冬景色銀猫取替譚

双峰祥子

私とつきあって

 どうすればうまく人を騙せるか。

 僕には難しい事なのに、双子の姉である美蘭みらんは平然とやってのける。

「まずは自分が、その嘘を本当だと信じることよ」と言うけど、それも嘘かも。

 とにかく、今はやるしかない。僕はキャリーケースに入っているロシアンブルーの雄猫を抱き上げ、「この猫の名前はミントだ」と自分に言い聞かせた。

 銀の被毛に包まれた身体にはまだ子供らしい線の細さがあるけれど、大きな前足から察するに、もう一回りは育つだろう。

 そんな猫を抱えた僕を見守っているのは、杉田という苗字の二人姉妹とその母親だ。

「迷子になっていたミントです。昨日、こぐま幼稚園の裏で捕まえました」

 僕がその言葉を口にした途端、隣に座っていた美蘭がこっそり脛を蹴ってくる。そうか、「捕まえた」じゃなくて「保護した」だ。でも実のところ、僕はこの猫を捕まえても保護してもいない。


 僕の名は夜久野やくの亜蘭あらん。高校三年生で、副業は「猫探偵」。迷子の猫を見つける仕事だ。

 といっても人間相手の探偵みたいに面倒な事は一切しない。僕はただ、いなくなった猫が愛用していた物を触るだけで、その居場所が何となくわかるのだ。後はその「何となく」をより強く感じる方向をたどるだけ。

 猫愛用の品は、爪とぎでもクッションでも構わない。猫用トイレでも無理じゃないけど、できれば別のものがいい。でも、どうしてそんな真似ができるのか、という質問には答えられない。どうして夢を見るのか、なんてきかれても説明できないのと同じだから。

 とはいえ今回、僕の仕事は迷子の猫探しではなかった。

「ペットショップで猫を預かって、飼い主さんのところに行って、迷子の猫ちゃんが見つかりましたって引き渡すだけ。あんたがいくら馬鹿でも、これくらいはできるでしょ?」

 いつも美蘭が仕事を引き受ける窓口で、料金交渉から日程まで全て管理していて、僕はただ、言われた通りに動くだけ。そして報酬もほとんど彼女が懐に入れてしまう。

「いくら猫が探せても、マネージメントがなけりゃ一円も稼げないし」というのが彼女の言い分で、僕はなんとなく反論できないままでいる。


 そして今日、僕らは学校帰りにペットショップ寄って猫を預かり、タクシーに乗った。双子とはいえ僕と美蘭はひどく仲が悪く、並んで座ったところで互いに無言。でも途中、ちょっとした渋滞につかまったせいで、美蘭は退屈しのぎのように口を開いた。

「この猫さ、いなくなったミントの兄弟なのよね。値段が高すぎて売れ残ってたのがラッキーだった」

「その、ミントって猫は探さないの?いなくなったのに」

「探さなくていいの」

「どうして?」

「だからさ、この子をミントって事にして連れて行くのが、今回の仕事なの」

「そんな仕事、誰が依頼してきたの?」

「杉田さんちの娘。二人姉妹のお姉さんの方。せっかくお父さんが買ってくれた猫なのに迷子にしちゃったから、こっそりもう一匹買って、猫探偵が見つけた事にしたいって。親に気を遣っちゃってさ。泣かせるじゃない」

「でもさっき、高すぎて売れ残りって言ったよね。この猫いくらするの?」

「本体価格三十九万円。ロシアンブルーの血統書つきで、父親はコンクールのグランドチャンピオンだもん。それくらいはするわよ」

 僕はあらためて、キャリーケースの中にいる猫をしげしげと見た。たしかにバランスのとれた体型で、毛艶もいいし顔立ちも整ってるけど、高校生に払える値段だろうか。

「でもね、払ってもらったのは三万円だけ。値段が高すぎて、いけないバイトとかされたら嫌だから、保険をうまく使ってね」

「保険?」

「購入してから三か月以内に病気で死亡した場合は、同じ価格の猫を差し上げますって保障があるの。だからさ、獣医さんに一万円払って病死の書類作ってもらったわ。だから儲けはたったの二万。ほとんどボランティアよ。もちろんあんたの取り分はないから」

 馬鹿らしくて返事する気もない。タクシーはさっきより五メートルぐらいしか進んでなくて、美蘭はまた話をつづけた。

「それはそうとさ、この杉田姉妹って二人とも高三なの。でも双子じゃないのよ。さて何でしょう?」

「は?三つ子であと一人いる」

「あんたにしては、まあまあの回答ね。でも外れ。正解は四月生まれと三月生まれ。間が詰まり過ぎで、色々言われそうなパターン」

 自分がいちばん色々言いそうなくせして、美蘭は「ちょっと可哀想よね」と、心にもない科白を吐いてみせた。

  

「室内飼いの猫って、外に出ただけでパニックになって、帰れなくなったりするんです」

 僕がミント「二号」とでも呼ぶべきその猫を抱き上げてみせても、杉田家の姉妹と母親は無言だった。ふつう、迷子の猫なんか連れて戻った日には、飼い主は泣いたり笑ったり大騒ぎだけど、三人は神妙な顔で僕の話を聞いているだけだ。

