第2話

火の手に着いたコールは少し辛めの夕食を摂っていた。

 その名の通り想像を絶する激辛料理が売りのこの宿は、下宿する者を選定する図々しい宿だ。

 主人が利き腕の冒険者だった経験から、辛い料理を食してきたからこそ生き延びたんだという酔狂を他人に押しつけているため、火の手は辛味料理のみを提供する偏った宿になってしまっていた。

 それでもその独特の辛味料理と、看板娘の気立てが一部のファンをつくり、10部屋しかない部屋は常に満室でキャンセル待ちだというのだから世界の仕組みはよく分からない。

「コール、今日は遅かったね。また寄り道? 今日はどんな美女と寄り道を?」

 看板娘のミリーが軽い憎まれ口を挨拶代わりに掛けてくる。

 サイドテールに縛った髪を揺らしながら、ショートパンツにタンクトップという出で立ちで右手にはメニュー、左手にはコップに注がれた水を四つ抱えたまま忙しそうに動いている。

「ははは……少し買い物があって。今週末に妹と会うつもりなんだ。何か手土産を買うつもりだったんだがイマイチいいものが思いつかなくてね……」

「今日は違うの? 昨夜も綺麗な人を連れて食事していたって噂を聞いたよ? まぁ、軟派なコールも妹の為なら我慢するって事? 妹さんにはあまいもんね」

 セリアと食事をするのも数える程だが、噂というのは本当に早い。特に若い女性の噂は音速を超える様な速さで広まるものだ。

「月一で会ってるんだもん毎回手土産はいらないんじゃない? 食べ物とかの方が喜ぶかもよ? 大通りに新しいお店が出来たらしいじゃん。たしかクレープ屋さんだっけ? 若い子には人気みたいだよ」

「ふーん、ミリーは行ったのか?」

「行きたいんだけどなかなか時間がなくてね。コール、今度帰りにでも買ってきてよ。 代わりに特製辛味ソースサービスするからさ」

「そ、そんなのはいらないよ。手間賃なしで買ってくるよ」

 特製辛味ソース――ファンの間で語り継がれる伝説的辛さ……らしい。一度だけ体験したことがあるが、匂いだけでコールの貧弱な精神では耐えられそうになかった。

「遠慮なんてすることないのに」

 コロコロ表情が変わり、愛嬌のいい娘だ。美人だが気取らないため、気兼ねなく話すことが出来る。

「明日にでも買ってくるよ。何味がいい?」

「そうだね……、辛いやつ」

「だろうね……」

 ミリーは再び忙しく動き回りながら、華麗に手を振って去って行く。実に器用な女の子だ。

「さて……」

 コールは自室へと戻るため、階段へと向かう。大広間が食堂で、宿舎は二階だ。三階はミリー達経営者の部屋となっている為、客であるコールが出入りする場所は一階と二階に限定される。

 階段を昇って最初の左側の扉を開く――

 コールは部屋に鍵を掛けない。煩わしいのと、特別盗まれる様な価値のあるものは部屋に置いていないからだ。大事なのは妹と、自分の体。そして僅かな金品くらいだ。その金品も、いつも持ち歩くため、実質部屋は寝る為だけに借りている。

 扉を開けると、中には猫耳を付け、体にぴったり張り付いた紺の布とボーダーニーソを履いたダークエルフが佇んでいる。それは勿論知らない人だ。

「……君は誰だ?」

 平静を装うがこんな所を誰かに見られたらコールの印象――もはや軟派というのは覆らないだろうが、それに輪を掛け変態という汚名も追加されることになるだろう。

「……どうですか? これなら誰にも気づかれないと思いますが」

 猫真似のつもりか、舌を出しながら握った拳で顔を洗う仕草をする。

 確かに気づかれないだろう。そもそもコールですら気づかないコーディネートなのだから。

「確かに気づかれないが、同伴する俺の身になって考えたか? そんな姿で火の手をうろうろしてみろ。俺は明日から住む場所が無くなる」

「何でですか? この町では、定期的にこのような姿で街を彷徨う者達がいると調査済みですが……」

 何やら取り出した手帳に目を通すセリアは、前回とはまるで違う姿だ。

 実際の所、セリアに実体という概念は無い。あるのは人の目から見た姿を象った幻想を体現しているに過ぎない。セリアは肉体を用いないからだ。

「それは一部の若者がお祭りで賑わう飾り付けみたいなものだ。まぁ、そのダークエルフの姿は悪くないが……」

 銀髪で褐色肌で長身で巨乳というのは……まさに理想型だ。コールでも息を飲む程の魅力を感じる姿に、猫耳ボーダーニーソは破壊力抜群だろう。だが、それは夢物語な姿であって、この町にダークエルフという種族は存在しない。むしろ存在するハズが無い。なぜなら――

