一日目
「……え、そんなことを言うために私をわざわざ呼び出したの?」
『え? あぁ、そうだね』
とぼけたような顔で肯定してくる彼の様子に、私の頭は痛くなった。
彼は顔で語ってくる。何を当たり前なことを、と。そんな彼を見ていられなくて、目をそらす。そして、急な倦怠感と脱力感にやられ私は自席にぐだっと腰を下ろした。
とりあえず、問う。
「何を思ってそんなことを言ったのかなぁ……」
自分が出そうと思っていたより低い声音になってしまった。内心どこかいらついているようだ。
『そんなことってのは、中々辛辣だけど、そうだね……。僕を見ることができたのが君だけだったから、僕のことが好きなのかなーなんて思ったからかな』
「……あぁ、なるほどね。まぁ無いんだけど」
一応、梶くんを変人と言うことを頭に置いて考えたら腑に落ちた。そうか、彼を好きとかは微塵も無いが、確かに私にも解せない。なぜ見えるのが私なのか。
彼は前の席の机に座る。
『そっかぁ、ま、それならいいんだけどね。とりあえずお話ししようよ』
「いや、私としては何も無いなら帰りたいんだけど」
『呼び出しに応えてくれたってことは今日は元々暇なんだろう? ならいいじゃない。朧気な存在の僕に時間を少しだけちょうだいよ』
そう言うと、少しだけ目にさみしそうな光を見せる。離れてほしくないだとかそんなんじゃなくて、どうせ聞いてくれないんだろうな、待ってくれないんだろうな、などという、諦めと虚無が混ぜられたような薄い光。その光がどうも、私には無視することができなかった。
……仕方ない。
「はぁ……」
ため息を吐きつつ、浮かしかけていた腰を落ち着ける。そうすると、彼は少し目を見開いて、若干驚くように私を見た。実際、自分の意を汲んでくれるとは思っていなかったのだろう。きっと、彼の今までがそうだったように。
『……なに? やっぱり僕のことが好きなのかい?』
「ふざけたこと言うなら帰るけど」
『あはは、ごめんごめん。いやね、ちょっと』
ちょっと、普通にびっくりして、と彼はつぶやいた。生きていた頃の彼、梶くんを思い出す。彼は、いわゆる私と同類、あぶれ者だった。少なくとも、彼は今のような鼻にかかる言葉遣いをしていなかった。私と同じように対話が下手で、意見が下手で、生き方が下手くそだった。だからだろう。自分の発言が通ったことをうれしいと感じる以前に、なぜ通ったのか考えてしまっているのは。怪しい者を見る目で私を見ている彼がそれを物語っている。
私は彼の思考に一応の念押しをしておく。
「勘違いしてほしくないんだけど」
『……ん?』
「私は別に、梶くんのことを思って残ってあげる訳じゃないよ。私は梶くんのことを見ることができてしまって、だからこれから梶くんが学校にいる私に邪魔したりするかもしれないから、それをさせないための交渉みたいなものだから。ご機嫌取りだよ、言わば」
彼の目を見てはっきり言い聞かせるように言った。私があんなことを言ったのは、実のところ私のためではなく彼のためである。きっと彼は気づいているだろう。私が彼に気を遣って残ったことに。けれど、それでも私が飽くまでもとつけてこう言えば、彼は私の優しさを受け入れる。そう思ってのことだ。……彼に気をかけ過ぎているかもしれないが、きっと同族意識というやつだろう。どうも他人を見ている気になれない。
『……そう。なら僕も、快く接待を受けようかな』
彼は私の意を汲んだ。どうやら私の帰宅は遅くなりそうだ。
私の対面には、微笑みとは言えない下手くそに口角を上げた彼が座っている。彼は幽霊なため物を動かすことができないから私が椅子まで用意したのだけど、それが私が本当に接待をしているようで思わず吹き出しそうになった。
『じゃあ、どうしようか。正直なところ特に何も考えていないから、何を話せばいいか分からないや』
「まぁ、そうだろうね。元々、梶くんは人をリードして会話をすることが得意ではなさそうだったし、明日の話題ど真ん中みたいな存在になっても人を前にすると頭が真っ白になって何も考えられなくなっちゃうのは、仕方ないかもしれないね」
『ははは、やめてくれよ。幽霊でも心は傷つくっぽいんだから』
煽るようにして梶くんに返す。これは言外に、話をしたいなら進行くらいはあなたがやって、ということを伝えたのである。その返しに彼は苦笑する。頬を掻いてたじろいでいた。
