古い知り合いってやつ

 みんな一体ここへ何しに来てるんだろう。

 群れをなして回遊する魚の一匹になったような気分で、僕はゆるい坂道を下る。やたら目につく十代の女の子は、制服姿だったり、流行をしっかり追いかけた私服だったり、ロリータファッションで外国からの観光客と写真をとってたり。

 彼女たちをここに引き寄せているのは何だろう。お小遣いで手が届く範囲のアイテムを揃えたショップ、アイドルが写真をアップしたスイーツ、芸能事務所のスカウトが来ているという噂。どれも正解なようで、間違いに思える。ふだんこのあたりに足を踏み入れない僕は、喧噪と人の多さに眩暈を起こしそうになっていた。

「ねえ、次の角で曲がるよ」

 力強く腕を引っ張られて、我に返る。隣には制服の上に紺色のピーコートを着たサバエ。僕は彼女に連れられてここに来たのだった。


 サバエの一方的な交際宣言を、僕はいまだに断れずにいる。その理由は猫。

 僕と美蘭みらんはあの日、まだどこかにいるらしいミント一号、つまり迷子になった最初の猫を探すために杉田家の近くまで戻った。しかし一号が失踪したのは半月近く前の事だし、その気配もすっかり薄れていて、僕はうまく跡をたどる事ができなかった。

「何よ、まだ生きてるとかって偉そうなこと言っといてさ。役立たず」

 美蘭は冷たく言い放つと、ブロック塀の陰から杉田家に視線を向けた。

「まあ、まだ可能性はあるか。あんたあの子、サバエちゃんと仲良くなってさ、一号のことよく調べて来なさいよ」

 そして彼女は僕になりすまし、サバエに「金曜の放課後空いてる?どっか行こう」なんてメッセージを送りつけたのだ。


「ほら、この店でアイス食べるの、夢だったんだよ」

 いつの間にか僕らは小さなアイスクリームショップの前に立っていた。

 いきなり二人で出かけることになったけど、不幸中の幸いはサバエが主導権を握るタイプだったことだ。おかげで僕は彼女について歩きまわるだけでいい。

 パリの街角にでもありそうな外観の店は、奥がイートインコーナーで、座っている客の姿がガラス越しに見えた。ほぼ満席か、と考えている僕の腕を引っ張って、サバエは中に入ると「キャラメルファンタジーとラズベリーノエルのハーフカップでココナッツとマシュマロをトッピングして下さい」と一気に言ってのけた。

亜蘭あらんは?何にする?」

「いやあの、まだ全然よく見てなくて」

 僕は何だか判らないままに、ショーケースを凝視した。とりあえずこの世に不味いアイスクリームは存在しないはずだから、どれを選んでも外れはないだろうと考え、一番近くに並んでいるバナナラプソディとフロマージュノワゼットを選び、チョコレートチップをトッピングにする。そして美蘭から支給された軍資金で二人分を払った。

 どんな店でも僕は人目につかない、奥まった席が好きなんだけど、先をゆくサバエは「こっちこっち」と窓際へ突進し、空いていたテーブルを確保した。

「この店、よく来てるの?」

 ピーコートを脱がず、早速アイスを食べようとしているサバエに僕は尋ねた。

「初めてだよ。ここ来るの夢だったって、さっき言ったじゃん」

「だけど、すごく慣れた感じでオーダーしてたよね」

「うん。だって夢だから、ここのホームページでメニューチェックして、どれ食べるかずっと練習してたんだもん。ラズベリーノエルなんかクリスマス限定だからさ、間に合ってよかったあ」

「でも別に、いつでも来れたんじゃないの?」

「だからさ」と、サバエはちょっとうんざりした顔で首をかしげてみせた。

「ここ、カップルでないと入れないから」

 言われて周囲を見回すと、確かにどのテーブルも二人掛けで、しかも年齢の幅は多少あるものの、カップルのみ。一組だけ男同士がいたけど、明らかにゲイって判る雰囲気だった。

