音
西日が窓から差し込み書架を照らしている。周りを見渡すと、まだ数人が残って勉強をしている。試験はまだ先なのに、そう思いながら読んでいた本を戻し、俺は帰り支度を始めた。司書さんに挨拶をして扉に手をかける。
「バタン」
予想以上に大きな音がして驚いた俺は逃げるようにして外へ出た。誰かの視線を感じて振り向くと石でできた少年像の足元にカラスが止まっていた。俺と目が合うと
「カア、カア」
と鳴いてどこかへ飛び去った。足早に校門を出てしばらくすると、自販機が見えてきた。北風が顔に吹き付け、体温を奪っていく。小刻みに震える手で小銭を押し込む。迷わずコーンスー プを選択し、ボタンを押した。ボタンが点滅するのと同時に
「ゴトッ」
缶が落ちてきた。スープのぬくもりが俺の手の平を温める。冷めないうちに急いで流し込むと、口から喉、喉から食道へと熱々のコーンが落ちていった。
「プハーッ」
思わず口をついた。お前は風呂上がりの晩酌を楽しむ中年サラリーマンか、自分にツッコミながら駅を目指した。赤になりかけの信号を渡ろうと走っていると、
「キュイーッ」
自転車の急ブレーキが耳をつんざいた。慌てて横を見ると、怒りと安堵の混じった表情で女性が俺を見つめていた。すみません、頭を下げると女性は微笑んでペダルに足を乗せた。気を取り直して前を見ると、信号はとっくに赤になっていた。
「ピヨ、ピヨピヨ」
電子音の小鳥の鳴き声から数秒遅れて青になった信号を渡ると、駅舎が見えてきた。定期をかざして改札を抜け、目の前のコンビニに入る。鮭おにぎりとチューインガムを手にレジに並んだ。
「ピッピッ」
小気味よい音に耳を傾けながら代金を払い、プラットホームに降りた。おにぎりを頬張りながら次の電車を待っていると
「プシュー、ガタン」
急行が滑り込んできた。空席を見つけ一目散に乗り込んだ。しかし、老紳士が乗ってきたのに気付き、手招きして席を譲った。
「すまんな」
抑揚のない声に会釈し、吊革に手を伸ばした。沈みゆく夕日を眺め、ポケットからガムを一枚取り出して無意識に口に放り込む。
「えぇ~」
女子高生の声で我に返った俺は、普段聞くことのない女子トー クに耳を澄ます。映画の話をしているのか、時折、有名俳優の名前が出てくる。タイトルが気になるが、無情にも急行は俺が乗り換える駅に到着してしまった。
「…もなく、十両編成で…」
駅の喧騒の中から目当ての電車のアナウンスを聞き取り、急いで向かった。体をねじ込む。リュックを引き寄せる。ドアが閉まる。と同時に駅の待合室が左に流れていった。
「ブーッブーッ」
スマホが震え、取り出したが通知はゼロ。不具合だろう、そう自分に言い聞かせて電源ボタンを軽く押した。
「ウ~カンカンカン」
車輪が線路を走る音に混じって消防車のサイレンが聞こえてくる。不安になって一人で留守番している妹に、大丈夫?、とメ ールした。うん、と返ってきて安心していると
「ピーポーピーポー」
今度は救急車のサイレンが流れている。ふと、母親の膝で動画を見ている男の子が目に入った。働く車を説明する動画だった。妹を心配して損した。
「ックショーン!」
おっさんのくしゃみに度肝を抜かれ、スマホを落としそうになる。スマホを握りしめたまま外を見ると、ビルの窓には明かりがつき、ネオンの自己主張が激しくなっている。
「ガッタン…ゴットン…」
電車はゆっくりと停まり、俺は乗客の波にもまれながら降車する。後ろにせかされるように改札を通ると、普段ならピッと鳴るはずが
「ピッピー」
と鳴った。不思議に思ったのも束の間、次の人が切符を入れてうやむやになり、そのまま通り抜けた。地下鉄に乗り換えると、さっきまでの満員電車が噓のように空いていた。
「ゴンッ」
いつのまにか眠り込んでいた俺は後頭部に鈍い痛みを感じて目を覚ました。どうやら窓ガラスにぶつけたらしい。数人がこちらを見て笑っている。俺は咄嗟にうつむき、文庫本を取り出した。
「まもなく終点です」
車内アナウンスとともに煌々と照らされたホームが見えてくる。リュックを肩にかけ、地上へ出る。駅前の居酒屋には会社員が集まり、愚痴をこぼしている。
「グゥ~」
腹の虫が鳴いて、俺は空腹に気付く。駐輪場から自転車を出すと、妹が待っているマンションに向かって漕ぎだした。
ケースの外では一人のセールスマンが宣伝をしていた。
「この地球人観察ケース・音編では、私たちより知能の低い地球人の観察をすることができます。このように、ケースの前に並んだボタンを押すことで、地球人がその音を聞いた時の反応を観察することができるのです。
これまで、弊社では同様の観察ケースを景色編、におい編と出してきましたが、これはシリ ーズの最新版、今まで以上のクオリティーを提供いたします。
使用方法はいたって簡単、面倒臭い設定は一切必要なし、ただ、このようにボタンを押していただくだけで結構です」
そう言うと、七つの足を持ったセールスマンは一つのボタンを押した。
「ガチャ」
俺はドアを開けると、リュックを下ろしジャンパーを脱いだ。
ケースの向こうでは、一心不乱に晩御飯をかきこむ地球人を一目見ようと、多くの異星人が群がっていた。
(了)
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