コーヒーを飲む。息を吸う。
@raimany
第1章
十一月のある金曜日の夜二十一時、僕はあてもなく渋谷駅で降りた。
脳みそがひどく疲れているのを感じる。ぼーっと気だるそうに、送られてくる酸素を拒んでいる。脳の奥の方にモワッとした黒い何かを感じた。
定期的ににくるこの感覚。目に入る全てのものがくだらなく見えてしまう感覚。何もかもがなくなってしまえばいい、なんてことを真剣に思ってしまう。地球の内部が突然異常反応を起こして爆発したら、なんてふざけた妄想が勝手に脳内で始まる。命を惜しむ暇も、苦しむ暇もなく全ての人類が砕け散る。責任も、悩みも、一切のしがらみも、全てのものが意味を失う。同時に、全てのものが概念から解放される。石ももう石である必要はなくなる。
改札をでると、相変わらずの人の混みようだった。すれ違う人々がひとりひとり何らかの目的を持って僕の前を通り過ぎてゆく。目的もなくこの地に降りた僕はそれをなんだか眩しく感じる。すれ違う人々を見るといつも頭の中で物語が加速する。このサラリーマンは家に帰るのだろう。家族はいるのだろうか。職場ではどのような立場なのだろうか。子供の頃はなにを夢見てたのだろうか。この若い女は今誰を待っているのだろう。友達か、恋人か、金目当てで会う男か。そんなことを考えながらハチ公の前を通り過ぎる。
看板沿いにはずらっと若者が並んでいた。その全員がうつむきスマホを見ている。それぞれが違う画面越しの世界にいる。そう考えながらもう一度見ると、なんとも言えない滑稽さを感じる。
スクランブル交差点。
無駄にわいわい騒ぎながら男女4人組が信号を待っている。ピアスを開けた金髪の男は大きな声でくだらないことを連呼し、女はそれを聞いて手を叩きながら爆笑している。手にはいかにも高級そうなバッグを持っている。エゴで結ばれたような関係はなんとも下品だ。
スクランブル交差点を渡り僕は公園通りを登ってゆく。向かい風の冷たさが冬を感じさせた。少し温まるために僕は一旦デパートに入る。
化粧品が並ぶ一階フロアをぐるぐると回った。そして僕は所々にある鏡でちらっと自分をみる。その姿は僕に忘れていたことを思い出させる。僕もこのエゴの町の立派な構成員であることを実感する。いつから”自分”という存在はは”僕”を離れこんな姿になってしまったのだろうか。見るに耐えられなくなって僕はまた歩き出す。心の傷をえぐることがクセになる。鏡はあっては見て醜さを感じ苦しくなる。癖になったかのように繰り返し繰り返し心の傷を深くした。
何か悪いことがあったわけでもなかった。しかし、この憂鬱は一週間以上前から僕を包み込んでいた。これまでになく自分自身の醜さを感じ、嫌悪感を覚えた。そして大きな鏡に映る自分の全身を見た時、その感情が限界点に達していることに気づいた。このままだと自分が潰れてしまう。そんな恐怖心を急に抱き始めた。
恐怖に追われるようにデパートを出る。もう僕はもうだめになりそうだった。今にも狂って叫んでしまいそうだった。僕は駆け足でユニクロに向かい、黒いズボンに真っ白なTシャツを3着買った。そしてスポーツ店に寄って処分直前の崖っぷちの靴を一足買った。トイレで着替え、急いで駅へ向かった。脱いだ服は駅のロッカーに預けた。
逃げよう。ここから。自分から。全てから。
場所はどこでもよかった。自分も知らないどこかへ行きたかった。
僕は人ごみをかき分け、急いで山手線のホームに向かう。とりあえず東京駅へ行き、そこでどの新幹線に乗るかを決めることにした。
山手線の改札が見えてきたその時。僕は衝動的に立ち止まった。
目の前で小さな少女が僕を見ていた。
白いワンピースに茶色いサンダル。髪は後ろで一つに結んだ綺麗な少女だった。
6歳くらいだろうか。僕は彼女に妙な既視感を覚えた。しかし、どこで見たのかさっぱり思い出せない。
目が合うと少女はにこっと微笑んだ。あどけない、無邪気な笑顔だった。そして彼女は僕の左手を握り、改札とは逆方向に進み始めた。僕は引っ張られるがままに彼女についてゆく。普段の僕ならついていくことは間違い無くなかっただろう。しかし、今の僕にとっは、彼女についていくことがむしろ自然に感じた。彼女は僕を握っていた手を離し、人混みをかき分けてどんどん走っていった。僕は見失わないように慌ててついていく。彼女はスクランブル交差点の前まで来てやっと立ち止まり振り返った。そして僕を確認するやいなや目の前にあるタクシーに乗りこんだ。僕も駆け足でタクシーに乗り込んだ。それと同時にドアが閉まりタクシーは走り始めた。
右を見ると彼女はもう眠っていた。意味のわからない状況にいることはわかっていた。しかし僕は冷静になってしまうことを恐れ、無理やり目を瞑った。気がつくと僕はぐっすりと眠りについていた。
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