 とはいえ、仕事を頼んできた姉の方は、僕の嘘を判った上で平静を装ってるわけで、いわば共犯者だ。

 僕は猫を抱いたまま、真柚まゆという名の姉を盗み見た。学級委員が似合いそうな優等生タイプ。目が大きいんだけど、顔の輪郭が卵型なので大人びた雰囲気があって、まっすぐな黒髪を肩まで伸ばし、口元に微かな笑みを浮かべた、優しげな印象。

 僕は自分の姉である美蘭が鬼のような気性だからか、こういう女の子に惹かれてしまう。でも、一番接点がないのもこのタイプだ。

 そして妹の靖江やすえは、姉と似ていなかった。前髪を眉の上で一直線に揃え、二つに分けた髪をピンクのゴムできつく縛っているせいで、丸顔がさらに強調されている。ほっそりした姉に対して彼女は分厚い体型で、一重でつぶらな目と少し上向きの鼻も似ていない。

 遠慮がちな沈黙はさらに続き、その空気を変えるつもりなのか、おもむろに美蘭が口を開いた。営業モードの笑顔も添えて。

「ミントちゃん、いなくなった時より少し大きくなっているから、感じが違うかもしれませんね」

 その言葉に誘われたように、妹の靖江が「ミント、おっかえりー!」と叫んで立ち上がり、僕の手から猫を奪い取った。

「もう、いきなり迷子になるから心配しまくったよ。お仕置きしまくり~!」

 少しハスキーな声でそう言って、猫の前足を左右の手でつかみ、すごい勢いで揺さぶっている。不意をつかれたのか、猫はなすがままだったけれど、しばらくすると短く声を上げて靖江の腕をすり抜け、床に飛び降りた。

「あらららら!お仕置き拒否?ミント、許さーん!」

 そう叫ぶ間にも、猫は開いていたドアの隙間から廊下に飛び出し、靖江は大きな足音を響かせてその後を追った。まあ、初めての場所だけでも警戒するのに、いきなりあんな事をされたら、どんな猫だって逃げる。

 真柚と母親は困ったような笑顔を浮かべるだけで、どうやら靖江のこういった行動はいつもの事らしい。美蘭の様子をうかがうと、「どうにかしろ」といった視線が飛んできた。仕方なく僕は「ちょっと失礼します」と声をかけ、靖江の後を追った。

 廊下はそう長くなくて、突き当りの左が玄関、右は階段だ。どうも猫は玄関のシューズラックの下に潜り込んだらしくて、靖江はその前で這いつくばっている。

「ミントちゃーん、出てこないと更にお仕置きポイント五倍だよ」

 相変わらず大声で叫んでるけど、これじゃ逆効果だ。さっさと引き上げたい僕は、「あの、代わってもいいですか」と声をかけた。靖江はびっくりしたような顔で振り向くと、「何?」とたずねた。

「いやあの、代わりに猫、捕まえてもいいですか?」

 またしても「捕まえる」、なんて言ってしまったけど、靖江は気にする様子もなく頷いて、僕に場所をゆずった。床に手をつき、シューズラックの下を覗き込むと、一対の目が光っている。僕が腕を伸ばすと、鋭い爪にあらん限りの力を込めて攻撃してきた。

「わっちゃ~、痛そう」

 同情というよりは面白がっている感じで、靖江は一瞬で傷だらけになった僕の手を見ている。まあこんなの、美蘭の暴力に比べたらどうって事ない。とにかくこのままじゃ、猫は一家が寝静まるまで出てこないから、僕は裏技を使うことにした。

 裏技、というのはまあ、猫探しと似たような芸当で、僕は一度さわって「回路」をつないだ猫なら、思い通りに操ることができるのだ。目を閉じて気持ちを集中し、怯えたミント二号の波長を探り当てると、そこに飛び込む。

 次の瞬間、全身から冷や汗が流れ、喉がからからになり、胃がせりあがったような感覚に見舞われる。つまりこれが今まさに、この猫の感じている事なのだ。

 更にお腹が差し込むように痛くなってきて、放っておくと大惨事になる予感。僕は猫に引きずられるのを踏みとどまり、逆に自分の感覚を送り込んで向こうの不安と恐怖をねじ伏せる。

 何度か深くて長い呼吸を繰り返し、心拍が落ち着いたらしばらくは毛づくろい。足の肉球から背中まで一通り舐め終わったら、大きく伸びをして、明るい方へと這い出して行く。

 そこで僕はミント二号との接触を切ると、シューズラックの下に腕を伸ばした。すぐに猫の柔らかくて暖かな身体を感じる。

「うわお、出てきたあ!」

 靖江の歓声に猫は身体を固くしたけれど、ここで逃がすわけにいかない。僕はしっかりと抱き寄せて「ちょっと静かにしてもらっていいですか?」と言った。

「猫って、うるさいの苦手なんで」

 それからまた、自分の失言に気がつく。顧客に向かって「うるさい」とはいかがなものか。何とか取り繕おうとして「猫は明るい元気キャラの人とか、苦手なんです」と言ってみる。

