第398話 また一難。


 話をする体勢になったカミロが飲み物はと訊いてくるので、すぐに戻る旨を伝えてそれを断る。

 自分たちがこの部屋を出たらまたあの書類に手をつけるのかもしれないけれど、アダルベルトに禁止されてもなお本人が必要としているならこれ以上止めても仕方ない。……が、なんとなく釈然としなくて、椅子に座ったまま行儀悪く足をぶらぶらさせた。


「私などのことより、リリアーナ様のお加減はいかがでしょうか。熱は下がったと聞きましたが、傷の痛みなどは?」


「うん、この通りもう何ともない。少し体を動かそうと思って部屋を出てきたところだ」


 体のどこにも痛い部分はなく、長く寝ていた倦怠感が残るばかり。目覚めたときに頭と手足に包帯が巻かれていたから、おそらくそこを怪我していたのだろう。あまり覚えていない上に魔法の治療によって傷跡ひとつ残っておらず、どうにも大怪我をしていたという自覚が薄い。

 安心させるためにそう話して聞かせると、カミロは目を細めて微妙な顔をした。喜怒哀楽のどれとも判断はつかない、何か考え事をしている表情だろうか。


「ところで、シオ殿とはもうお話しをされましたか?」


「ん? いや、寝ている時間に部屋を訪れるらしくて、まだ顔を合わせていない」


「左様ですか」


 短く応えるカミロから視線をずらすと、そばに立てかけてある見慣れた杖が目に入る。

 たしか領事館にいた時もカミロのそばにあったはずだが、艶やかに磨き上げられた表面には目立った傷はなく、どこも破損した様子はない。足を悪くしたカミロの歩行を助けるものだから、壊れずに済んだのは良かった。


「シオの魔法で全部治ったなら、足も良くなったりはしないのか?」


 ふと思いついた疑問を口にすると、カミロは眼鏡の奥で二回瞬きをした。問いかけの意味を考えているような間を置いて、自分の左膝に手を置く。


「……足は、元通り・・・にするのは難しいとの事ですが、元々歩行に支障はございません。むしろ以前よりも馴染んだと言いますか、不均衡が戻ったようなので今の状態に慣れれば、……?」


 足首、ふくらはぎ、膝。ソファの前へ屈み込み両手で掴んだ男の足には、包帯の巻かれている感触はなかった。自分と同じように治療されて外傷自体はもう治ったようだ。

 以前の事故で痛めたのは脚のどの辺りだったろう、膝より上か、下か、それとも全部?

 あの時も同じように魔法で治したはずなのに、それでも後遺症が残ってしまった。支障はないとか、大丈夫だとか言っていつもはぐらかされてばかりで、状態については一度もはっきりとした話を聞けていない。

 元通りにはならなかったという足の様子を見るため裾を掴んで引き上げようとすると、黒いソックスを履いた脛の途中で止められてしまう。


「リリアーナ様、何をなさっているのでしょうか」


「ちょっと足を見せてみろ」


「はい? いいえ?」


 混乱した応えを返しながらも手で押し留めてくるので、その抵抗をさらに押し返す。引こうとする足をがっしり掴み、逃がさないよう腿の上に乗り上げた。


「状態を見るだけだから抵抗するな」


「するなと申されましても、いえ、待ってくださいリリアーナ様、いけません。トマサも、見ていないで止めてください」


 裾は持ち上げにくいからひとまず脱がせようと、ベルトの金具をに手をかける。室内着用だからか、不慣れな手でも容易に外すことができた。ノックの音を背にボタンも外し終え、ずり下げようとした着衣をカミロが掴んでなおも抵抗を見せる。往生際がわるい。見上げる顔には妙な焦りが滲んでいた。


「こら、大人しく脱がんか」


「いいえ脱ぐわけには参りません、今一度、冷静になってください」


「わたしは冷静だ、すぐに済むから手を放せ」


「すぐにとかそういう問題では」


「……なんか、妹が男に馬乗りになって襲っているように見えるんだけど、僕ってば疲れてるのかなぁ」


 こちらへ聞こえる声量で漏らされたぼやきに振り返ると、扉を開けたままの体勢で固まっているアダルベルトと、呆れ顔のレオカディオ、その手前で背を向けているトマサがいた。応対に出ようとした所でそれよりも早く扉が開かれたようだ。

