俺ばっかり話してる
「これだ、イケメン僧侶の出すコーヒーで心の中も暖まる、だってさ」
「カフェ キッコ。モデル顔負けの長身イケメン僧侶、
声に出して読むうち、僕も馬鹿らしくなってきた。
「その東林寺ってお寺、元々の住職がバブルの頃に借金作って、そこから傾きっ放しらしいよ。でもまあ立地が悪くないから、本山が一枚かんで敷地を切り売りしたり、代わりの住職を派遣したりして持たせてる。で、今はこの黙如ってのが雇われ住職で、坊主カフェとかイベントとかチャラチャラやってるのね。檀家の婆さんたちにも人気あるみたい」
居間のソファに座っていた美蘭は大きく伸びをすると、傍で丸くなっている三毛猫の
僕と美蘭がいま住んでいる古い洋館は、この猫の飼い主だった老婦人のものだ。彼女が「小梅が天寿を全うするまで、この館の増改築と売却を禁ずる」と遺言したので、僕らは住み込みで小梅の世話をする代わりに、家賃を免除されているというわけ。
「しかし
「うん、まあ、その」
いきなり僕は口ごもる。何からどう言えばいいんだろう。サバエが美蘭も誘ってこのカフェに行きたがってて、その目的はイケメン黙如に、僕が美蘭よりサバエの方が綺麗だと言ったとアピールする事だという、ややこしい割に意味のない話を。
「五秒以内に言わなかったら、あんたの部屋にハクビシンぶち込む」
美蘭のこういう台詞が脅しじゃないのは、以前バスタブにオオサンショウウオが入ってたことで実証済みだから、僕は彼女が「三」まで数えたところで観念した。
話を聞いた彼女は、表情を変えずに「ふーん」とだけ言って、小梅を抱き上げると居間を出て行ってしまった。
どうやら美蘭の「ふーん」はイエスだったらしくて、彼女と僕、そしてサバエの三人は翌日の放課後、件の坊主カフェを訪れた。
「やあようこそ、本当に来てくれたんだね」と、黙如は濃い顔に全開の笑みを浮かべて僕らを歓迎した。
「だって約束って言ったじゃん」とサバエが少し拗ねた口調で返すと、「そうだよ。君はいい子だね」と、黙如は彼女の頭を撫でる仕草をした。
「狭い店だけどさ、ゆっくりして」と、彼は僕らをカウンターに座らせる。僕が一番入口側で、サバエが隣で、美蘭はその向こう。店はいわゆる鰻の寝床って感じに細長く、L字のカウンターには八席、壁沿いの長いシートには丸テーブルが四つ設えてある。カフェというよりバーの内装だ。
「
この前ちょっと会っただけなのに、黙如は僕らの名前を把握していた。今日は帽子はかぶらず、紫を基調にしたサイケな柄シャツの襟をはだけ、胸元にはシルバーのチェーンを光らせている。
「君は亜蘭くんによく似てるから、双子の美蘭さんだね」
「そう」とだけ答えて、美蘭は手元のメニューに視線を戻す。サバエは「ねえ、なんで靖江ちゃん、美蘭、さんなの?」といきなり不満そうだ。
「いや失礼、彼女の方がちょっと大人っぽい感じがしたんだよな。君たち高校何年?」
「全員高三よ。でもって私の呼び方は美蘭でいいから。さんとかちゃんとか、似合わないし」
美蘭はさらりとそう言って「杏のタルトとホットコーヒー」とオーダーを入れた。
サバエは「私どうしよう!亜蘭は?何かシェアする?」と、メニューを開けたり閉じたりしながら聞いて来るけど、僕もまだ決めてなかった。美蘭はだいたい食べる事しか考えてないから、こういう判断が異様に早いのだ。
「ええと、じゃあ私、ホットココアとブラウニーのチョコアイス盛り」
サバエの選択は「どんだけチョコレート好きなんだよ」というレベルで、僕の感想は素直に顔に出たらしい。