「この街は他種族を排斥しているからな」

「あぁ、そうでした。すいません。では……」

 そう言ってセリアは瞬時に黒髪の人間の少女へと体を変えた。

 先ほどと違って幼い姿に変わったセリアは10才くらいで、ツインーテールで縛った髪を揺らしながら、白いワンピースでフワッと一回りする。

 膝上の短いスカートの合間から、再びボーダー柄の下着が垣間見たコールだが、先ほどの様な緊張はない。

「どうですか? これならいいですよね?」

「セリア、この街……だけではないが、大人が子供を連れて歩くことはいけないことなんだ。だからお前も俺と並ぶときは大人の姿でいてくれ」

 目を丸くしたセリアは愛らしい表情を発揮しながら、再び取り出した手帳をめくる。

「子供は大人がいないとダメじゃ無かったでしたっけ? たしか……保護者がいないと街を歩いてはいけないとか……」

「それは親子の場合だ。セリアを俺の娘だと言ったら、余計に周りの目が冷たくなる。お前がいつも同じ姿でいられれば俺は軟派な男にならなくて済んだんだ」

 ミリーの軽蔑したかのような視線を思い出す――彼女はそんなコールにも気さくに話しかけてくれる素敵な女性だ。この街を出るとき、せめて誤解は解いておきたいと願う。

「同じ姿……ですか? 簡単ですよ?」

 そう言ってセリアは昨夜と同じ姿に変わる――

 真っ直ぐな金髪を腰の辺りまで伸ばし、透き通るような白い肌を強調する際どく、人並み以上の膨らみを十分に引き立てる胸の開いた青いドレスは、悪魔と呼ぶような存在には似つかわしくない、清廉とした淑女の美貌を栄えるために存在している。こんな絶世の美女と食事をしていたのだから、コールに羨望の意味での悪い噂がたつのはむしろ当たり前と言えるだろう。勿論幻想の姿だが……。

 流石にシルクハットを被ったままの食事は品が悪いと感じたのは、セリアの姿があまりにも高貴だったせいでもある。そのおかげで身元が割れてしまったのだから、今までの経験が全く生かされないコールせいでもある。

「これならどうですか? 昨夜とおなじです!」

「……それが出来るなら最初からそうしろ!」

「だって何も言わなかったじゃないですか! 主人が喜ぶかと思って色々な姿になっても、一向に同じリアクションだからです! ……さっきの姿は好きなようですけど」

 ニヤリと笑うセリアに何も言えないコールは、咳払いをして話題を変える。ダークエルフが嫌いな人間などいない。

「そんな事より、首尾はどうだ? 何か手がかりは?」

「言いにくいのですが、差し迫っている事象が……」

 コールはため息を吐き、腕を組む。

「悪い知らせは慣れている。どうした?」

 セリアは恐る恐る右手を挙げる。

「どうやら主人の素性が割れた恐れがあります。何やら冒険者を嗅ぎ回る者がいて……少女のようですが」

 少女と言う外見に惑わされるほど、ぬるま湯に浸かっていない。

「悪魔……か」

「はい。特定出来ていませんが、少女であることは分かってます。主人は少女への免疫はあるようなので心配はしていませんが、念の為……」

 ガラキウスで冒険者を名乗るのは辞めよう。無関係の者達が犠牲になってしまう。

「用心はしている。それで犠牲は出てるのか?」

 セリアは軽く首を振った。

「ですが時間の問題かも知れません。主人がもう少し慎重に行動していれば……」

 そこまで言ってから口元を押さえても無意味だろう。

 目を激しく泳がせるセリアに冷たい視線を送る。

「しゅ、主人は気配を感じ取れても、人となりまでは関知出来得ませんからね……。あっ」

 肉体が飾りだというのは不便なものだ。おかげでセリアの胸の内はこうして筒抜けになるのだから。

「お前だって気づかなかっただろう?」

「そ、それは主人との食事に気を取られていて……」

 肉体のないくせに、セリアは人の体を模倣して食事をするという趣味がある。実際は食事をしているわけではなくて、真似事でも人間の雰囲気を楽しみたいという話だ。

 悪魔と言う思念が、人の真似事をして何が楽しいのかは、人間であるコールには分からないが、セリアに貸しがある以上コールはセリアの望みを出来るだけ叶えてやりたいとは思っている。

