第3話 ささやかな思い出

 住み慣れた家の空調の音が、今夜はやけに耳障りだった。

 この日のために買ったはさみは、悲しいくらいに軽い。

 はさみを何度も開閉させる俺を、アイリがじっと見守っていた。

「アイリ。お前は今、何を考えている」と聞くと、彼女は答えた。「外皮の装備方法を検索してた」


 剥いだ表皮と取り換えるための、透明な外皮。

 それはすでに用意してある。

 それをヒューマノイドが装備したら、どうなるか。

 俺は隣に住む一家を思い出していた。彼らが所有している、庭師用のヒューマノイド。


 口数の少ない、しかし穏やかな表情をした人気者だった。

 このあたりで育った子供たちの多くが、朝顔の育て方を彼から教わっている。

 今では彼が笑っても、なかなかそうとは気づけない。透明な外皮に覆われた顔に笑みが浮かんでも、人間の目はそれを関知しない。

 彼を訪ねてくる子供たちの姿も、今ではすっかり珍しくなった。


「鏡があれば、私だけでも外皮をつけられそう」アイリの声で、物思いから引き戻された。

「手伝うよ」と言うと、アイリが頬をほんのり染める。

「いいよ、恥ずかしい」

 血流の増加を模倣して表情を豊かにする機能は、今では珍しくもなく、ヒューマノイドの標準装備だ。


 それでも、そういう小さな人間らしさを見つけるたび、今の俺はたじろいでしまう。


 アイリは最初、家庭教師としてやってきた。今から10年前、俺が12歳の頃のことだ。

 当時は「ヴァーチャル映像を見せるだけの教育」が非常なバッシングを受けていて「どんな教科も、実在の教師からじかに指導を受けるべき」という考えが流行っていた。

 だが、人不足の日本で教師を確保することは難しく、外国から募集して数が揃わなかった。

 その解決策として打ち出されたのが教師型ヒューマノイドで、彼らは政府の補助金を財源に大量生産され、瞬く間に普及した。


 しかし、加熱し過ぎたブームが空前の教師余りを引き起こす。

 実際に教師として採用されたのは新規生産分の3分の1程度、それ以外のものは介護用や家事手伝い用に転用された。

 アイリも最初、教師としてレンタルされてきたが、ほどなくレンタル会社が破産。

 二束三文で売りに出されたところを、母が介護要員として買い取った。


 それから10年を共に過ごすうち、アイリは俺たち家族の一員になっていた。

 人間の形をした存在が側にいて、毎日話し相手になり、答えてくれる。

 こちらの体調を気にかけ、心配し、時に忠告さえしてくれる。

 そういう存在に長い間接してしまったら、それを愛さずにはいられない。それが人の顔をしていればなおさらだ。


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