来たのだから。
「さて、宴もたけなわといったところですが」
用意した猪の肉も食べ終わり、日もすっかり落ちて焚き火の光だけが少年少女を照らす。ぱちっと弾けた火の粉が風に乗って、森の奥に消えていく。
「希稲ちゃん、君はなんだってあんなとこにいたんだい?」
切り株に腰掛ける千土が、しっかりと希稲の目を見据えて問う。逸らすことは、できそうになかった。
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