 そんな努力も空しく、靖江はさっきの騒ぎが嘘のような真顔で、僕と猫を見ていた。やっぱり「うるさい」が気に障ったんだろう。後で告げ口とかされて、それが美蘭に伝わって、また「失言マシーン」と罵倒されるに違いない。

 僕は憂鬱な気分で猫を抱いたまま、リビングへ戻ろうとした。その時靖江が「ねえ」と呼び止めた。

「私とつきあって」

 とっさに言葉の意味が分からず、僕はそれを何度か頭の中で再生してみた。ワタシトツキアッテ。ワタ、シトツキアッテ。ワタシトツ、キアッテ。

「あ、私のことはサバエって呼んでね。友達にはそう呼ばれてるから」

「サバエ?」

「そうそう。じゃ、オッケーって事で」

 ようやく、何がオッケーなのかが見えてきた頃、彼女は僕より先に廊下を戻ってリビングのドアを開けていた。

「発表します!私、杉田サバエは今日から猫探偵さんとつきあう事になりました!」

 そんな馬鹿な。

 慌てて否定しようと僕がリビングに飛び込むと、美蘭が「気の利かない弟ですが、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げていた。

 母親である杉田夫人は「いきなりそんな、ご迷惑かもしれないでしょ?この子はいつもこんな調子で」と困惑ぎみだけど、美蘭は「将来的には婿養子の方向でご検討いただければ、これ以上の幸せはありません」と請け合ってる。

「いやあの、何かの」

 間違いだから、と釈明しようとする僕を遮り、美蘭は「じゃあ、猫ちゃんも疲れてるでしょうから、私たちこれで失礼します。弟の連絡先はまた、妹さんにお知らせしますね」と言って、一瞬だけ僕を冷ややかに見た。

 何だか判んないけど、これは「絶対やれ」の目つきで、逆らえば半殺しにされる。僕は仕方なく言葉を飲み込み、抱いていたミント二号をリビングの隅にあるケージに入れた。

 ここなら身を隠す場所もあるし、とりあえずは落ち着いてくれるだろう。そしてロックをかけようとした時、妙な感じが指先から背中へと走った。それが何だったのかを確かめる前に、サバエこと靖江の「探偵さん!」という声が襲いかかる。

「手の傷、消毒しなきゃダメだよ。絆創膏貼ってあげる」

「いいです。こんなのすぐ治るから」

 僕はとにかく全力で彼女を振り切ろうとした。その肩越しに、姉の真柚の優しそうな笑顔が見えて、それがまたダメージになる。なんで、彼女じゃないんだろう。


 通りに出てタクシーを拾って乗り込むと、美蘭は鞄から財布を取り出し、一万円札を一枚、僕の膝に投げてよこした。いつもは仕事をしても催促しなければ十円だってくれないのに、何のつもりだろう。

「とりあえず、デートの資金渡しとくわ。一円単位まで割り勘みたいな、しみったれた真似は死んでもしないでね」

「本気で言ってる?悪いけど、あの子とつきあうなんて無理だから」

 僕は自分の決意が固いのを強調するため、潔く万札を美蘭に突き返した。彼女はそれを一旦手にすると、三つ折りにして僕のブレザーのポケットに滑り込ませる。まるでスリみたいな早業。

「あんたには相手を選ぶ権利なんかないのよ。いいじゃん、しばらく遊んで、やっぱり妹としか思えないってさよならすれば。うまく立ち回ればお姉さんの真柚ちゃんに乗り換えできるかもね」

 美蘭は訳知り顔で笑う。僕の本心お見通しと言いたいんだろうけど、男が百人いれば九十九人はサバエより真柚を選ぶに決まってる。

「早いうちに、婿養子に行ってもらえると嬉しいんだけどね」

「本気で言ってる?」

「だって一人でも食い扶持が減ったら楽じゃない。だからって、いきなりデキ婚とかやめてよね。もめごとは面倒くさいから」

「ありえないし」

 僕はもうそれ以上、サバエの話をするのが嫌になって口をつぐんだ。まあいいや、つき合ったふりだけして、別れたって事にしておけば。しばらく寝ようと足を組み、目を閉じたところでふと思い出す。さっきの妙な感覚。

「あのさ、いなくなったミントって、まだ見つかると思うよ」

 とりあえずそれだけ伝えて、僕は本格的に眠る体勢に入った。しかし美蘭は「何?」と僕の髪をひっつかむと「どういう事よ」と揺さぶった。

「さっきケージ触った時に感じたんだ。いなくなった猫は、まだ生きてる」

「だったら見つけなきゃ。三十九万円もする猫なんだから、いい値段で転売できる」

「見つけなくていいって言ったのそっちだろ」

 僕は美蘭の手を振り払うと、また目を閉じる。それでも美蘭はやる気満々で、運転手に引き返すよう告げていた。


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