第1話「欠伸を噛み殺す」
ーーー嗚呼、つまらない。
これは本当に「会議」なのか?
青年は、いかにも退屈だと言わんばかりに、頬杖をつきながら、先日にコピーしておいて、一通り読んだ資料を読み返していた。
(きっと、次の案件は揉める。決まらなければ、俺が進言するしかない、か)
「つ、次は、えっと……と、豊原先生より、入学式についての、案件です。」
職員室では、校内の教員が全て自席に座っていた。資料は共有データベースに保存されているため、皆パソコンの画面に釘付けである。そんな中、二年目になる教諭は、おどおどしながら職員会議を進めていた。
「はい、入学式に関してですが、流れは例年通りです。『 教務部』フォルダに『 2020入学式』という資料が入っています。ご覧ください。」
教務主任の豊原が、入学式を任されていた。今年入ったばかりの新任教員たちは言われても分からないので、慌ててデータを読み始める。そのデータの中には、在校生の指導に当たったり、物を準備したりする担当表も入っていた。
それを見返した途端、一人の女性教諭の顔色がサーと真っ青になったのを、隣席の「おせっかいおばさん」は見逃さなかった。
「担当は資料の通りです。何かお気づきの点はございますか。」
豊原は毎度のことながら、職員会議での自分の案件は極力説明しない。変更点があっても言わないことが多い。他多数の教員は、資料をイベント直前になるまで読み返さない。職員会議までに読み返すこともしない。今もパソコンを見てはいるが、違うことを考えている者がほとんどである。
「ちょっと、豊原先生。よろしいですか」
「おせっかいおばさん」こと、田中は手を挙げて発言する。
「田中先生、どうされましたか?」
「朝倉先生ですが、今年はお子様の小学校の入学式があるとかで、その日はお休みされる予定でしたでしょう? 前日、当日ともに入学式の校歌と入場の演奏指導に名前があがっておりますが」
「あ、本当だ。忘れてました。ならば、サブで入っている宮城先生にしましょうか」
この学校では、吹奏楽部が入学式での演奏を行っていた。その指導も、もちろん仕事に含まれる。吹奏楽部顧問の朝倉が指揮をしていたので、昨年度と同じように名前が入っていた。
宮城とは、今年入ったばかりの新任、しかも国語科担当の「期限付き講師」である。彼女もまた、自分の名前をあげられ、真っ青になっていた。
「しかし、サブとはいえ、ご経験もない宮城先生には任せられないでしょう!合奏指導もしないといけないのですから!」
「なら、どなたかお願いできますかねぇ……」
鬱陶しい、という感情が顔に現れてきた豊原は、次はまわりの教員に仕事を投げる。
「……」
「……」
「……」
案の定、沈黙が続く。
(このままでは会議も終わりやしない。すでに一時間オーバーだ。仕方ない、引き受けるか。)
時計の針は、16時57分をさしていた。あと3分で定時である。
「はい、豊原先生、私がやりましょう。」
誰もが「自分に仕事を振ってくれるな」と頭を下げて黙っている中、一人の青年が手を挙げた。
「そういえば、先生は、音楽の免許もお持ちでしたね!吹奏楽部の顧問もされてることがありましたし!」
田中が嬉しそうに声を上げる。
他の者も、ほっとしていた。このまま沈黙が続けば、仕事の押し付け合いになるところだった、と。
「その変わり、皆さんにはお願いしたいことがいくつかございます。まず一つ目、豊原先生には、新たに担当表を作っていただく。吹奏楽部指導は、メインが私で、サブが宮城先生、でよろしいですね?」
青年は、今にも泣きそうだった宮城の顔を伺う。彼女は安堵の表情をうかべ、こくこくと頷いた。
「二つ目、私が吹奏楽部に張り付きになる代わり、旧一年三組の指導は、他の方にお願いする。前年度いらっしゃる方はお分かりですが『 彼女たち』をしっかりと指導していただくよう、よろしくお願いします。」
その時、新任の者たちの頭の上には「?」が浮かんでいたが、他の教員の顔がくしゃりと歪んでしまっていた。
青年は前年度、一年三組の副担任であった。彼の言う『 彼女たち』とは、校内でも有名な、生徒指導上非常に手のかかる女子生徒5名のことであった。様々な問題を起こし、教員の言うことも聞かず、当時の担任は精神を病んで入院、退職した。
そこで、白羽の矢が立てられたのは、彼女たちに唯一、言うことを聞かせることのできた青年であった。
彼は、担任となって学級崩壊となったクラスをたてなおした。入学式では在校生挨拶もあるため、旧担任が指導をするはずだったのである。
ーーーさあ、あのクラスを誰が指導するのか。
教員たちの顔色はどんどん悪くなっていく。
そんな中、定時のチャイムが職員室に鳴り響いた。
「定時になりましたので、私はこれで帰ります。あとはよろしくお願いします。あ、朝倉先生、明日、吹奏楽部の引き継ぎは、よろしく。おそらく今年は私も顧問ですから、入学式のことも含めて教えてくださいね。では、お疲れさまです。」
黒のリュックサックを背負い、教員全員に一礼をして、パタン、と部屋の戸を閉めた。
(今日もつまらない会議だったな。これならあいつらの相手の方がまだましだ。)
自転車置き場にあるロードバイクを手に取り、正門を出た。今日は久しぶりに帰省する弟との食事会だ。並木道になっている、淡い色の桜のトンネルを抜け、自宅へと急いだ。
彼は、三条涼介。私立桜木ヶ丘中学校に勤務する、6年目の国語科教諭である。その時までは、多少刺激はあるものの、退屈な毎日を過ごし、そしてこれからも過ごしていくのだと、思っていた。
歯車は既に廻り始めていることに気付くことができずに。
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