第399話 メギドの丘でつかまえて①


 小さくカットされた桃がひとつ、またひとつと皿の上から消えていく。せっかくトマサが追加を持ってきてくれたのに、自分がひとかけらを食べる間に三倍の速度で奪われるからおかわりの皿もすぐに空になりそうだ。

 少しは遠慮しろと思うのだが、同じものを好んでくれるのは嬉しいし、こうして目の前でうまそうに平らげる様を見ているとたしなめるのも気が咎める。フォークを刺して最後のひとかけは確保しつつ、反対の手で白い背を撫でた。


「小さいなりのくせに良く食べるものだなぁ。アダルベルト兄上にも食事はもらっているのだろう?」


「ええ、果物や砂糖の含まれない焼き菓子が好きだそうです」


「トカゲの類は肉食だったと思うけれど、お前は妙なものが好物なんだな」


 背びれを辿って尻尾を摘まむと、抵抗するように羽根が動いてベッドの端へ逃げた。妙に人慣れしている白竜の仔は、どうやら尻尾をさわられるのが嫌らしい。もう摘ままないと両手を広げてアピールすれば、警戒する様子を見せながらも膝の上に戻ってくる。


「ほとんどその子が食べてしまいましたね。また剥いてきましょうか?」


「いや、もう十分だ、ありがとう」


 先ほど昼食を終えてトマサとともに自分の部屋へ戻るなり、この白竜が扉の隙間から入り込んできた。

 アダルベルトが『エト』と名付けて可愛がっている仔竜は、羽毛と鱗に覆われた不思議な姿をしている。変身能力と人語を解するほどの知能を備えており、コバックの店で急に大きな飛竜ワイバーンになった時は驚いた。

 もっとも、そのお陰で町を危機に陥れた巨竜を討伐することができたらしいが、その辺りの記憶はどうも曖昧だ。俯瞰する町や、空いっぱいに広がる光輪など、断片的な情景だけが脳裏に焼き付いている。

 書斎で読んだどの図鑑にもこんな竜は載っていなかったけれど、兄はこのままエトを屋敷へ連れ帰るつもりなのだろうか。もしも魔物の仲間なら、何か問題になる前に森へ還したほうが良いのではとも思う。

 指先であごの下をくすぐってやると、エトはご機嫌な様子で目を細めて尻尾を振った。


<リリ、におい変わった。変わった>


「……? 体を拭くだけで湯浴みをしていないから、におうのか?」


 心配になって髪や腕のにおいを嗅いでみるが、自分ではよくわからない。もう起き上がってひとりで歩くこともできるから、今晩は寝る前に湯を使わせてもらおう。

 腹が満ちて満足したのか、膝の上を一周したエトはベッドを飛び降りて扉のほうへ駆けていく。トマサがドアノブを捻って開けると、隙間をするりと抜けてそのまま部屋を出て行ってしまった。

 そもそも長兄はペットの放し飼いなんてする性格ではないから、エトは黙って部屋を抜け出してきたのだろう。自分で戻れるから良しとするよりも、隙を突いて脱走するほどの賢さに頭を痛めているに違いない。


「人懐こくて可愛らしいが、あいつを連れ帰ると土産の果物をぜんぶ食べ尽されてしまいそうだな」


「たくさんございますから大丈夫ですよ、ご安心ください」


 久し振りに体を動かし、昼食とデザートを食べ終えたことで心地よい眠気が襲ってきた。夜に寝付けなくなると困るから程々の時間で起こしてほしいとトマサに頼み、少しだけ眠ることにする。

 カーテンを閉じ、ひとりになった部屋で見上げる天井は木材を組んだ簡素なもの。何だかここ最近は色んな場所で寝ている気がする。窓の外からは微かな馬車の通行音や鳥の声、たまに宿を出入りする人の声が遠く漏れ聞こえる。


 怪我の療養中ということでこうしてベッドの上で過ごしているけれど、残る微熱さえなくなれば体はいたって快調。むしろこれまでにないほど頭と気分がスッキリしているのが不思議だった。

