第5話 理想と押しつけ
二人並んで歩いて、たこ焼きを食べながら帰る。
夕日は遠くに沈んでおり、昼の断片を微かに残した群青が、世界を染め上げていた。
「うん、美味しい」
たこ焼きをほおばり、思わず呟く。店長は変人だけれど味はピカイチだ。
「どう綾乃、美味しい?」
「ん? うん、美味しいよ」
私の問いに綾乃は返すも、その言葉の中に違和感のようなものを覚える。
「だよね。出汁の味がよく効いていて」
「……そうだね」
いつもの綾乃なら、もう少し声が弾んでいるはずだ。今の綾乃は、声が沈んでいて、まるで心ここにあらず。
「……美味しくないの?」
口に合わなかったのだろうか。不安に思ってそう問うと、綾乃は首を横に振る。
「いや、そうじゃなくてね」
綾乃はそう言ったきり、口を閉ざす。そうじゃなくて、何なのだろうか。
続く言葉を待つも、綾乃はいっこうに口を開く気配がない。
「……やっぱり、美味しくなかった?」
「いや、そうじゃないの。これは美味しいよ、うん。とても。でも、そうじゃなくて……」
再び、沈黙。
なんていうか、いつものような滑らかな空気が私たちの間には流れず、砂を噛んだような、そんなぎこちなさを覚える。
「……髪留め」
「うん?」
綾乃がぽつりと呟いた言葉を、うまく聞き取ることができなくて聞き返す。
「髪留め、もらったじゃん」
「うん」
確かにちょっといいなって思う髪留めだったけれど、それがどうしたのだろうか。
「…………ねえツカサ」
綾乃が立ち止まり、じっと私を見据えてくる。
「……ど、どうしたの?」
場の空気が帯びる、尋常ならざる雰囲気に、私は思わず動揺してしまう。それを発散しているのは綾乃だ。
「なんで、髪切ったの?」
「へ?」
想像していなかった問いに、思わず思考が停止する。直後、復旧。
「だから言ったじゃん。フラれて、それでって」
「髪留め、これ、私が買ったの」
綾乃はさっきもらった髪留めを取り出し、短く言う。
「え、そうだったの?」
じゃあこれは、元々綾乃の持ち物だったのだろうか。
「落としてたんだ。見つかってよかったじゃん」
私がそう言うと、綾乃は深いため息をついた。
「……あのね、私が髪留めつけると思う?」
そう言って、綾乃は自身の頭を指さす。綾乃の髪は、短く切り揃えた癖毛。
「つけれないでしょ」
その言葉に、私はこくりと首肯する。
その直後、あ、と何かを察した。
「もしかして、私?」
「そう! 私が、ツカサのために買ったの! でもなんかアンタは夏休み明け髪の毛短くなってるし、理由聞いたら馬鹿みたいなことだし」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」
綾乃の言葉に、思わず血が上る。
「私だってな! 色々と思うところはあったし、真剣に考えたんだよ!?」
「真剣に考えたらあんな男に引っかからないわよ! それに、真剣に考えたらあの髪を衝動的に切らないでしょうが!」
「髪を切るのなんて私の自由でしょ!? 綾乃に何の権利があるの!?」
「そりゃそうかもしれないけどねえ! あんた、自分の髪の価値わかって言ってるの?」
「価値ぃ!?」
私がそう言うと、綾乃はぐいと顔を近づけてきて、自身の前髪を掴む。
「ええ価値。価値よ! 見て、この髪!」
綾乃は茶色い癖毛を指でつまみ、見せてくる。
「私がどれだけ髪をケアして、パーマを当てて、伸ばしたところで、ツカサの髪みたいにはならないの! わかる!?」
「そんなの知らないわよ! 生まれつきの話じゃない!」
「そうね、生まれつきよ! 生まれつき、私の髪はこうだった。いくら努力しても、サラサラのツヤツヤのロングにはならなかったわ。パーマは一週間で取れて、髪を伸ばしたら四方八方へ跳ねてしまう。雨の日なんて、そりゃあもう湿気で大変よ! しまいには男子にモンジャラとかいうあだ名つけられるし!」
語調激しく、綾乃はまくし立てる。そして、私の髪にその手で触れた。
「だから、この髪が羨ましかったのよ。それに、お人形みたいな黒髪を靡かせているあなたのことも。……この髪が、色んな形をするのを見ていたかった」