「ねえ、私のことチョコ食べ過ぎって、いま思ったよね」
「思ってない」
「でも、うわあ、って顔したもの」
「してないよ」
「だったら私と同じの選びなよ。ね?一緒がいいよ」
なんだか不条理な理由から、僕も彼女と同じものを頼む羽目になった。本当はコーヒー飲みたいんだけど、なんて言えそうもない。美蘭は営業スマイルで「チョコっていくらでも食べられるよね」とサバエにエールを送っていた。
僕だって甘いものは嫌いじゃないけど、濃厚なホットココアを飲み、ずっしり重いブラウニーを食べるには強い意志が必要だった。でもサバエは「ああやっぱ、チョコうめー」とフルスロットルだ。
「本当にチョコレート好きなんだね」と、黙如も感心している。
「うん。ブタになるから家じゃあんまり食べらんないし、外じゃ余計に食べちゃうかな」
「でもブタには程遠いよ。誰かがそう言ってるの?」
美蘭が杏のタルトを食べながら尋ねると、サバエは「そういうわけじゃないけど」と首を振った。
「うちの
「そうなんだ」と、僕はサバエの姉、真柚のスレンダーな姿を思い出して納得していた。やっぱり、サバエほど強欲じゃないんだ。
「真柚ちゃんは夜中に冷蔵庫あさったりもしないんだよね。そりゃ、私も本当はしたくないけど、晩ご飯しっかり食べても後でお腹すくんだよ。私、どっかおかしいのかもね」
「夜中にお腹すくのなんて普通よ。十代なんて食べ盛りだもん。すいません、私もブラウニー下さい。アイスはバニラで。あとコーヒーお代わり」
美蘭の追加オーダーに、黙如は「いい食欲してるね」と親指立ててみせた。サバエは「じゃあ私も杏のタルト食べたいな。亜蘭、シェアしようよ、ね?ね?」と押してくる。そしてもちろん、断れる雰囲気じゃないし。
「ねえ、黙如さんって、どうしてお坊さんしてるの?」
二杯目のコーヒーを受け取りながら、美蘭は少し打ち解けた感じで質問した。
「それはつまり、俺が坊主だと違和感あるって事かな?」
「まあ何ていうか、僧侶というにはチャラい印象だから」
「いきなり剛速球だね。でもチャラいってのは見た目でしょ?君たち仏像は見たことあるよね。仏様ってあれでなかなかスタイリッシュだし、瓔珞、っていうんだけど、ペンダント系のアクセサリもつけてるし、ピアスも開けてるし、俺はそういうの取り入れてんだよ。着るものもね、ガンダーラ仏のドレープなんて、ちょっとこう、グラムロックっぽいじゃない」
「だったら頭剃らないで、ロン毛で束ねといた方がいいわよ」
「そこは大人の事情っていうか、本山が見逃してくれるギリギリのラインだったりして」
美蘭に突っ込まれ、黙如は却って嬉しそうに言い訳した。
「まあ正直なところ、俺は進んで坊主になったわけじゃないんだよね。お寺の息子ではあるけど、兄貴が跡継ぎは嫌だって出て行ったから、仕方なく仏教系の大学に進んで、八年かかってどうにか卒業してさ。その間めいっぱい遊んだよね。で、ようやく実家に戻ったところへなぜか兄貴も戻ってきて、会社辞めたからお寺を継ぐって言うんだよね。
冗談だろって思ったけど、向こうはあと二か月で妻が出産って極限状況。両親だって孫と住みたいに決まってるし、必然的に俺がはみ出しちゃった。跡継ぎしないでいいから、よく言えば自由になったんだけど。
でも俺は坊主の職業訓練しか受けてないから、他にできる事がない。それでお寺関係をあちこち流れて、東林寺に落ち着いたってわけ」
「何もできないって、カフェの店長で十分務まってるじゃない」
「ここだって坊主を看板にしてるからね。普通のカフェは無理無理」
