第二章
無音の中に目を覚ました。タクシーはもう止まっている。寄りかかっていた窓の外に目をやると、そこには一面に緑が広がっていた。ここはどこなのだろう。なぜぼくはここにいるのだろう。目をこすり、寝ぼけた頭を二回叩いた。昨晩自分に起きたことを振り返る。僕は渋谷で服を着替え、所持品を全てロッカーに預け、見知らぬ少女についていきタクシーに乗りこんだ。嘘のようで本当だった。僕は急に現実的になる。僕の行動ははたから見ればただの奇行だった。それに、車内で目を覚ますと森の中にいる。運転席に目をやる。人の姿はない。恐怖が僕の中で現実味を帯び始めていた。
「おはようございます」
その時、急にすぐ右から少女の声がした。警戒から感度を研ぎ澄ませていた体全体が細胞単位で過敏に反応した。思わず飛び上がった僕を見て、彼女はふふっと微笑む。
「挨拶ひとつでこんなに面白い反応ができるのですね」彼女はいった。
「あなたが隣にいることに全く気づかなかっただけです」僕は答える。
彼女は今度は小さく声を出して笑った。自分の発した言葉がやけに言い訳臭かったことに気づき恥ずかしくなる。
「それはともかく、ここはどこですか? そしてあなたはだれですか?」
恥ずかしさを誤魔化すように僕は聞いた。しかし彼女は何も答えない。ただ笑顔で僕のことを見ている。しばらくしてやっと彼女は口を開いた。
「そのうちにわかります。さあ、行きましょう」
そして少女はまた微笑んだ。もちろん僕は納得できるはずが全くなかった。しかし僕は彼女のその笑顔が僕の首を縦に振らせた。
僕らはタクシーから降り、森の中をを進み始めた。騒ぐ木々の音、蝉の鳴き声、足が土を踏む音、全てが音としての輪郭を失いひとつの塊となって僕を包み込んでる。目はみずみずしい緑を十分に感じながらもひたすらに白いワンピースを追っている。少女は僕のことなど気にも留めずに早足で先へ先へと進んでゆく。僕は少女についていくので精一杯だった。しかしそんな中で僕の体の細胞のひとつひとつは広がる自然を感じている。そこには本能的で動物的な感性を感じた。目、耳から入ってくるものを脳で処理することばかりだった僕にとって、この時間はは僕自身を自然にしてくれる気がした。
どれだけ歩いただろうか。ふくらはぎにだんだんと張りを感じてきたところで少女はやっと止まってこちらを振り返ってくれた。僕は彼女に追いつこうと早足になる。やはり遠くからみても彼女は神秘的だった。そこにいる少女はひどく現実離れしているようで妙に人間味があった。僕はその存在に"概念的な何か"を感じた。少女が誰なのか、その質問は的外れであったのかもしれない。
僕はやっと彼女に追いつく。すると少女は右側を指差していった。
「ここです」
少女の指す先にはには古びた門があった。門はコケに覆われており自然に溶け込もうとしていた。門の奥は霧がかかっていてよく見えなかった。しかし門の奥からは空気の密度の違いがひしひしと伝わってきた。
「この先に一体何があるのでしょうか?」
「まあ、行けばわかります。」
そういって彼女はまたもや微笑む。その愛らしさをまる自覚しているかのように少し大げさに笑う。そんな少女のあざとさを知っていながら僕はついまた首を縦にふる。いくら書を積んでも所詮は単純な生き物にすぎないのだ。
門をくぐって進み始めると、木々の音や鳥の鳴き声、全ての音が聞こえなくなった。無音の奥底に潜むものを感じた。
また少し奥へと進むと灰色の石でできた直方体型の建造物が見えてきた。
「到着です」
それを聞いて僕はなんともいえぬ達成感を感じてしまった。
「この中にあなたに会いたがっているひとがいます」
彼女はそう続けた。僕に会いたがっているひとなど検討がつかなかった。同時に何かを期待している自分もいた。
ドアを開け中に入る。石造の外観とは打って変わって中は温かみを感じる木をベースにしたデザインだった。
入り口から見て右側にはカウンター席が並び、左側は向かい合うソファーが3組ほどあった。
「いらっしゃい」
カウンター席の前にあるキッチンに一人の白髪の老人がいた。肩幅が広く、少し太り気味の彼からは優しい雰囲気を感じた。
「おじいちゃん、彼よ。」
「はじめまして」僕は軽く頭を下げた。
「おお、はじめまして。」老人は笑顔で返す。
「あの、僕に会いたい、というのは、」
「ああ、新しい人が来るとあのお嬢ちゃんから聞いてね。」
僕に会いたい人、と聞いて少し期待してしまった自分を恥じた。こんなところに僕を知っている人などいるはずがなかった。
「さぞかし混乱しているだろう、なんせ全く知らない場所に連れてこられてしまったわけだからな」
「はい。何から何までわかりません。一方でそうあるべきなきもします。」
ここはどこなのか、少女、そして目の前の老人は誰なのか、疑問はいくらでもあったし、今の状況はなにひとくつかめていなかった。しかし、ここまでの道中で僕は、その全ての疑問がここでは何の意味もなさないのだろうと気づいた。
「君はよく考えられている」
老人は微笑みながらそう言った。
「じゃあ、ここのルールを一つだけお話ししておこう。ご飯はここで食べられる。私の作れるものであればなんでも構わない。食べたい時にきてくれればいい。来なくても別に構わない」
食料は一体どこから、と疑問が浮かんできては喉の奥にそっとしまう。
「そしてこれから君が寝泊まりしるのは少し奥に行ったところにある同じような建物だ。あとで彼女が案内する。その奥にはいくことのないように」
「最後に、君には太陽があと二回沈むまでの間にある選択をしてもらう必要がある。」
老人の声が急に締まった。僕も自然と背筋をただした。
「ここに残るか、あなたのきたところに戻るかだ。」老人はそう言った。それがどういうことなのか僕はまだいまいち理解していなかった。
「残ることを選べば一生きみは一生ここにいることになる。戻ることを選べばその日のうちにここからきた場所へと連れて戻す」
「その選択を太陽があと三回沈むまでにする、ということですか」
「そうだ」老人ははっきりとそう答えた。
「そろそろ1回目の日の入りを迎えます。日が沈むとこの辺りはすっかり暗くなってしまうから早めにご飯を食べて寝室へ行きなさい。太陽が昇ってきてからじっくり考えてもおそくはありません」
「わかりました」僕はそう言って頷いた。
そして僕は少女と老人と三人でクリームシチューを食べた。食事中は少女のおしゃべりが止まらなかった。中身がしっかりと少女であることに少し安堵している自分がいた。
食べ終わると少女が僕の寝室に案内してくれた。同じような外観の建物で、中にはベッドと机が一つづつあり、それ以外は特に何もなかった。部屋に入るやいなや僕はベッドで横になった。そして老人の言ったことを思い出した。よく考えると僕は一生ここにいることを許された、ということになる。しかし、元の場所に戻るにはあと二回太陽が沈むまでに決断をしないといけないというわけだ。理解はできたが、その内容が僕にはあまりにも重要すぎた。帰る、という選択をすれば無難なのかもしれない。しかし僕の今の精神状態がこの選択を難しくした。僕はあの苦しみから逃れられるのだ、と思うとその選択が正しいかのように思えた。
そんなことを考えているうちに睡魔が襲ってきた。僕はその眠気に逆らわず目を閉じる。いつの間にか僕は眠ってしまっていた。
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