アイリーン・ベッドフォード
それを自覚し始めたのは3歳頃だった。実際はもっと前からその前兆はあったのかもしれないが、私がそれをきちんと認識したのはその頃だった。
「アイリーン」
「アーシャ」
「お嬢様」
そう呼ばれるのが当たり前なはずなのに、それに時折違和感を覚えたのは。
『アイリーン・ベッドフォード』
それが私の名前。ベッドフォード侯爵家の次子で長女。外交官である父と優しい母、それに七歳年上の兄との四人家族。
そうであるはずなのに、目を閉じれば知らない光景が浮かんでくる。目の前にある景色とは違う風景を覚えていた。誰も知らない歌を、音を知っていた。
毎日眠る度に見るそれは、次第にハッキリと色鮮やかになり、私の目の前に映し出された。
見上げるほど大きなビル。
満員電車。スーツ姿の人たち。
空に上がる花火。満開の桜。
振袖姿の女性。大きな鳥居。
便利な道具たちに、魔法のない化学が発展した世界。
目が覚めてもハッキリと覚えているのに、その光景はどこにもなくて、違う国のことではないかと探してみたが見つからず、なんとか形に残そうと始めたのが絵を描くことだった。
忘れないように、なくさないように。だってその景色は私にとって大切なものだったから。
そうやって繰り返させる度に、私は理解し始めた。
それが何か、どこのことかを。
私はこれを知っていたのだから。
だってこれは、私の前の世界だ。
日本で暮らしていた、私の記憶。
じわじわと、まるで絵の具が画用紙ににじむように、それは私の中へと染み込んでいく。
前の私は日本人で、ごく平凡な家庭に生まれて、大学卒業後に病院の受付として働いていた。それなりに好きな事をやって、休みの日には趣味の創作活動鵜やオタク友達とイベントに向かい聖地巡礼をして、幸せな日々だったと思う。
それなのにこうやって新しい名前を貰い生きているという事は、あの世界の私は死んで生まれ変わったのだろう。最後がどうだったのか、はっきりと覚えてはいないけれど、仕事に行く前に聞こえた車の音に事故にあったような気がする。
多分、それが私の最後。
そして今、この世界で私はアイリーン・ベッドフォードとして生を受けたのだと実感した。
だってこの世界が夢だとは思えないし、だからと言って夢に出てくる光景が私の妄想とも思えなかったから。
色も、匂いも、音も、温度も、あの中の私はすべて感じていたから。
そう思うとこれまで夢で見たものが前世の記憶なのだとストン、と受け入れることが出来た。
それがわかったところで、何かが大きく変わる訳では無いけれど、きっとこうやってこの世界に生まれ変わったのは、何かの運命なのだろう。
それなら自分らしく、前の私では出来なかったことをたくさんしたいと思った。
だって前世の私は本当に平凡な人間だったけれど、この世界は私の大好きなファンタジー小説みたいに魔法がある世界だし、何より私はこれでも侯爵令嬢。憧れの本物のお嬢様!
もしかしたらこの世界では主役になれるかもしれないし、王子様に一目惚れされて王妃に、なんて王道展開だってあるかもしれない!!
もしくは勇者のパーティに加わる聖女とか!
凄腕魔法使いだってなれるかもしれない!
ほら、転生者には不思議な能力が備わるのがお約束だもの!!
神様からの加護とか!残念ながら会った覚えはないけれど。
・・・・・・なんて、夢は私が転生者だと自覚してすぐに吹き飛んだのだけど。
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