黙如は自虐的にそう言って笑った。
「しっかし駄目だな。お客さんに好きな事しゃべってもらう店なのに、俺ばっかり話してる。ちょっと静かにしよう」
そこへすかさずサバエが「だったら私、話すことあるし」と声を上げた。
「亜蘭は私とつきあってまだ十日も経ってないんだけどね、もうメロメロなんだよ。彼に言わせると、私って美蘭より綺麗なんだって。ねえ、どうかしちゃってると思わない?」
ああ、すごくいたたまれない。
別に美蘭に申し訳ないのではない。僕が嫌なのは、苦し紛れで吐いた自分の言葉に、サバエがこんなにも舞い上がってるという現実だった。
ただ、黙如が「そっかあ、君たちラブラブなんだ。いいねえ」と、真剣に頷いたおかげで、僕の気持ちは少し楽になった。
チョコレート並みに濃いサバエの世界観を自分一人で背負わずにすむなら、ラブラブでもメロメロでもいいから誰かにすがりたい。
美蘭はそんな僕らを横目で見ながら、涼しい顔でブラウニーを食べてるけど、サバエは彼女にも話しかける。
「何かさあ、一生お前だけ見てるとか、お前のためなら命捨てるとか、女の子が言われたい胸キュンフレーズっていっぱいあるよね」
「そうよね、お前だけはぜってぇ守る!とかね」
不思議なもので、美蘭の言葉だと僕は自動的に反論する。気がつくと「守るって、一体何からだよ」と口走っていた。
「あらやだ、女の子って何からでも守られたいのにね」
「普通の生活してて、そんなにあれこれ襲ってこないし。まあ、せいぜいインフルエンザぐらいだろうけど、守るの“ぜってぇ”無理だから」
「うわあマジでウザい。今、死ぬほどムカついた。サバエちゃん、これが亜蘭の正体だからね、つけあがらせちゃ駄目だよ」
美蘭はいきなり営業モードを捨てると、サバエの席を越えて僕の脛に蹴りを入れてきた。殺気だった空気を何とかするつもりなのか、黙如は「ねえ君たち、クリスマスの予定は決まってる?」と話題を変えてきた。
「この店はもちろん、お客さんの宗教を問わないよ。でも、クリスマスには乗り切れないって人のために、ちょっとしたパーティーをやる予定なんだ。お釈迦様の誕生日、花まつりまであと百四日のカウントダウン。よかったら遊びに来て」
「残念だけど、私は予定あるから無理。友達と長野に星見にいくの」と、美蘭はそっけない。サバエは「うちらも予定あるけど、ちょっとだけなら来てもいいかな、ね?」と僕の顔を覗き込む。僕はもちろん予定なんかないけど、ここは頷いておくのが無難だと判断した。
そしてパーティー当日のクリスマスイブ、僕はベッドから起き上がれずにいた。前の夜から妙にあちこち痛いと思ってたんだけど、目覚めたら四十度近い熱で、インフルエンザらしかった。
まるで僕の周囲だけ重力が五倍になったみたいでほとんど動けず、ひたすら眠り続けて切れ切れの夢を漂う。そしてたまに息継ぎをするように現実に戻っては、カーテンの隙間から入る日差しだとか、天井のシミだとかを眺めているうちに、また眠りに落ちる。
気がつくと三毛猫の小梅が鼻をくっつけるようにして僕の顔をのぞき込んだりしてたけど、どうやらずっと僕の傍にいたらしい。まあ、人間の病気は猫にうつらないらしいから、気にすることもないか。
そして再び夢うつつで過ごしていると、何かが近づく気配があった。また小梅かと思った僕の額に触れたのは人間の指。そのひんやりした心地よさに思わず目を開くと、美蘭が立っている。
「やだよねえ、こういうの」
彼女は僕の枕元で丸くなっていた小梅に話しかけると、抱き上げてベッドに腰を下ろした。