『んー……。なら一つ聞いてみようかな。木戸さんは、自殺ってどういう風に思ってる?』
彼は道徳の授業のような問いを私にかけてきた。私は数瞬黙り、ぽつりと返す。
「手段、かな」
そう言うと彼は、へぇと溢し、一瞬出来損ないの笑みを自然なものへと変えた。
『その心は?』
「私たちは普段、食べて、飲んで、寝て、起きてるけど、それらは全て【人生】のための手段でしかない。なら、その【人生】に終止符を打つっていうのも一つの手段で……」
一拍おいて、彼の目を見ながら口に出す。
「つまり、自殺に悪も何もないと思っているよ。……そういうことが聞きたかったんでしょ?」
『……なるほど。……あはは、いいね』
小さな声で彼は笑うと、顔を俯けた。その表情は私からは、普通に笑っているように見えた。くつくつと鳴らして少し不気味だけど、その様子は酷く無邪気なものに思えた。
笑い声が収まったとき、彼は顔を上げる。
『僕たち、なんか似ているかもしれないね』
「……どうだろうね。私には、別に自殺の予定は無いんだけどね」
『――ねぇ、僕と契約しようよ』
「……はい?」
唐突に彼は、経緯の不明な身勝手を宣った。
『そう、契約。内容はね、僕と毎日、この放課後の時間、こんな風におしゃべりをするんだ。一日何があったとか、昨日何があったとか、どんなくだらないことでも交流する。まるで友達のようにね……。あぁ、約束を破ったら、そうだなぁ……』
「ちょ、待ってっ。待って」
ペラペラと堰を切ったように語り出す梶くんを止める。一体、なんだというのだ。突拍子のない提案に、まるで利己的な契約内容。大抵のことは面倒だから聞き入れ、それを軽く流したり楽な物なら受け入れるのが今居る私のスタイルなのだが、さすがに今のは、目に余る。
とりあえず、文句のあるところを言及する。
「私がちゃんと聞き取れていたなら、私の時間をこれからの間君のために縛り付けて、なおかつ枷までかけられそうなところだったように思うんだけど……」
『あ、不満?』
「そりゃ、うん。不満だけど」
そっかぁ、と口に出してから顎に手をやると、彼は黙り込んだ。私を下目でちらちらと覗きながらうんうんと唸る。
しばらくしてからポンと手を打つと、彼は私に向けて口を開いた。
『なら、相互に契約を結ぶってことにしようよ。確かに僕が一方的に縛る権限は無いし、納得してくれないのも当たり前か。よしっ、じゃあ早速君の望みを聞こうか! 僕一人でできることなら本当に何でもいいよ!』
いきなりテンションをを上げて、受け入れ体制万端というように両手を広げてくる。きっと彼自身、実体のないこの身体でできることが殆ど無いことが分かっていてそんなことを言っているのだろう。
全く、彼は利己的である。自己中心的である。契約云々も私は可決したつもりはないし、そもそも契約してまで彼にしてほしいことが無い。どうしてやろう、このUMA。いっそ、私が授業を受けている間は裸踊りしてろとかいう契約にしてやろうか。というか、彼は地縛霊という類いなのだろうか。行動に制限はかけられているのだろうか。まぁ知ったところでどうということもないから、知らないままでいいのだけど。
……はぁ。契約に関しては私が折れよう。折れてやろう。私が凪のように受け流そうとしても、実体すら無い彼に私の勝ち筋は無いのだから。
まず、裸踊りに関しては私が見たくないから、というよりなんの利も無いから除外として、真面目に考えるならば、
「なら、」
目前の問題を確実に解決できる物がいいだろう。
「今日月曜日含め、金曜日の放課後終わりまで。それまでなら、付き合ってあげるよ」
『…………そう、分かったよ。オーケー。契約成立だね。そうだ、契約を破ったら一生憑き纏うかもよ』
「急に幽霊らしさ出してきたね……。まあ、分かった。私も、破られたら梶くんのことは本当に見えないように振る舞うから」
互いに口元だけ笑みを浮かべ、目線で握手するように交差させた。
私にとっては、この上なく不利益で不平等だけど。私が受け入れたことにより、この契約は成されたのであった。
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