「……まあいい。どうせこの街を出るのも時間の問題だ。明日にでもアリスと会うつもりだ。あとはメリアナに話を付けてもらうだけだ」

 メリアナとは幼なじみでもある。コール達の一番の理解者である一般人だ。

「メリアナ……、あれはあまり好きではありません」

 何故かメリアナを毛嫌いするセリアは、頬を膨らませてそっぽを向く。

 腕を組んだせいで、胸元が強調される。コールは少しだけ目のやり場を上へ向ける。

「ま、まあいいじゃないか。この街を出ればメリアナとは会えなくなる。俺達は違う街へ向かうだけだ。だが、アリスを預けられるような厳重な場所なんてあるか? 俺も調べたが、心許ない場所ばかりだ」

 大陸で安全とされる街、国は限られている――つまり、悪魔に犯されているかいないか、そして外敵とされる魔族やモンスターを容易に打ち倒せるだけの施設や戦力が整っているかだ。

 一見国なら確実に思うが、国は執政や臣下が悪魔に犯されていることが多い。コールの活動の性質上、国という強大な力がアリスを人質に取ってしまえばコールはアリスを見殺しにするしかなくなる。それだけは出来ない。

 逆に街の場合は悪魔は蔓延ってはいないが、防犯の面でモンスターや魔族達の餌食になる危険もある。小鬼やオークなどに街を滅ぼされた例はいくらでもある。脆弱な守備では心許ない。そして街にはもう一つ特有の性質――治安があまり良くないのだ。家にアリスを置いていても、強盗や強姦に襲われる危険がつきまとう。昨夜の破落戸がいい例だ。

 コールはあくまでアリスと暮らす気は無い。そうなると希望する所は限られる。

「お前が同族を感知出来ればもっと容易なんだが……」

 コールもつい本音を漏らす。

「……主人、それは悪魔にも我の存在が感知出来ると言うことなんですよ? それならあの時――」

 再び口元を押さえるセリアに、コールは反応する――だが、なんとか最小限に留めセリアの失言を咎めなかった。

「……申し訳ありません」

 申し訳なさそうな表情も意図して作り出している表情だ。だがそれは人間も同じ事――無闇に気に掛ける必要もない

「気にするな。……しかしまさかガラキウスも悪魔に犯された街だったとはな」

 コールはベッドに腰を下ろし、ため息をつく。

 半年も生活した部屋なのだから、ベッドと椅子しかない質素な部屋とはいえ愛着も湧く。 窓を開けて見える景色が隣の建物の壁だとしても、朝日が差し込まない淀んだ空気を換気できない間取りだとしても、ここがコールの家だからだった。

「主人……」

 セリアは隣に腰を下ろす――密着した状態だ。セリアは決まって体を寄せ付ける。柔らかい女性特有の感触なのだが、ひんやりとした体温がセリアの体が紛い物だと言うことを物語っている。

 セリアは遠慮がちにコールの腕に絡みつくと、急に妖美な雰囲気を醸し出す。

「主人……、我はどこへでもお供致します。それが天上であろうと地底であろうと……。また3人で旅をすればよろしいじゃないですか。主人と我とアリスで……」

「簡単に言うが、街の外は外敵で満ちている。アリスを連れて旅をするのは容易じゃ無い。ガラキウスにこれたのだって相当茨の道だった」

 アリスを庇いつつモンスターを駆逐する――死霊や悪魔に遭遇することだってある。アリスを庇いながら一週間も眠らずに旅をしてようやくこの街に来たのだ。その苦労をもう一度行うというのは正直言って辛い。

「出来るだけ近い場所から線を結んで行けば、前回ほど酷にはなりませんよ。我の調べだと、港街シュリーセスが近く、比較的安全です。勿論、その場しのぎではありますが……」「……このまま逃げ回っていても解決にはならないか。それは分かっているが、悪魔を根絶するのはあまりにも無謀な願いだ。俺とお前の力を持ってもその場しのぎが限界だ。奴らの根源――核となるものでもあれば簡単なんだがな」

 セリアは目を伏せ何も答えず、コールに寄りかかった。

 いつの間にかセリアと指を絡めていたコールは、優しく手を解き、立ち上がる。

「もう決めたことだ。今更言っても仕方が無い。セリア、旅の準備を頼む」

「承知致しました……」

 セリアは音も立てず、かき消えるかのように姿を消した。

 先ほどまでセリアが座っていたベッドは全く軋まず、シーツもコールが座っていた所だけが大きく凹んでいた。

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