第3話「息が詰まる」


「涼介兄さん!久しぶり!この前LINEしたけど、28歳の誕生日おめでとう!」

「光(ひかる)も久しぶりだな。昨日は賢太にも祝ってもらったよ。二人でプレゼントを選んでくれてありがとう。嬉しかったよ」


食事会はホテルだった。久しぶりに会った末の弟は、かなり背が伸びているように感じた。顔立ちはどんどん賢太に似てきていた。

昨日、4月2日は、涼介の誕生日であった。あっという間に28歳になってしまった。次男の賢太は今年度で23歳、末の光は今年度で14歳になる。賢太は友人のように気軽に話せる人間の一人だが、ひとまわり年の離れた光はまだまだ子どもだと感じる。


「久しぶりね、涼介」

父の雄介と共に、母の春奈がタクシーから出てきた。どちらも60手前だが、母はエステにも通い、美容に気を使っているからか、随分と若く見える。今日は落ち着いた黒のレースのワンピースを着ていた。

「母さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

いつからか、このような他人のような会話をするようになったのだろうか。

誕生日を祝われることもなくなった。

寂しさはもう麻痺してしまっていた。


賢太の婚約者は不思議な女性であった。ふんわりとしたボブカットで、可愛らしい顔立ちをしていたが、鋭い観察眼をもち、時には天然ボケとも言えるような言動もあった。

解散する直前に、彼女から話しかけられることがあった。

「涼介さんって、なんだか不思議、ですね?」

彼女は胸元の開いたワンピースを着ていた。背が小さいので、上から見ると、豊かな胸が谷間を作っていた。

「不思議なんて言われたことありませんでした」

「そうですか。だって、ほら、なんか弟さんたちとはちょっと、違うっていうか。あと、私の胸を見て、他の男性はいつもそこに釘付けになるのに、あなたは別に興味なさそうだし」

「女性に興味がないわけではないですよ。彼女だっていましたし」

「そうですよね。同性愛者って感じもしないから……でもなんだか、不思議だなって」

こうも不思議不思議と言われては、どう反応して良いか分からない。涼介はとりあえず「はあ、そうですか」と何ともとれない返事をした。

「また、ゆっくりお話できると嬉しいです。趣味も合いそうですし」

「そうですね。そういえば、あなたはうちの大学の卒業生でしたね。私の二つ下なので……朝倉百合先生をご存知ですか?」

「百合先輩!吹奏楽部の先輩でした。お元気ですか?」

「バリバリ仕事をされてますよ。お子様が今年小学校に入学されるとかで、何かと忙しいそうですが」

「……そう、ですか」

ふと、彼女の柔らかい雰囲気に影が見えた気がした。

「ふふっ。また先輩と、涼介さんと、私でお食事にいきましょう!では、また」

「はい。帰り道お気をつけて」

そして会はお開きとなり、涼介は雄介と共にホテルのカフェへと入っていった。

空からは、大粒の雨が降り注いでいた。


「……私にお話とは、なんでしょうか」

父を前にすると、やはり緊張する。緩和するために、コーヒーを一口、口に運んだ。

「これは、弟立ちにはまだ言っていない話だ。……特別養子縁組の年齢が引き上げになったことは知っているか?」

「はい、ニュースで拝見しました」

特別養子縁組とは、児童虐待などで実の親と暮らせない子どもを救済するための制度で、手続きが受理されれば、法律上、実の親との親子関係がなくなり、育ての親と親子関係を結ぶものである。

今までは「原則6歳未満」を対象とされてきたが、法律の改正により、それが「原則15歳未満」とされた。

「私は、この制度を使って、うちにもう一人の子どもを迎え入れる。女の子だ。手続きは受理された。今からお前と迎えに行く。」

「……お待ちください。なぜ、わざと養子縁組を?」

「親戚の子だ。だが、奴には子を育てることはもう難しい。精神の病気だ。診断も出ている。このままだと子どもは殺されてしまうだろう」

「……ですが……」

「その子の歳は今年で14になる。光と同い年だが、光も年頃の男子だ。受験勉強で精神的にも不安定なことがある。一緒には暮らさせない。そこで、お前と同居してもらう」

「……?! 待ってください! 私にその子を育てろと言うんですか!」

「賢太は結婚する身だ。お前は部屋が空いているだろう。住まわせるだけで構わない。金はこちらで用意する」

「……」

口答えできなかった。この歳になっても、涼介は威圧的な父が怖い。その父の命令だ。従わなければならないという思いと、言いなりになりたくないという思いが涼介の心の中を支配した。

ーーーけれど。

次第に「言うことを聞かなければならない」という気持ちが勝ってきた。仕方なく、黙ったまま頷いた。

「お前は、今年は2年生のクラス担任だったな。お前のクラスに、彼女を編入させる。手続きも済んでいる。今日は土曜日だから、月曜日から準備をしてやれ」

「どうしてそこまでさせなくてはならないのですか?!」

「あの子は何をするか、分からん。お前を監視役につける。とにかく向かうぞ。車を出せ」

「…………わかりました」


急な申し出だった。今まで、親戚にそのような子どもがいることも知らされていなかったし、親戚の子どもであっても、なぜそこまでしなければならないのか、疑問だった。

それを聞く勇気はなかったが。


まだ天気は好転しないまま、シャワーのような雨が続いている。

涼介は自動車を出し、父の言う通りの住所まで移動した。助手席には父が座り、二人とも必要なこと以外は一言も喋らず、その地へ辿り着いた。

そこは、涼介の実家とそこまで離れた場所ではなかった。寂れた住宅やアパートが立ち並ぶ、暗い町。父が教えた住所には、二階建ての古びたアパートが建っていた。

到着した頃には雨が止み、空から黒い雲が逃げ出していくように、あたりは明るくなっていた。

錆びた金属製の階段を上がる。ギシギシと、一歩進むたびに音が鳴った。今にも倒壊してしまいそうなそこの建物には、人の気配がほとんどなかった。


ドン!


階段を上りきった時、2階の奥の部屋から、突然大きな音が鳴り響いた。

何かが床にぶつかったような、倒れたような音。

続けて聞こえてきたのは 、女の金切り声と連続した打撃音だった。

涼介は狼狽えた。緊張で足の進みが止まった。

しかし、雄介は溜息をして、無表情のまま、その部屋の前へ向かった。

雄介は、黙ったまま、一本の鍵を背広のポケットから取り出した。

「また使うことがあったなんてな」

小さな声で呟いた声は、女の叫び声で遮られ、涼介には届かなかった。

「……なにか言いましたか?」

「……いや、何でもない。入るぞ。」


そして、鍵は鈍い音をたてて、開いた。

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