綾乃はそう言って、俯くように顔を下げる。
「……それで?」
「だから、プレゼントに髪留めを買った。買って、登校したら、ツカサが髪を切っていて」
「……無駄になったから捨てた、と」
私がそう言うと、綾乃はもごもごと口を動かす。
「……それは……ちょっと違う……ような……」
「……なんて?」
綾乃がぼそぼそと呟くも、その声は小さく、風の音に紛れて聞こえない。
少しの沈黙のあと、綾乃は首肯する。なんていうか、綾乃の話を聞いていると、次第に腹が立ってきた。
綾乃の言っていることは、徹頭徹尾、自分の理屈だ。そこに私の気持ちは存在しない。そう思えた。
何かが、沸騰する。その熱が、口をこじ開ける。
「綾乃の言ってることって、要するに自分の理想を私に押しつけて、私がその理想から勝手に逸脱したのが許せないってことよね」
私の言葉を聞いた綾乃は、目を丸くして口を噤む。そんな綾乃を見た瞬間、私の中にある嗜虐的な何かが、膨れあがるのを感じた。
そう、感じたのだ。けれど、止まらない。
「そこに私の意思は存在しないじゃない。何それ? ふざけてるの?」
「……違う、そういうことじゃ……」
普段は快活な綾乃が、弱気な表情を浮かべている。その瞳に浮かぶ光は淀んで弱り、力がない。
「そういうことじゃないの! 言っていることは! 綾乃はただ、私じゃなくて、私の見た目のことしか言ってない。髪がどうとか、バッカみたい!」
嗜虐的な何かが、怒りと混じって言葉を紡ぐ。荒々しく発せられたそれは、きっと綾乃を傷つけるのには充分だ。
現に、綾乃は目を丸くして、その瞳には怯えたような色を浮かべていた。
充分だとわかっている。やめた方がいいとわかっている。けれど、止まらない。
「綾乃は私に押しつけてばかりじゃない!? それでも友達なの? 私は綾乃のことを友達だと思ってるのに」
言わない方が良いと理解している言葉が、次々と口をついて出る。
「いや」
駄目だ。それだけは、言ってはいけない。
駄目だ、止まらない。
止める必要などあるのか、行ってしまえ、言ってしまえ。さあ、ほら。
私ですら、私を御し得ない。混沌がひたすらに頭をかき乱す。
私の中の野蛮な部分が、牙をむいて笑った。
「そんな歪んだ関係は――」
きっと友達なんかじゃない。友達だと、思っていた。
そう言おうと思った。破綻する言葉を、吐き捨てようと思った。
そこで。
「やあやあ君たち、盛り上がってるところ申し訳ないんだけどね」
聞き覚えのある声が、空気を塗り替えるように割り込んでくる。
そこにいたのは、香澄さんだった。香澄さんはエプロン姿、下はサンダルという非常にラフな格好だ。
「…………どうしました?」
私は綾乃を一瞥し、香澄さんに向き直る。
「おお怖」
「……なんですか」
失礼な態度だとは理解しているけれど、香澄さんの空気を読まない態度に、苛立って対応してしまう。
「いやこれ、忘れ物」
香澄さんはそう言って、スマートフォンを差し出してくる。見覚えがあるスマートフォン。
「……私の、ですね」
見覚えがあるどころの話ではなかった。
「机の上に置き忘れてたからね、持ってきたよ」
「……すいません」
「いいってことよ。出来れば、そこは『ありがとうございます』の方が良かったかな」
「……ありがとうございます」
香澄さんはニカッと笑い、「どういたしまして」と朗らかに言った。
「さて、私はここで帰ってもいいんだけど」
と言って、香澄さんは私たち二人を見る。
「……なんていうか、お節介を焼きたくなっちゃうよね~」
二マっという、粘質の笑みを浮かべる香澄さん。
「……いえ、結構です」
と私が断ると。
「いや結構じゃないね。綾乃ちゃん、さっきまでそんな顔してなかったもん」
香澄さんが綾乃を見る。その視線を追いかけると、そこには目を潤ませている綾乃がいた。
綾乃の瞳から、滴が漏れる。それを見た瞬間、私の胸がぎし、と軋んだ。
「……二人とも、何があったの? ちょっと話してみ。……なんなら、店で」
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