 そちらへ気を取られている隙に、カミロは手早くベルトを戻し、背中側にあったクッションを腰の上に置く。防御のつもりだろうか、そんなに嫌か。

 本人がそこまで嫌がるなら仕方ない。諦めて男の上から降りると同時に、部屋に四人分のため息が落ちた。


「怪我人に跨って何してんのさ、リリアーナ」


「いや、別に危害を加えようとしたわけでは。足が元通りではないと言うから、ちょっと様子を見ようとしただけだ」


「だけって。ああ……もう、賢いくせにその辺のアレが三歳児レベルなんだよなぁ、バレンティン夫人に知られたらどやされるどころじゃ済まないよ?」


「えっ! それは困る、そうだな、たしかにはしたない行為だったかもしれない、もうしないから夫人には言わないでくれ」


 ソファの端にあったクッションもカミロの股に乗せてやり、さらに防御を固める。無理強いをして悪かったと謝ると、男は曖昧な返事をして額を押さえた。

 足を心配したのは本心だし他意はなかったのだが、自分の『はしたない行為』を思い返したことで今ごろになって羞恥心に襲われ、顔面にじわじわ熱が上ってくる。年齢や立場に関わらず、無理矢理服を脱がせようとするのは良くなかった。うん。

 羞恥という不慣れな感情に戸惑いながらもその後は平静を装い、昼食に誘ってくれた兄たちに応じて部屋を移動することになった。






「……では、あと三日でイバニェスへ帰れるのだな?」


「そゆこと。被害状況の把握もできて、指令系統の立て直しも粗方済んだから、これ以上の手伝いはサルメンハーラのためにもならないだろって判断。天候とリリアーナたちの体調に問題なければ三日後には発つよ」


 兄からもたらされた帰宅の目途に、食事の手を休めてほっと息をつく。サーレンバー領から戻る途中にこの町へ来ることになったから、屋敷へ帰るのはずいぶん久し振りな気がする。早く自室のベッドでふかふかの寝具に包まれて眠りたいし、アマダの作る料理も恋しい。

 昼食はトマサのお陰でちゃんと具材の入ったシチューを出してもらえたものの、味付けがされているのか疑わしいほど舌に何も感じない。だが、食べないと回復しないし体力もつかないことはわかっている。自分を励ましながら、心を無にしてスプーンを口へと運ぶ。


「せっかくの機会だから諸々の話がまとまるまで居たい気持ちもあるんだけど、早めにイバニェスへ帰ったほうが良さそうなんだよね」


「?」


 思わせぶりなレオカディオの言葉に顔を上げると、兄たちは互いに目配せをしてからこちらを向く。


「お前にも関係のあることだから、隠さずにきちんと打ち明けておく。……最近、この町にいるキヴィランタ側の者たちが徒党を組んで、リリアーナを寄越せと言ってきているんだ」


「わたしを? なぜだ?」


「さぁ……。訳のわからないことを言うばかりで、全くこちらの言い分を聞こうとしなくてな」


 キヴィランタといえば広大な森を挟んで北側に広がる、魔王領の呼び名だ。そんな場所に所縁のある者たちが、どうして自分なんかの身柄を求めているのか。前に人狼族ワーウルフのアッシュたちとやりあった仕返しにしてはおかしい気もする。


「うーん、心当たりはないんだが、そやつらは一体何と言っているのだ?」


「それが、自分たちを統べる存在だから引き渡しは当然のことだとか、隠し立てするなら聖王国との全面戦争も辞さない、なんて一方的な要求ばかりこちらへ突きつけている。今のところ金歌殿たちが間に入ってくれて大ごとにはなっていないが、この宿にいることも知られているし、もし実力行使で奪いに来るつもりならここも危ない」


「病み上がりに無理をさせて悪いんだけど、なるべく早く発つべきだろうって、みんなで話し合って準備を進めてたんだ」


 寝ている間にそんなことになっていたとは、驚いた。たしかに魔法は人並み以上に使えるけれど、これまでキヴィランタ側とは個人的な接触もないし、いくら考えてみても全く心当たりがない。