 気の重さとか、長く引きずった苦悩とか、そういうものが綺麗さっぱり洗い流されて軽くなったような、……頭を打ったことでいくらか記憶が欠落しているらしいから、もしかしたら悩み事まで忘れてしまったのかもしれない。

 良いことなのか、悪いことなのか。いくら記憶を掘り返そうとしても抜け落ちた部分は空っぽで、手掛かりもなにも『本体』自体がそこにないため、全く思い出すことはできなかった。






 次に目を開けても簡素な天井はそのまま。ただ、部屋に差す光量が変わったような気がする。

 まだ夕刻前、ほんの少しうたた寝をした程度。

 二、三度まばたきを繰り返して、そこでベッドのすぐそばに誰かが立っていることに気づいてちょっと驚いた。枕の上で頭をずらし、薄暗い部屋の中でさらに逆光になった男のシルエットを見上げる。


「……無断で部屋に入るなどマナー違反だぞ、驚いたではないか」


「うん、ごめんごめん。ちょっと様子を見たらまた戻るつもりだったんだよ」


 部屋のどこにもトマサはいないから、侵入経路は窓に違いない。もし誰かに見つかればせっかくの働きや評価がマイナスにもなりかねないというのに、一体何をしているんだろう。

 もう一言くらい文句を言ってやろうかと思ったが、どうせ効果はないと諦めて体を起こす。枕とクッションを重ねてベッドヘッドへ立てかけ、そこに背中を預けて座った。黙ってそれを見ていた男も会話に応じるつもりはあるようで、見舞い用の椅子を持ってきて腰かける。

 薄暗いからカーテンを開けてもらおうかと思ったが、こちらがそれを言うよりも先に指先の一振りでランプに明りが灯った。くすんだ赤、煉瓦色の髪が小さな明りに照らされる。


「調子は良さそうだね」


「ん、お陰で怪我はきれいに治ったし、様子をみて問題なければ三日後にはイバニェスへ帰るらしい。もう聞いているか?」


「うん、相談の場に同席させてもらったからね。同じ馬車には乗れないけど馬を貸してくれるそうだから、オレが安心安全におうちまで送り届けるよ、任せて~」


 器用に片目をつむって見せたシオは、次の句を探すように膝の間で組んだ指をもぞもぞ揺らす。何か言いあぐねているのか、らしくもなくさまよわせた視線がサイドボードの上で止まった。

 シンプルな据え置き棚の上には見舞いの品として持ち込まれた花が生けられ、その隙間に薄灰色のぬいぐるみが置かれている。


「アル君、直ったんだね?」


「あるくん……? あぁ、このぬいぐるみか。だいぶ前に父上からもらった土産なのだが、どうもこの町で買った物らしくてな。わたしが寝ている間にコバックの夫人が綿を詰めて縫い直してくれたんだ」


 腕を伸ばして丸々としたぬいぐるみを手に取る。何年も持ち歩いたせいで少し薄汚れていたけれど、新しい生地にしてもらったお陰で新品同様。前はついていなかった小さな手足が追加され、ネズミなのかウサギなのかますます良くわからない見た目になった。たしか、元はボアーグルという狂暴な魔獣をモデルとしているはずだが。

 新たに手足がついたわりには、以前よりもだいぶ軽くなった気がする。詰められている綿の種類が違うのか、……いや、そういえばフェリバが起き上がり人形にするための重りを入れていたのだったか?


「そっか、きれいに直って良かったね」


「うん。いくら気に入っているとはいえ、外に持ち歩くものではないな。帰ったら他の人形と一緒にチェストへしまっておかないと」


 子ども扱いを嫌うくせに、父からもらったぬいぐるみに名前をつけて肌身離さず持ち歩くなんて、自分でもどうかしていたと思う。愛嬌のある見た目とふかふかした触り心地は落ち着くけれど、いつまでも幼さに甘えるようなことはしていられない。

 腹部を何度か押してその弾力を楽しんでから、また元の場所へ戻す。そうして何気なく視線を上げた先で、シオがめずらしく神妙な顔をしていた。


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