街灯、赤

 藍はひとけのない道を歩いていた。

 時刻は十時を過ぎており、空には不気味に濁った白い月が浮かんでいる。

 月に雲が被り、道はいつもより暗く感じられた。

 その道は比較的細い道でところどころに街灯はあるものの、街灯と街灯の間には暗闇がある。


 藍は仕事で帰りが遅くなることが多いので、いつも夜道を歩くことになる。

 普段は人通りの多い道を通るよう心がけているのだが、今日は体が疲れてしまったので近道をすることにした。

 彼女は足早にその道を歩いた。

 秋風が通りを吹き抜け、藍は上着を引き寄せた。


 道を進むと、行く手の壁に男が寄りかかっているのが見えた。

 男は禄のある帽子を深く被り、黒いコートを羽織っている。

 急に嫌な予感がしてきた。

 藍は男の前を通りかかるとスピードを上げた。できるだけ男の方を見ないように歩く。


 出し抜けに藍は腕を掴まれた。

 男はニヤけた顔で藍のことを舐め回すように見た。


「どこ行こうってんだ? ちょっと遊ぼうぜ」

「は、離してください!」

「離さねえよ」


 男は藍の体を抱き寄せた。

 藍の口から叫び声が出た。


「あっ、こらっ大きな声を出すな!」


 男はキョロキョロと周りを伺った。

 と、その時道の向こうに人影が現れた。


「何やってるんだ」


 低く、すごみのある声だった。

 男は何やらポケットをガサゴソし始めた。

 道の向こうに居た男性はこちらへ駆け寄ってきた。

 男はコートの内側から、キラリと光る物を取り出した。街灯の光に照らされてそれがナイフだとわかり、藍は叫んだ。


「危ない!」


 助けに来た男性は男が突き出すナイフに対し、体を翻しながら男の顔面に拳を喰らわした。

 鈍い音が鳴って、男は地面に勢いよく倒れると動かなくなった。一発KOだ。


「お怪我はないですか?」


 男性は自分の肩を押さえながら藍の方へ向き直った。


「は、はい。大丈夫です……助けてくださってありがとうございます」


 街灯の光で照らされた彼の腕からは血が流れていた。


「大変! 病院に行かないと」


 藍は彼の元へと歩み寄って顔を覗き込んだ。

 彼はかなり筋骨隆々の体つきをしており、懐っこい顔をした若い男性だった。

 運動用のパーカーに短パンという姿から、どうやらランニングの途中だったようだ。

 藍の顔を見て、彼の顔ははっとした表情へと変わった。


「すみません、あなたのお名前は?」


 彼はいきなりそう尋ねた。


「えっ? 私の名前ですか? 私は……北島藍です」


 状況にそぐわない問いに戸惑いながらもそう答えると、彼の顔はぱっと明るくなった。

 それからにこやかに笑うと、彼は藍の手を取った。


「藍姉ちゃん……。俺、強くなったよ。藍姉ちゃんを守れるようになったよ……!」


 どこか懐かしいその笑顔を見て、藍の頭の中で目の前にいる彼の顔と、以前、家出をして藍の家にやってきた少年の顔が重なった。

 藍は彼の手を強く握り返した。


「強くなったんだね……! 守ってくれてありがとう……世成君」



 北条ほうじょう世成せな。彼は今、多くの大会で優勝を勝ち取り、業界で注目を浴びているプロボクサーの一人だ。


 

 *****



 彼は彼女との誓いを守ったのだ。

 言葉にすることでそれは現実になる。

 世成が遠い昔に放った言葉が、今、街灯の下に帰ってきていた。



 彼の腕から血液が流れ出た。

 街灯に照らされたコンクリートの上に真っ赤な模様が浮かび上がる。

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