「まぁ、屋敷へ帰れば防備も万端だ。前の侵入者騒ぎがあってから体制も強化された上、シオ殿も同行してくれるという話だからな」


「そーそー、コイネス経由でもう屋敷との連絡も取れてるし、可愛い妹のことはしっかり守るから安心してよ」


 護衛や防備の面でも大丈夫だという自負があるからこそ、隠さずに打ち明けてくれたのだろう。どんなに不穏なことだろうと、陰でこそこそ守られるよりもずっと安心していられる。「任せる」と言ってうなずくと、表情を強張らせていた兄たちも笑顔を見せてくれた。


「あとね、こないだリリアーナが言ってた糖根とうねの件。株を分けてもらえることになったから、帰って父上の了承もらい次第すぐに進められそうだよ!」


「……ん、糖根? 何のことだ?」


「えー、それも忘れちゃった? あの竜騒ぎのあった朝、馬車の中で話したじゃん。昔イバニェス領で育てられていた糖根が、森の向こうへ持ち込まれた話を聞いたことがあるって。こっちに種が残ってなくても、同じ株があるなら増やしやすいでしょ」


「前に俺が渡した、領内の収穫量の記録を見て気になっていたと打ち明けてくれた件だ。砂糖は利益率が良いから、昔はたくさんの農家が育てて領外出荷もしていたんだが。何十年も前にひどい水害があって、それ以降はみんな敬遠して糖根を作る畑がなくなったらしい。……たしか水に弱いんだったかな?」


 ぼんやりとそんな話をしたような覚えはある、はっきり思い出せなくてもアダルベルトの言葉から話の筋は見えた。

 以前、長兄がこっそり渡してくれた収穫量の推移などを記した資料。領政に関わるものを見せてもらえたのが嬉しくて、何度も熟読しては何か改善すべき点はないだろうかと考えたりもした。その際に、今は糖根が全く収穫されていないことに気づいたのだ。……昔は糖根を育てていたこと、それが森の向こうへ持ち込まれたことをなぜ自分が知っていたのかは、思い出すことができない。


「でも、ここ数十年は治水工事も進んで大きな水害は起きてない、せっかく気候も土壌も向いているなら育ててみたらーって話になって。外から来た移民なら糖根に対する忌避感もないし、彼らに丘陵地を割り振って育ててもらえば今の収穫物ともかち合わず、イバニェスの農民と揉めることもないだろうしさ」


「リリアーナは俺がさんざん頭を悩ませていたクレーモラの移民問題に、光明をもたらす提案をしてくれたんだ。……これも覚えてないとなると、やはり頭を打った影響が出ているのか? 大丈夫か?」


「ああ、うん。大丈夫だ、馬車で話したことは何となく思い出した」


 たしか、砂糖を身近で作ることができれば手に入りやすくなり、自分が得をするだけでなく街の店でも甘い菓子を取り扱えるようになるのでは、とかそんな考えが発端だった気がする。

 ほんの思いつきがふたりの優秀な兄によって、思わぬ方向に転がり出したようだ。


「イバニェスが砂糖の産出を手放してから相当経つけど、流通握って甘い汁を吸ってた連中がどんな顔するか楽しみだよ。既得権益の絵図を塗り替えるなんて面白いこと考えるじゃん」


「新しいことを始めようとすると既存ルートからケチがつくものだが、糖根ならうちが元々手がけていた作物だから文句も言わせないさ。丘陵地の開拓と岩山の発掘、どちらにも大きな雇用が発生するから本格的に動かすとなると忙しくなるぞ」


「砂時計に使う砂を採るんだっけ、あれ綺麗だから僕もいっこ欲しいなー」


「もちろんだとも。コバック殿たちも乗り気で、何か魔法を刻んでみようかという案も出ているから、試作品ができたらお前の意見も聞かせてくれ」


 どうやら寝ている間にも、勤勉なふたりの兄は自分たちの仕事をしっかり進めていたようだ。発端となる記憶に少々欠けはあるものの、彼らとイバニェス領の役に立てて良かった。小食なレオカディオと健啖家なアダルベルトはさっさと食事を終えたらしく、あれこれ楽しそうに今後のことを話している。

 そんなふたりを眺め、冷めて虚無感を増した味なしシチューを啜りながら、あとでまたトマサに果物をねだろうと決意した。


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