五日目

「五日目……今日で最後、だね」

『残念ながらね』


 重苦しい表情も、さみしそうな表情もすること無く梶くんは軽く言ってのける。その様子に、私はどこかほっとした。


『なら今日は、最後だから……ってわけでもないけど、また質問してみようかな』

「……私も、最後だからってわけじゃないけど、大抵のことは答えるつもりでいるよ」


 彼は一拍おいて、口を開く。


『今、木戸さん、君は僕のことをどう思っている?』


 聞かれた内容を理解し、僅かに言葉に詰まる。私は梶くんをどう思っているか。一言で表すとするならば、それは疫病神である。初めて話したとき、彼は私に、似ていると言った。それに共感できる私も、最初はいた。けど違った。大間違い、勘違いも甚だしい。彼はある意味、私の真逆である。生きているけど、僅かに死んでいる私と、死んでいるけど僅かに生きている梶くん。正反対の存在が、五日間私にとりつくことを宣言したんだ。厄であって凶でしかない。

 ……だけど私は、繕う。


「別に、特に初めと変わらないよ。コミュニケーションが下手なことは知っていたし、君の内面も、知ったからどうと変わることも無かった。前までと同じで、好きでも無ければ嫌いでも無いよ」

『はは、冷たいね。僕から見たら、結構木戸さんは印象、変わったんだけどね』


 そう苦笑しながら彼は言うが、彼の言葉の含むところ、違えば私はかなり動揺してしまう。流れ通りに、私への印象が思っていたものと違った、と言うのなら、いい。けど、梶くんと関わることによって帰られていった思想を見抜かれていてその発言なのなら、私は黙っていられない。けど、反応するわけにはいかない。墓穴を掘ってしまいかねないから。


『そっか、でも変わっていないなら、それはいいこと……なのかな』



『じゃあ本当に最後に、僕が黙っていたことを明かすよ』



 強い光を眼に宿し、彼は私の目を見る。今まで見せなかった気迫に少々たじろぎ、それに応えられるよう僅かに身構え――――


「あぁやばいやばい、忘れ物忘れ――」

『隠れてっ!!』

「っ!?」


 突然の大声に、私は反射的に従ってしまい、身体をたたんで机の下に潜った。そしてすぐ、私は大声の発信源を眇めた。声を出すことはできない。隠れてしまったものだから、ならば隠れていないと、見つかったときに不審がられるし、何より梶くんという存在と話しているところを他人に見られるわけにはいかない。彼が見えるのは私だけで、他人からしたら私はただの頭の可笑しな子だ。

 私の視線の先の梶くんは、椅子に座ったまま。私の視線を認識すると、苦笑で返すものの、それはどこか強張っていた。


「おい、どうしておまえまで付いて来てんだよ」

「いやね、俺も忘れ物してたんだわ」

「あっそ。何を?」

「やる気」

「ハッ、馬鹿が」


 教室に突然入ってきた彼らは、軽く冗談を言い合い、それから一人はある机へ、もう一人はスマートフォンを取り出し暇を潰し始めた。二人、恐らくサッカー部の面子だろう。青のユニフォームの上に緑のゼッケンを着ていた。

 私たちは、運が良かったのか、彼らは廊下側の前列付近で用事をこなしていた。ほぼ対角線上にあり、このままなら見つかることは無いだろうと思えた。

 私たちに気づかない彼らは、また冗談を続ける。


「そういやね、知ってる?」

「あ? 何を」

「この時間この教室、聞こえるんだってさ。……女の独り言が、延々と」

「きもっ」


 ……もしかしなくても、私のことだろう。聞かれてしまっていたことに、私はげんなりした。彼も私から目を逸らし、若干申し訳なさそうにしている。


「それどこ情報?」

「隣のクラスの中田くん、だったっけね。しかもね、その女、確かに、その女の声しか聞こえてないのに、まるで対話なんだと。加え、出てきたワードが――『梶くん』」


 スマートフォンをいじりながら男子は、強調するように発した。そのワードに反応し、梶くんがピクンと揺れる。


「えー……やば、こわ」

「それなー。俺らの見えない梶クンとしゃべってるとかだったら、軽くホラーだよねー」


 かなり軽く彼らは発し、それは私の急所を貫いた。恐ろしい、まるでその通りだ。そして私の存在はホラーなのだそう。事態の元凶である梶くんが恨めしい。


「あー、そういえばなんだけどね。



俺たち前、梶の悪口ふざけて言ってたことあったじゃん。彼ね、聞いてたっぽいよ」



 瞬間、私と彼、梶くんの時間が凍結した。再起動が早かった私は梶くんの様子をちらとうかがうと、震えていた。瞳孔まで開いているように見えた。

 だがそんな様子を、知らない彼らは気にしない。


「え……ごめん、何時のことかさっぱりわかんね」

「おまえらしいね……。言ってたじゃんか、暗いし、ずっと敬語だし、とにかく気持ちが悪い……とかなんとか」

「あー……あった気がしなくもないわ」


 笑いながら彼らは話す。私にはこの光景は、そこまでのものには見えない。非道非情というほどのものには見えない。悪口陰口、人は結構当たり前のようにする。だから、この程度、と思い受け入れることが私はできるのだ。

