川、一枚の木の葉

 藍と仁志は森の中を歩いていた。

 土の道は柔らかく、冷えた空気には草木の香りが漂っている。

 道は渓流に沿って伸びており、木々の間を静かな水の音が響いている。


「綺麗だねー、仁志君」

「うん。空気が澄んでいて気持ちが良いね」

「あっ、見て! あそこに鹿がいる」

「おお、本当だ」


 涼しい風が二人の頬を撫でた。

 藍は手を大きく広げ、目をつぶった。

 仁志もそれを見てまねる。


「なんか、綺麗で静かな所にいると、『生きてる』って感じるなあ」

「たしかに。とても気持ちいいね」


 森の中、二人以外に人の姿は見えなかった。

 二人は肩を並べてゆっくりと歩いた。


 二人は小さな橋の上に出た。藍は橋の端っこにしゃがみ込んで、下を流れる川を覗いた。

 続いて仁志も川を覗き込む。

 川の水は透き通っており、底がしっかりと見えるほどだった。川底を小さな魚たちが泳いでいる。


「魚がいる。可愛い」


 仁志は魚に見入る彼女の横顔を見つめた。

 彼女は仁志の視線に気が付いて、顔を上げた。

 彼女は子どものような笑顔を浮かべて仁志に寄りかかった。心地の良い温もりが感じられた。

 二人はそうして、しばらく川の流れを見ていた。


 二人が立ち上がると、仁志は背にしていたリュックを開け始めた。

 不思議そうに見ていた藍に後ろを向くように言い、藍は言われたとおりに後ろを向いた。

 背後から何やらガサガサと音がする。


「振り向いて良いよ」


 彼の言葉に従ってゆっくりと後ろを振り向くと、彼は花束を抱えて立っていた。

 オレンジ色のチューリップが彼の腕の中でいっぱいに咲いている。


「わあ。素敵」

「僕からのプレゼント。再開から一ヶ月記念」

「嬉しい。ありがとう仁志君」

「藍さんに喜んでもらえて嬉しいよ。オレンジ色のチューリップの花言葉は『永遠の愛情』なんだ……って花屋さんから聞いたよ」


 彼は少し照れ気味に言った。

 藍はそれを聞いて不思議な顔をした。


「あれっ、私オレンジ色のチューリップの花言葉は『照れ屋』って聞いたことあるんだけど……」


 仁志の顔がみるみるうちに赤くなっていった。


「えっ、お花屋さんは確かにそう言ってくれたのになあ。お、おかしいなあ……」


 藍はくすっと笑うと花束を受け取った。


「どっちの意味もあるのかも。どちらにしてもぴったりだよ」


 仁志は頭を掻きながら赤い顔で笑った。

 二人はまたゆっくりと歩き出した。



 しばらく行ったところに、大きな切り株があった。

 藍と仁志はそこに並んで座った。

 森の中では頭上に広がる葉の隙間から、あちこちに光の筋が差し込んでいた。まるで天国から届いた光のようで幻想的な光景だった。

 彼らの座る切り株も、木漏れ日に照らし出されている。

 一枚の木の葉がひらひらと舞い降りて、藍の頭の上に乗っかった。

 仁志はそれをそっと取った。

 藍の顔がすぐそこにあった。彼女と目が合い、仁志は自分の耳に鼓動が聞こえてきた。


 藍が仁志の目を見つめてから目をつぶった。



 仁志はゆっくりと顔を近づける。



 *****



 森は美しかった。

 その中で二つの輝きの間に広がる愛は神秘的だった。

 

 あれだけの愛を与え合えるなんて、と少し羨ましくもなったが僕だって愛のなかに生きている。……といっても羨ましいことに変わりはない。

 水も恋ができればいいのに。



 川の水面へと舞い降りた木の葉は、くるくる回りながら音もなく流されていく。

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