箱の中はからっぽ

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箱の中はからっぽ



 とある街のうみべに、恋人ブラインドからのプロポーズをうけた女の子がいました。彼女のなまえはメイデンといいます。メイデンの小さいときからの夢は、しあわせな結婚をして、一生をしあわせに暮らすことでしたから、メイデンはとてもよろこんで、その日家に帰ってからも、左手の薬指にはめられた指環をじっとみつめては、温かいためいきをつくのでした。

 しかし寝るまえになって、メイデンは、ブラインドから指環のはこをもらい忘れたことに気がつきました。指環はべつに棚に置いておけばいいけれど、はこを預けたままなのは申し訳ないかしら。そう思ったメイデンは、

「まだおきているかしら。」

 いそいでブラインドの家にむかいました。恋人のへやにはまだ灯りがついています。

「よかったわ。」

 メイデンはへやの窓から中をのぞきました。すると、おかしなことに気がつきました。

「だれかきているみたい。こんな夜にお友だちをよぶかしら。」

 ブラインドのへやにいたのはみしらぬ別の女の子でした。

「あの子はだれかしら。」

 メイデンは不安な気持ちでいっぱいでした。そしてその不安は、すぐに現実となってやってくるのです。

 ブラインドは、夕方メイデンにわたしたダイヤの指環のはこよりも、もっと大きな豪華なはこを、そのみしらぬ女の子にわたしてしまったのです。はこに添えられたメッセージカードには、おそらくその女の子のなまえである、「ペイン」へ、という文字がみえました。

(ああ!なんということなの!)

 メイデンはあまりのショックに、すぐにその場から立ち去ることはできませんでしたが、それでも窓から自分のすがたが見えぬよう、いっしょうけんめいに体をかがめて、そうしてしずかに泣いていました。


 その日の夜、メイデンは泣きながらかんがえました。

(かなしい。わたしはうらぎられたのね。いったい何がいけなかったのかしら。ブラインドは、わたしのなにが気にいらなかったのかしら。)

 メイデンははじめ、自分をせめつづけました。しかし、時間がたつにつれて、

(かなしい。いいえ、かなしいのではないわ。つらい?それも少しちがうような気がする。そう、わたしは憎いんだわ。わたしを裏切ったブラインドが、そしてわたしから彼を奪ったあの女が憎いんだわ。そして、ああ、これだ。情けない。裏切りを見抜けなかった自分が情けない。ブラインドのあの平気そうな態度が情けない。情けなくって恥ずかしくなっちゃうくらいに。それで、これだ、悔しい。よくもわたしを裏切ってくれたわね。)

 そうかんがえるようになりました。そしてメイデンは、とうとうブラインドを殺してしまうことにきめたのです。


 つぎの日、メイデンは、魔女がすんでいるとうわさの遠くの森まで歩いていって、幸運なことに魔女の家をみつけました。

 メイデンは、事情を説明して、

「お願いよ、恋人を殺せる薬がほしいの。お礼ならなんでもするわ。」

 魔女は言います。

「お礼なんかいらないさ。どうせ私には必要のない薬だ。だが、人をひとりころすのだから、それなりの対価は必要だよ。つまり償いさ。覚悟はあるのかね。」

「対価って?」

 メイデンは尋ねます。

「あんたはひとごろしになるのだから、当然人間として生きてはゆけない。となると、そうだな。人魚にでもしてやろう。」

「ニンギョですって?」

 聞き覚えのない言葉に、メイデンは戸惑います。

「おや、知らないかい。上半身は人間、下半身は魚のバケモノさ。気味が悪いだろう。」

 メイデンはその姿を想像して、顔をしかめて、

「全身魚になるのではダメなの?」

 と聞き返しました。

「それだと償いにならないじゃないか。魚は脳みそが小さいから、魚になったら恋人を殺した記憶がなくなっちまうよ。償いとは、痛みをずっと抱いておくことだ。」

 メイデンは人魚になるのがこわくなりました。しかし同時に、今までブラインドからもらった愛よりも大きな質量で彼を憎んでいることを思い出したので、おそろしい気持ちは海の泡のように消え、

「わかったわ。薬を頂戴。人魚になったって構わないわ。」

 それを聞くと、魔女は薬瓶のぎっしり詰まった木の棚のなかに、目的の薬を探しはじめました。


 それは思ったより長くかかりました。家に着いたのは昼ごろだったのに、あたりはもう薄くくれかかっています。

「最後に聞くがね」

 魔女はメイデンに薬を手渡しながら、うつむいて、

「本当に殺してしまっていいのかい?おまえが望むなら、私はおまえの記憶を消す薬を作ってやることもできる。おまえが昨晩のことを忘れさえすれば、幸せな結婚生活を送ることができるんじゃないかね。たとえ恋人の心はおまえになかったとしても、おまえはそれに気づかず、一生をただ幸福に生きられるんじゃないのかね」

