第3話 たこ焼き屋のお姉さん
学校を終え、帰宅途中。
綾乃は今日も部活なので、一人での帰路だ。
夕方の涼風が、短くなった私の髪を軽やかに撫でる。
今朝髪留めを見かけた地点に、差し掛かり、花壇を見る。
「まだ置いてあるんだろうな……ってあれ」
私の視界に、映っているべきもの――髪留めが、映っていない。もう一度見て、周囲を見回して見ても、そこに髪留めはない。
「……誰かが拾ったのかな。持ち主とか?」
そう自分を納得させるように独りごち、私は歩み始めた。
学校の最寄り駅には、すぐ近くに商店街がある。綾乃と一緒に帰るときには、よくここで買い食いしたりするのだ。
今日は特に何を買うでもなく、帰ろうか。そう思っていたとき、私の目に『本日オープン!』というプラカードを持った人間が目に映った。プラカードを顔の正面に持っているので、その人の相貌は窺い知れない。
「やあやあ、そこの少女、ちょっと寄っていかないかい?」
その声を聞いた私は、周囲を見回す。……現代日本の世相を反映したかのように、私の周囲には老人ばかりであった。
「君だよ君。そこのショートの子」
あ、私だ。……えー、私かー。
まさか、プラカードマン(今命名)に声をかけられるとは思っていなかった。顔が見えないから怪しさ三倍増しだ。
なんか、面倒ごとに巻き込まれそうな気がしてならない。というか、巻き込まれているのだけれど。
ダッシュで逃げようか。……でも顔見られてるしなぁ。
「……なんでしょうか」
諦めた私が、少し面倒くさげに返事をすると、プラカードマンはプラカードを下げる。
そこから見えてきたのは、一人のお姉さんだった。それも、綺麗な。プラカードと綺麗なお姉さんというギャップに、私は目を白黒させる。
お姉さんの髪は金色だった。しかしそれは人工的な色ではなく、どこまでも自然のそれに近い。瞳は青みを帯びていて、整った相貌にある鼻は高い。
「や、私はそこのたこ焼き屋のものなんだけどね」
お姉さんが親指を立てて指さす先には、たこ焼き屋。『オクトパ8』という店名であろう文字列が日よけに記されていた。どうなんだ、ネーミングセンス。
「どうだい学生、寄っていくかい?」
「……えーとまあ、はい」
別に帰ってすぐにやることもないし。そう思った私は、お姉さんのお店に向かうことにした。
ぼったくり居酒屋に引っかかる人も、今の私のように特に何を考えるでもなく、客引きに連れて行かれるのだろうか。
店の入り口は少し奥まったところにあり、店先にはテーブルと、向かい合うように椅子が二つ置いてあった。
それらはプラスチック製で、どこにでもありそうなものなのだが、オクトパ8という店名が耳なし芳一の如くぎっしり記されているので普通に怖い。
「さて、何を食べる?」
「何と、言われましても……」
周囲を見回す。手元を見る。ついでにカウンターを見る。
メニューらしきものが一切存在していなかった。もしかして頼めばなんでも作ってくれる系のお店なのだろうか。でもたこ焼き屋って言ってたしなあ。
「あ、ごめんごめん。メニュー出し忘れてた」
お姉さんはそう言って両手を合わせて音を鳴らし、店の奥からメニューを持ってくる。
メニューには筆で書いたような書体で、文字が記されていた。私はそれを読んでいく。
「……」
楷書体? 行書体って言うんだっけ、これ。普通に読みづらいので、早いところメニューを新調するのをお勧めしたい。
えーとメニューは……。
たこ焼き、これはまあオーソドックスだ。ネギ盛りとかもあるみたい。
明石焼き、けっこう珍しいチョイス。たこ焼きと明石焼きは似ているが、その実体はかなり異なると聞いた。
たこ焼きせんべい、見たことのないメニューだが、横に書いてある説明文によると、たこ焼きを数個並べて、イカせんべい用の機械でプレスするらしい。面白そうだ。
ベビーカステラ。
……ベビーカステラ?
