ドロップガール

吉田レバー

cat

 いつも柔らかそうな髪の毛が目につく。


 


 移動教室の時はなるべくお姉ちゃんのクラスを遠ざけて歩いた。

 物理室への移動中、お姉ちゃんが男の人と仲良さそうに歩いていた。私より数段折り曲げたスカートを揺らしながら歩く姿は誰が見ても可愛かった。派手ではないのに、でも魅力があって、とても目立つ。校内では、誰もが羨む女子生徒の模範の姿だった。


 クラスで友達と話していると名前が分からない女子から、

「呼ばれてるよ、先輩みたいだったど…」

 と声をかけられた。ドアの方を見ると男の人がいた。遠くからでも身長が高いことが分かる。お姉ちゃんによくついている男の人のようだった。この人もなかなかスタイルが良くて、一気に周りの人の視線が集まるのを感じた。男の人の近くに行くと、明るい声で話しかけてきた。

「こんにちは、俺、2年の山口優です。」

 私は、黙ってその人の目だけを見る。

「ごめんね、急に教室来ちゃって、あのさ、俺、君のお姉さんと仲いいんだけど最近連絡とれなくって、なんかあったのかなって、知ってることあったりする?」

 なんでみんな妹の私を頼るのよ。どうしてそこまで連絡取れないことを気にするの?

以前にもこのような男の人がいたことを思い出して思わずため息を吐いた。相手には気づかれていない。

「ごめんなさい、私も知らないわ。」

 決まった返事をする。

「あ、そっか…わかった。ありがとね、なんかあったらそんときはよろしく。それじゃ。」

 少し微笑みながら2年クラスにつながる階段を駆け下りていった。

 嘘じゃなくて本当に知らない、分からないの。

「ね、あの人誰なの?」

 友達が表情を変えず聞いてきた

「いや、姉の知り合いらしくて。」

 下手な苦笑いをしながら言った。


 家に帰ると、いつものようにそのまま二階に上がる。お姉ちゃんが部屋から出てくるところだった。いつも帰りが遅いのに、今日だけ早いようでタイミングが悪かった。

「おかえり。ねぇ、愛子顔色悪いよ?ちゃんと寝れてる?」

「いや…、うん。」

__誰のせいだと思っているの。

優しくされて、忘れていたかった思いが溢れる感じがした。苛立ちが抑えられなくなる。

「お姉ちゃんさ、なんでいつもあんな連絡気にするような奴としか付き合えないの?」

 我慢し続けていたのに、ついに言ってしまった。

「あぁ、ごめんね愛子。もしかして山口くん話しかけて来たりした?そういうところあるんだよねあの子、ほんとごめんなさい。」

「いや、謝ってほしいわけじゃなくてさ、なんで見る目ないのって、真剣に考えて付き合うべきじゃないの?」

 こんなことが言いたいんじゃない。

「山口くん悪い人ではないの、優しいし、愛子だって分かってくれると思うわ。」

「違うの!」

 怒鳴ってしまった。

あの男の人が悪い人ではないことくらい知っている。けれど山口という名前を聞くだけでどうしても気が立った。

「もっといい人がいるはずなのに、なんでなのよ。こんなんだったらもう誰とも付き合わないでよ……、なんで私よりもそんな奴の方がいいのよ。」

 黙ったままのお姉ちゃんをみると、見たこともないくらい悲しそうな顔をしていた。小さく口が動き出す。

「そんなことない、一度もそんなふうに思ったことなんて__」

 消えそうな声で言いかけると、

「ちょっと外行ってくる。」

 泣きじゃくりながら私の前を通り、一階に下りていく、階段を下りる音がいつもより大きく聞こえる。止めるこも、どうすることもできなかった。玄関の閉まる音がする前に急いで自分の部屋に入った。


何も手につかない日が続く。授業中も黒板の裏をずっと眺めているような感覚だった。

なんで私だけこんな思いをしなくちゃいけないの。

 シャーペンを思いっきりノートに突き刺すと芯が折れた。ノートには穴があいて、歪な形で黒く残った。


 最後に話した日から一週間が経つ日だった。下校途中に後ろから声を掛けられた。お姉ちゃんの声だった。

「愛子…この前のことなんだけど。」

 気持ちが辛くなる。

「こんな冴えない奴がなんだっていうのよ、ずっと嫌いなんでしょ?お姉ちゃんと違って出来の悪い私が。だったらもう構わないでよ。」

 そう言うと、お姉ちゃんは急に泣きそうな顔になり、優しく私のことを抱き締めた。すぐこうやって色んな人のことを抱き締めているのだろう。これは何度目なの?気持ちが悪い。こういう行為に色んな人が引っ掛かってきたに違いない。ストレートの髪の毛がふりかかる。お姉ちゃんの好きなバラの香りがした。 