「こいつのおかげで、私まで隔離されちゃってさ」
「なんで?」と質問したけど、自分の声がどこか遠いところから聞こえる気がする。
「だって私も感染してるかもしれないじゃない。呑気に出歩いてウイルスばらまくほど馬鹿じゃないから。でもまあ、サバエちゃんも黙如も無事らしいから、感染したのはあんただけだね」
「ついてない」
僕はまた目を閉じた。自分だけインフルエンザになった理由はきっと、サバエに振り回されたストレスのせいに違いない。
「ついてないのはこっちよ、全く。ちょっと起きて、これ飲んでくれる?」
乱暴に揺さぶられてしぶしぶ目を開けると、美蘭が小さな保温ジャーに入った液体を差し出している。赤みを帯びた褐色で、うっすら湯気がたっていて、酸っぱいような、かび臭いような匂いを漂わせている謎の液体。
「あんたがインフルエンザでぶっ倒れたって言ったら、
「何が入ってるの?」
「たぶんハクビシンのゲロだね」
「捨てていい?」
「捨てたら本物のハクビシンのゲロ飲ます」
僕はもう何も言わず、身体を起こしてその液体を飲んだ。苦くて、臭くて、渋い。あまりのまずさに涙すら出てくるけど、頭の隅の醒めた部分は、これを飲めば楽になると判断している。
宗市さん、というのは僕と美蘭の後見人のパートナーだ。後見人はとんでもなく悪辣な人物だけど、宗市さんはまあ一言でいえば天使みたいな人。薬に詳しくて、ちょっとした病気なら彼の煎じてくれた薬草ですぐに治ってしまう。問題は、それが死ぬほどまずいって事。
「地獄みたいな味」と、空になった保温ジャーを突っ返すと、美蘭は「しゃべるな、臭いんだよ!」と、思い切り腕を伸ばしてそれを受け取り、大急ぎで蓋をした。そして足元に置いていたミネラルウォーターのボトルを手にすると、蓋を開けて差し出す。僕はもう何も言わずにそれを受け取り、全てを洗い流す勢いで一気飲みした。
「あとはこれ飲んで自力更生してね。サバエちゃんには元気になったらまた連絡するって言ってあるから」
いつの間に運び込んだのか、ベッドの足元にミネラルウォーターとスポーツドリンクのボトルがいっぱい並べてある。美蘭は立ち上がると、胸に抱いた小梅に「下でレコード聞いて、クリスマスのおやつ食べようね」と話しかけながら出て行ってしまった。
死ぬほどまずかった煎じ薬のせいなのか、僕はその後すぐにまた眠った。今度のはとても深い眠りで、夢すら見ない。次に目が覚めるともう夜で、スタンドの小さな明かりだけが部屋を照らしていた。足元にまた小梅のいる気配がしたけど、猫は明かりのスイッチは入れないから、美蘭が来たのかもしれない。
喉が渇いたのでスポーツドリンクを飲んで、それからまた目を閉じる。
クリスマスイブなんて、みんな楽しい事でもありそうに言うけど、僕には今までそんな事一度もなかったし、これからもきっとそう。美蘭は長野に星を見に行くとか浮かれてるけど、吹雪にでもなればいいんだ。
そこまで考えて、僕は何かがおかしい事に気づいた。
長野に行ってるはずの美蘭が、この家にいる。僕のインフルエンザのせいでドタキャンか。だとしたら、僕は美蘭の、ほぼ彼氏である
急に、天井がぐるぐる回ってるような気がして布団をかぶる。たぶんまた半殺しの目に遭わされるだろうけど、まあそれは今じゃない。とりあえずは一番得意な、もうどうでもいいかという考えに逃げ込み、僕は再び深い眠りに落ちていった。
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