いや、先の三個はまだわかるけれど(しょっぱい味なので)、ベビーカステラはなんかもう守備範囲が違うだろう。
甘い物を食べたいという女子高生のニーズを見据えたのだろうか。ただ、ベビーカステラを食べるぐらいならカフェやタピオカ屋に行くって言う子の方が多い気がする。……けど黙っておこう。
「どう? 決まった?」
「え、あ、いやー……」
返答に詰まる私。メニューが多岐にわたるせいもあるが、それよりもベビーカステラのインパクトで頭が混乱していた。
「……えーと、おすすめとかあります?」
困った末の、丸投げ戦法。お姉さんはにっと、屈託のない笑みを浮かべる。
「まあ強いて言うなら、全部かな」
「ぜ、全部ですか……」
答えになっていない答えを返されて、困惑するしかない私。そんな私の様子を察したのか、お姉さんは「まあ」と切り出す。
「オーソドックスにたこ焼きじゃないかな」
「あ、やっぱりそうですか。じゃあそれで」
「まいどあり。小麦粉は日持ちするけどタコはそうはいかないからね」
お姉さんが笑いながら言い放った言葉を、私は作り笑いを浮かべて流した。反応に困ったときはこれに限る。
お姉さんはカウンターの奥でしゃがむ。何やら冷蔵庫を開く音が聞こえてきたので、そこに食材が入っているらしかった。
「さて、と」
お姉さんは気合いを入れたあと、エプロンのポケットから何やら物を取り出す。
「……あ」
見覚えのあるそれに、私は思わず声を漏らす。
それは髪留めだった。それも、今朝マンションの花壇で見たものと同一である。どうやら、持ち主が見つかったらしい。
「どしたん?」
私が目を丸くしていることに気づいたお姉さんは、髪を纏めたあと、私に尋ねてくる。
「いやその髪留め……」
「あ、これ? もしかして君の?」
「……あれ? お姉さんのじゃないんですか?」
私がそう言うと、お姉さんは苦笑して首を横に振る。
「違う違う。落ちてたのを拾っただけで、私のじゃないよ」
「あ、そうなんですか……」
落ちていた髪留めを使うその図太さに私は下を巻いていると、お姉さんが「はい」と焼き上がったたこ焼きを手渡してきた。
「はいよ、八個入りいっちょあがり」
「あ、どうも」
商品を受け取り、代金を手渡そうとする。お姉さんの真っ白い手が私の手を包み込み、硬貨は消えていった。
「良かったらここで一個食べていって欲しいな」
「あ、それは別に構いませんけど……」
お姉さんの言うとおりにして、たこ焼きを一つ、ほおばってみる。
「ふぁふっ(熱っ)!」
焼きたてホヤホヤなだけあって、その熱さはかなりのものだ。私は耐えつつ、味わう。
お姉さんのたこ焼きは、外はふわふわ中はとろとろに焼き上がっていて、所謂関西風のそれに近い。生地は出汁の味がよく効いていて、ソースをかけずにそのままいただいてもイケそうである。
「どう? 美味しい?」
私が食べ終わったのを見計らって、お姉さんがカウンターから身を乗り出して問う。その口調こそ落ち着いているものの、所作からは落ち着きが全く感じられない。
「あ、はい。美味しいです」
「どこらへんが?」
細かいところまで聞いてくるお姉さん。めんどくせえ、と一瞬思ったけど、我慢我慢。
私は、思ったことをそのまま伝えることにした。
「生地の出汁はよく効いてますし、焼き加減も良いですし……」
「でしょでしょ! いやー、生地の味付けは結構頑張ったんだよ! そこに目を付けるだなんてお目が高い!」
破顔するお姉さん。つられて私も口元をほころばせてしまう。
「ただねー」
お姉さんが先ほどの様子からは打って変わって、少し暗い顔を浮かべる。
「ただ?」
「オープンしたてだからか知らないんだけど、あんまりお客さん来てくれないのよ」
「あー……」
言われてみて周囲を見回すと、お客は私一人。視線の先では、買い物袋を携えた主婦らしき人が、歩き去って行くのが見えた。
「だからね、君。えーと……」
「……名前、ですか?」
「あ、そうそう。なんていうの?」
「桐生ツカサ、と申しますが……」
「ツカサちゃん、ね。私は鏡原香澄。よろしく」
お姉さんが手を差し出してくる。私もおずおずと返すと、しっかと手を握られた。
「ツカサちゃん、君にお願いがあります」
「……お願い、ですか」
何だろうか。この時点で結構面倒くさいけれど、面倒なお願いじゃなければいいなあ。
「そう、お願い。是非、君の友達にもこのお店を布教……もとい宣伝して欲しいんだ」
「あ、なるほど、そういうことですか」
お願いと言われて多少警戒していた私は、肩すかしを喰らったような気分になる。
「それならお安いご用ですよ」
「本当に!? 助かるよ!」
香澄さんは目をきらきらさせて、私の手をぶんぶん上下に振る。それに追従して私の視界がちょっとだけ揺れた。
「ええ、大丈夫です」
値段もお手頃だし、綾乃を部活帰りに連れてきたら喜びそうだ。
私はたこ焼きを食べ終えて、空のトレーをカウンター横のゴミ箱に捨てる。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「だろうね。お粗末じゃないけど様でした」
香澄さんはニッと笑う。
「また明日も来ます。今度は、友達を連れて」
私がそう言うと、香澄さんはもう一度笑った。
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