「何言ってるの、大好きよ、何よりも好きよ。」

 頬に触れた手がすぐの横の髪を触る。少し震えている。私の癖毛に真っ白い指をからませた。

「こんなにきれいなカーブ他にないわ、本当に大好き。この綺麗な目も大好きよ。」

 お姉ちゃんの真っ黒い髪が近いから他のものなんて何も見えなくて、心地が良かった。

 どのくらい抱き締められていたのだろう。いつもと違う場所に居るような感覚になった。私の背中から腕が離れる。

「本当に嫌なの、もうこれ以上背負えないわ。誰の期待も重荷にしかならないの。」

消えそうな声でお姉ちゃんが言った。いつもなら、嫌みに聞こえるだろう。でも今は違って、言葉を素直に聞いてしまう。

「あなたは気づいていないかもしれないけれど、私みたいなやつに心からの友達なんてできないの。みんな可愛いって、完璧だって言ってくれるけれど、それ以上の友達なんていたことなくて、ずっと孤独なの。付き合った人だって結局見た目だけが目当てだった。ガラスケースに入った服のように扱うの。大事にしてはくれるけど、誰も取りだそうとはしない。実際に使えない服なんて価値がないのに。私に価値なんて全くないの。いつからなのかな…私、愛子を憎んでいるのかもしれない。」

 お姉ちゃんの胸元にある、綺麗な蝶々結びのリボンが前に凭れる。変だと思った。こんな嫌な気持ちなのに何も言い返せなかった。お姉ちゃんの顔すら見ることができない。なにも言わずに来た道を走った。理由はないのに、たぶん泣いてたと思う。お姉ちゃんは追ってこなかったけれど、それさえも悲しくて、逃げてきたことを後悔した。考えてみればこんなに話せたのは小学校を卒業してから初めてだった。私なんかと一緒にいていい人ではないと思い続けてきたから。


 次の日の朝、目を覚ますのが怖かった。できればずっとこのままがいい、暗いままで。体が重い。一階からは話し声が聞こえる。私のことを話してるのかな___そんなはずはない。すぐにテレビの音であることに気づいた。


 両親は離婚していて父を知らない。母は私に興味を持ったことがなかった。お姉ちゃんと違って何も出来ない私が自分の子供であることを恥ずかしがった。学校公開も、運動会だって見に来てはくれなかった。どこに連れて行ってくれたこともない。母から私への関心がないように、私もまた、母には何も期待しなくなっていった。不思議とそれは当たり前になって、嫌だとも思わなくなった。


 下から何かが壊れた音がした。重い体を起こし、階段を下りてリビングに繋がるドアを開く。

 そこには乱れた髪の母がいた。床には割れた皿の破片が散乱していた。

「どうしたの?」

「あぁ、あんたね…なんでいなくなったか知らないの?」

 いつも通りの不機嫌そうな顔。

「え、いなくなったって…誰が?」

 想像はついているのに聞き返してしまう。

「あの子が家出なんて…するはずがないのに。なんでなの。私のどこが悪かったの。」

 母は皿を持ち上げ床に落とした。白い破片が増える。話しかけられるような状況じゃなかった。気持ちが悪くなり、一番落ち着く自分の部屋に駆け込む。鼓動がうるさく、視界も暗くなっていく。物が黒く覆われていった。


 何時間たったのか分からない。脱け殻のような体になり、ドアに体重を預けたまま立ち上がる。いつもの自分の部屋じゃないみたいに感じた。

 力をかけているからか、取手からミシミシと音が響いている。黒い景色に少しずつ色が戻ると、机の上に何かが置いてあることに気づいた。今にも転びそうなふわふわとした足取りで机の前にいく。《愛子へ》と書かれた薄いピンク色の封筒が置いてあった。すがるように封を切る。落ち着き始めていた鼓動が、再び忙しくなり始め、もう封筒から目が離せない。きれいに折り畳まれた手紙が一枚入っていた。


愛子へ

勝手なことをしてごめんなさい。

少し時間をくれないかしら。

愛子にとってもそのほうがいいと思ったの。

これだけは言わせて、

私にとっては愛子が猫よ。

あなたは自分で思っているよりずっと綺麗よ。

愛してる。

 

 意味が分からなかった。ただ、読み終えると鳥肌が立っていた。なぜだか息がとてもしやすく感じた。

 一階に下りて、皿を割るのを止めた母を横目に玄関の方へ歩いた。気持ちの整理がついていないはずなのに、不思議と心は落ち着き始めていた。玄関を開くと曇り空で、白くて何も見えなくて、ずっと見てるとチカチカしてきた。それが星空のようで、綺麗だと思った。何もないところが美しく見える。お姉ちゃんから私はこんな風に見えていたのかな。


 ひたすら路地を歩くと猫がいた。

猫は私を見ると逃げるように車の下に入った。その後、同じ猫を見ることはなかった。

猫は逃げる振りをして、1度後ろを振り返るものだと思っていた。それなのに、私だけが猫を見続けていた。猫は気にする様子もなかった。


 あの時いた猫もそうだった。家に帰りたくなくてお姉ちゃんが夜中まで路地を一緒に歩いてくれた時のことを思い出す。

___その猫、お姉ちゃんみたいだね。

思い付きで言った言葉によく笑ってくれたことがずっと忘れられなかった。何をしているわけでもないのにとても幸せだった。手紙の猫は関係ないかもしれないけれど、私にはあの時の猫を言っているように思えた。お姉ちゃんが私とのことを覚えてくれているそう考えただけで嬉しかった。

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