 けど、梶くんは。言われている本人は、顔を青くし、息を荒げ、全身で悲壮を表していた。

 そして、とどめを刺すように告げられる。



「けど、もしそれで死んだとしてもな。そいつどんだけ豆腐なんだよって話だろ」



 ――意外と、事実はありきたりなものだったようだ。


 単純ないじめだ。


 私は、いじめられたことは無い。けど、悪口程度なら、耳にしたことがある。その悪口を私はいじめと捉えることは無かったから、私はいじめられたことが無くて、いじめられる恐怖を知らなかったんだ。

 けど、梶くんは、これに恐れ……きっと自殺したんだと思う。いじめられたか、られていないかは、された本人の認識によるのだ。恐れ押しつぶされることになった梶くんは、立派ないじめ被害者だろう。

 ここまで理解した瞬間、私はこの男子……のみならず、梶くんに対してまで怒りが湧いた。


「ねぇ」


 机から出てきて彼らを威圧する。誰もいないと思っていたのだろう彼らは、肩を一瞬震わせた。


「あんたたち、糞だよ」

「……は?」

「梶くんは、確かに弱いよ。死ねって言われて死んじゃうような敏感な人間だったよ。けどそれを、あんたたちが殺していいわけないでしょ。弱い者は淘汰されるなんて、あんたたちが言っていいわけ無いでしょ」

「なにいってっ……っていうか、あんた今までど」

「うるさいっ」


 今までに無いくらい、私は荒れた。止める障害のない台風は収束を見せること無く、肥大していく。

 梶くんはひたすらに黙っていた。


「とりあえずあんたら、梶くんの墓洗ってこい。百年先も苔の胞子が付かないくらい綺麗にしてこい。そして最期、地獄に落ちてしまえ」


「……あー、あった、あった、忘れ物あったわ。んじゃいくか……」


 彼らは引いていた。ドン引きだ、私に。反抗も反発もする方が面倒と理解したのか、彼らはそそくさと逃げていった。

 梶くんは、黙りきりである。震えは収まっていたようだが、顔を俯けたままあげることは無い。私も声を発することが無いから、この空間は無音である。


『あ、あはは、は』


 梶くんが無理に笑った。


『僕のために、怒ってくれたのかな……? な、なんだろう、すっきりし』

「無駄な嘘を吐かないでよ」


 私が、やっと振り絞ったであろう言葉を遮ると、梶くんは顔を上げた。

 私の台風はまだ消え去っていない。勝手に締められても困るのだ。


「すっごく、今更なんだけどさ……。なんで誰にも頼ろうとしなかったの?」

『っ……』


 苦々しい顔で目を背ける。


「私から見たらだけどさ。梶くんはまだ生きてるんだよ。生気があるっていうか、目が死んでないっていうか。それなのに……」


「梶くん、遅すぎるよ」


 私に、人に、頼るのが遅すぎた。お悩み相談は、その悩みが消滅してからしてもどうしようも無いのに。

 私は彼に質問する。


「後悔、したでしょ。すっきりなんてしてないでしょ。きっとあなたは、彼らが邪魔にも入らず、明かすことを明かして。それを私が受け入れたら、それでも後悔するんでしょ」


 言いたいことを全て言い切り、私の怒りは収まった。

 そうすると、彼は。


『……あぁ、後悔してるよ。……してますよ』


 泣き腫らしながら、そう溢した。


『なんで気持ち悪いなんて言うんですか。なんでしゃべり方で人格を決めつけられないといけないんですか……。そう、思ってた、思ってたけど……。結局、そのままの自分を受け入れてもらうことを諦めてたっ!! でも、木戸さんは、どうなんですか。このしゃべり方に変えたから、性格を装ったから、僕に付き合ってくれたんじゃないんですか!』

「それは、違うよ。今のしゃべり方を変とも思ってないし、性格も、気障を演じてた前よりも今の方がいい」

『……うっ……ぃ……むしろ、そうだよって言ってくれたら、僕は楽になれたのに……』


 嗚咽を漏らしながら、彼は後悔を語った。


「……また、諦めるの?」


 呟くように私は問いかけた。彼は、その小さな声でも聞き取れたようで、『え……?』と聞き返す。

 私は彼の目を見る。


「幽霊、なんて存在があるんだから、生まれ変わる、なんてことが無いはず無いとは、思えない?」


 至極真面目に問いかけた。自分でも馬鹿なことを、とんちんかんなことを言っているのは分かっている。けど、言うべきなら、これしか無いと思った。


「生まれ変わって、やり直すの。一人だけ、一生の友達を作ってみても良いかもしれない。家族をこれ以上無いってくらい愛してみても良いかもしれない」

『……すごく、楽しそうな、妄想ですね……』


『……けど、期待してみます』


 諦めることをくせにしていた彼は、期待、なんて言葉を放って、無邪気に笑った。くちゃくちゃに笑って、涙をまた幾筋も溢した。


 そして、気づいたときには。

 元から存在しなかったかのように、跡形も無く彼はどこかへ消えていった。

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