「そんな決まりがある店なんだ」

「決まりはないけどさ、うちらの間じゃそういう事になってるの。ここに友達同士なんかで入るのは、裸で外歩くより恥だから」

 サバエの言う「うちら」って、総勢何名のコミュニティなのか知らないけど、とにかく現時点で店にいる客は全員そのメンバーって事だろうか。

「あーうめー。これがファムファタールの味かあ」

「この店、ファムファタールって名前なんだ」

「そう。フランス語みたいよ」

「運命の女性」

 仰々しい名前の店だと思いながら、僕が溶け始めたアイスクリームを食べようとすると、サバエは「やーだあ!」と叫んだ。

「亜蘭って、口説くのうまいよね」

「え、別に口説いてないけど」

「私のこと運命の女性だなんてさ、ズキューン!とまではいかないけど、かなり来たよ。コミュ障で馬鹿だけど我慢してねってお姉さん言ってたけど、全然大丈夫じゃん」

「いやだから、それ店の名前…」

 僕が言い終わる前に、サバエは手にしたスプーンを僕のカップに突っ込み、「もらいっ!」とバナナラプソディを抉り取っていった。

「これも濃厚でうめー。ねえねえ私のも食べなよ」

「いや、いいです」

 僕はもう十分に疲れを感じていたけど、サバエはようやく暖機完了といった感じで、アイスを平らげると「じゃあ行こっか」と立ち上がった。

「来るのが夢だったって割に、早いね」

「だって時間がもったいないから。さっきの運命って言葉で確信したよ。早く報告に行かなきゃ」

「報告?誰に?」


 行けば判るって、とだけ答えて、サバエは人の流れをすり抜けながら足早に歩いた。

 クリスマスまであと少しで、聞こえてくる音楽もそうだし、どこの店にも何かしらそんな飾りが施されているけど、僕自身はこのお祭りに思い入れなんて別にない。

 そうやってどんどん歩くうち、僕らは別のエリアに流れ着いていた。さっきまでの明るくきらめいた街並みに比べると、ここの空気は鈍く沈んでいて、気温も低いように感じる。サバエは迷う気配もなく歩き続け、車一台がようやく通れるほどの脇道へ曲がった。立ち並ぶのは雑居ビルで、格安エステサロンとか、まつ毛エクステやリンパマッサージといった看板ばかり目につく。

 しばらく歩くと間口の狭いコンビニがあって、サバエは「ちょっと寄るね」と宣言する。自動ドアが開いた途端に漢方薬みたいな匂いがして、どうもここは普通のコンビニじゃないと判った。チェーン店じゃなくて、インディーズ。パッケージにハングルや中国語の書かれた商品がやたらと目につく。

 カウンターにはセルフサービス用の電気ポットや電子レンジと並んで、炊飯器のようなものが置いてあった。蓋はなくて、茶色く煮しめた殻つきのゆで卵が山盛りになっている。漢方薬の匂いはここから漂ってくるのだ。サバエはそこへ近づくと、備え付けのポリ袋を一枚取り出し、トングを片手に卵を三つ放り込んだ。それからレジに移動して、「おでんつゆ下さい」と言った。

 店番のおばさんは黙って頷き、おたまを手にすると、カウンターの中で湯気をたてているおでん鍋からつゆだけすくってコーヒーのカップに入れ、プラスチックの蓋をする。

「卵三個個百八十円、おでんつゆ三十円で二百十円」

 このお金も僕が払うべきなのかな、と考える間もなく、サバエは自分で支払いを済ませると「これ持って」と、卵の入った袋を差し出してきた。

「そのカップも、持とうか?」と、聞いてみたけど、「いいよ。自分で持たなきゃ意味がない」という返事。そして店を出てしばらく歩くと、サバエは「ちょっと待って」と立ち止まった。

 彼女の視線の先をたどると、ビルの隙間に小さな祠があった。中には地蔵が祀られているみたいだ。周囲のくすんだ色合いの中で、作り物の仏花だけがいやに鮮やかだった。

「ここにお供えするんだよ」と、サバエは腰を屈めておでんつゆのカップを祠の中に置く。

「なんで?」

「お願いが叶ったお礼」

 そして彼女は掌を合わせ、目を閉じていたけれど、すぐに「よっしゃ」と背を伸ばして「行こっか」と歩き始めた。

「あの地蔵、何のご利益があるの?」

「恋愛祈願。ただし女子限定だからね。それと、地蔵じゃなくて、やまけんさまっていうんだよ」

「やまけんさま?」

「なんかさ、ずっと昔やまけんって大企業に勤めてた女の人がいて、この辺で殺されちゃったんだよ。超エリートだったのに、夜は売春してたんだって。でさ、それ以来、彼女の幽霊がこの場所に出るようになったの。夏でも冬でもトレンチコート姿で立ってて、男の人に声かけられると「おでんのつゆだけ買ってきてください」って頼むんだってさ。で、言われた通りに買って戻ると、いなくなってるの」

「ふうん」

 ちょっとした都市伝説って奴か。

「でさ、皆が怖がってここを避けるようになったから、近所の人がお金出しあってお地蔵様を祀ったの。そしたら幽霊が出なくなったって」

「でもどうして、おでんつゆなの?」

「知らない。好物なんじゃない?あそこのコンビニじゃ一年中売ってるし。とにかく自分の願いが叶ったら、お供えしなきゃいけないんだよ。でないと祟りがあるって」

「なるほど。さっき言ってた報告って、この事なんだ」

「違う違う、まだ行くとこあるから」

 そしてサバエは再び足早に歩き始めた。角を曲がり、坂を上がって、鉛筆みたいに細い雑居ビルのドアを押す。並んだ郵便受けのいくつかはチラシでいっぱい。「テナント募集中」という手書きのポスターがその脇に貼ってある。