「いいえ、魔女さん。それでは意味がないのよ」

 メイデンが遮るようにきっぱりと言いました。

「わたしがすべてを忘れて、恋人と幸せな一生をとげたって、そこに愛がないのなら、結婚なんて形だけのもの、ひいてはその人生、すべからく何の意味もないのよ。たとえ忘れて生きたわたしがそのまま愛を疑わずに死んだって、いま、そんな人生があるかもしれないと考えるだけでおそろしくなるわ。いわば、これは恋人と、幸福なわたしとの心中よ。…これでいいの。ありがとう。」

「……そうかい。」

 そうして歩き出したメイデンは、二度と振り返りませんでした。


 街へ戻るころにはもうすっかり月がのぼってしまっていて、星がよくみえました。メイデンは、プロポーズされたうみべにブラインドを呼びだしました。

「なんだい、話って。」

「ふふ、いまから話すわよ。それにしても、うみべは少し冷えるわね。温かい飲み物を持ってきたわ。」

「ああ、ありがとう。」

 ブラインドは薬の入った飲み物を飲むと、やがてうとうとしだして、そしてゆっくりと眠りにはいるようなすがたをして、メイデンはというと、それに呼応するようにだんだんと体が倒れてゆき、ブラインドが死んだようにみえたときには、彼女の体はもうすっかり人魚でした。

「おわかれね。今までありがとう」

 メイデンは暗がりの砂浜を這って、凍える海の中へどぷんと入ってゆきました。不思議と冷たい海水は、彼女の体を受け入れてくれました。しかし指環だけはそうではありません。彼女の指を離れてすぐ、海の泡に呑まれてみえなくなりました。




「起きて。」

 ブラインドは恋人の声に目をさましました。朝焼けのきらめきがうつくしいうみべで。

「もう、こんなところで寝ちゃダメよ。」

 いつものように美しく笑う彼の恋人、“メイデン”。そこに違和感はひとつもなく、何もかもがいつも通りでした。

「ああ、ごめんね。」

 彼の謝罪に、彼女ははじめて笑顔を消します。しかしまたすぐにふっと笑って、

「帰りましょう。」

 ふたりは白い太陽の下をゆっくり歩いてゆきました。

 ふたりはこのあと幸せな結婚式をあげて、一生を幸福に暮らしました。







 正確に言えば、ブラインドにはそう思えたでしょう。

 ブラインド、彼にぴったりのなまえでした。彼は最期まで、自分の恋人が入れ替わったことに気がつきませんでした。

 世界中の誰もが、このことに気がつかなかったでしょう。

 しかしこの出来事から百年後、魔女が住んでいたと噂の森を中心にして、ある伝承が語られます。


 昔々、あるところに、心優しい男の子が住んでおりました。彼は困っている人はほっておけない性分で、どんな人でも、苦しんでいる人がいればいつでも手を差し伸べました。

 それは人間以外の生き物も例外ではありません。ある日、彼は箒から落ちて大怪我をしていた魔女を見つけます。魔女はこのあたりでは有名な極悪人でしたが、それでも彼は懸命に介抱しました。そんな彼に魔女は恋をしました。

 しかし彼には美しい恋人がいました。ある美しい夕焼けの日、ふたりは永遠の愛を誓います。

 それをみていた魔女は深く悲しみました。私も彼と一緒にいたい。なんとかして彼と結婚することはできないか。魔女はある方法を思いつきます。

 その晩、魔女は彼の恋人に幻をみせました。その幻のなかには、恋人である自分を裏切る彼の姿がありました。彼は別の女の子と幸せそうに笑っています。

 彼女は嘆き悲しみました。そして彼への復讐を思い立ち、その魔女の元へ向かいます。彼を殺してしまえる薬をくれ、と。その対価に忌み嫌われる人魚として生きていくからーーー。

 しかし魔女が渡したのはただの睡眠薬でした。そうとは知らず彼女は、夜ふけの海に彼を呼び出し、そして殺してーーー正確には眠らせてーーーしまいます。

 彼が眠りに落ちたとき、彼女はすでに人魚の姿でした。そして彼女は、そのまま海の中へ消えてゆきます。

 朝になりました。魔女は人魚になった彼の恋人へと姿を変え、彼を揺り起こします。彼は彼女の正体が魔女であることに気づかず、そのままふたりは一生を幸せに過ごしましたーーー。


 この話には、誰にでも平等に手を差し伸べるのは良いことだが、それは盲目であることと紙一重だ、ときには人の真実を見抜く力が必要になるときもあるので、注意するべきだ、という教訓がふくめられています。

 それとともに、魔女には気をつけるように、と、これはストレートな教訓も。

 この話の登場人物である、彼とその恋人であった少女になまえは与えられていません。しかし魔女のなまえは、伝承の中ではなく噂として伝わってきています。ブラインドからプレゼントを受け取っていた、そしてメイデンのしらなかったあの女の子、ペインというなまえが。



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