 ためらう様子もなく、靖江は薄暗い廊下をまっすぐに進んだ。正面に塗装の剥げたドアがあり、壁際に丸いパイプ椅子が三つ並べてある。ドアノブに「営業中」という札が掛かっている以外、看板も何も出ていない。そしてドアの前には雑種の斑犬が寝そべっていた。

 犬はちらりと僕らの方を見て目をそらす。首輪にはリードならぬ、煤けた縄がついていて、その端はドアノブに縛りつけてある。

「もしかして、この犬に会いにきたの?」

「まさか、これはただの犬だよ。亜蘭って面白いこと言うよね。ブチ、ちょっとどいて」

 サバエがそう声をかけると、犬は仕方ないな、という顔つきで立ち上がって道を譲る。彼女は「こんちは、まだやってる?」と言いながらドアを開いた。

 中は廊下より更に薄暗く、しかもひどく狭い。事務所というより物置きだけど、テーブルと椅子があって、その奥にはお婆さん、と呼ぶにはもう一押し足りない年格好の女が座っていた。

 サバエの肩ごしに彼女の顔を見た瞬間、僕は回れ右をして帰りたくなった。実際、そうしようとドアの陰に隠れたんだけど、「おやまあ、久しぶりだこと。ねえ亜蘭」という声がそれを阻む。

「何?亜蘭もここ来たことあるの?」

 サバエは驚いた様子で僕を振り返るけど、答えはもちろん「まさか」だ。

「亜蘭とは古い知り合いって奴だよ。とにかく、入るか出るかはっきりしておくれよ」

 仕方ないから中に入ってドアを閉める。靖江はもう椅子に座っていて、僕も壁に立てかけられたパイプ椅子を広げて腰を下ろした。

「はいこれ、おみやげ」と、サバエは僕に持たせていた卵の袋をテーブルに置いた。女は「ありがたいこと」と笑いを浮かべて中をのぞき、「あんたたちも食べるかい」と勧めた。

 背中まである白髪混じりの長い髪は緩く波打ち、痩せた身体に黒いニットを着て、赤が基調の派手なストールを肩に巻き付けている。くっきりとした眉の下で光る眼は、その名の通り細く、鋭い。

 笹目ささめ、というのが彼女の名前だ。どれくらいの近さか判らないけど、僕と彼女は親戚ってものらしく、夜久野やくのという同じ姓を名乗っている。

「今日は報告に来たんだよ。笹目さんの言う通りに、やまけんさまにお参りしたら、速攻で亜蘭とつきあうことになったの」

 サバエが嬉しそうに言うと、笹目は「だろう?やまけんさまは霊験あらたかなんだよ」と偉そうに返す。彼女はいそいそと卵の殻を剥いてから半分ほど食べ、テーブルに置いていた保温ポットのお茶らしきものを飲んだ。

「しかしお相手が亜蘭とは驚いたね。ずいぶん会ってないけど、あんた相変わらず猫に甘えてるのかい?」

「そんな事してない」

 僕の返事を鼻で嗤うと、笹目はサバエに「猫といえば、こないだのあれは、住職に任せたよ」と言った。けれどサバエは「うん。もういいから」と早口で言っただけで、勢いよく卵にかぶりつき、僕に「早く食べなよ」とせかした。

「ねえ、初めてだと変な味かもしんないけど、この卵、慣れるとおいしいんだよ」

「別に、嫌いな味じゃないかな」

 卵はかなりの固ゆでで、八角の匂いが鼻につくけど醤油味が染みていて、空いてきた小腹にちょうどいい。

「それで?あんた今日は何を占ってほしいんだい?」

 先に卵を食べ終え、もう一度お茶を飲んでから、笹目は勿体ぶって尋ねた。

「ん、今日はいいや。彼氏できたって報告に来ただけだから」

「そうかい。じゃあもう店じまいにさせておくれ。近頃は暮れるのが早いし、私は目が悪いから足元が危なっかしくて困る。この前も道路工事の穴に落っこちて、えらい目に遭ったんだから」

 言いながら、笹目はテーブルのこまごましたものをかき集め、床に置いていたリュックサックの中へ放り込んで立ち上がった。僕は慌てて卵の残りを飲み込むと、「だったら送っていこうか」と提案する。笹目はその細い目を光らせ、「うちへ来たって何も出やしないよ」と皮肉っぽく笑う。

「それに、送るならそっちのお嬢さんが先だろう」

「あ、私は大丈夫。先に笹目さんを送って、それからでいいよ」

 サバエはいそいそと卵の殻を集めてポリ袋にまとめると、「亜蘭って親切だね。やっぱ彼氏にして間違いなしだよ」と、満面の笑みを浮かべた。

 でも僕は別に親切ってわけじゃない。ただ、さっき笹目が口にした「猫といえば」という言葉に食いついただけだ。その「猫」がいなくなったミント一号と何か関係あるのか、探っておいて損はない。


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