第361話 暮夜のリフレクシオ②

※タイトルがずれてしまってたので、いっこ前を『暮夜のリフレクシオ①』、ふたつ前を『白い仔竜』に修正しました。(2022/2/5)




 外套の中から漏れる暖気のせいか、鎧の表面がもわりと曇った。

 起こしてしまうと厄介だから構うのはこれくらいにして、酔い覚ましも兼ね朝まで放っておこう。


「聖堂と連絡はついたし、この男はその辺に放り出しておいても風邪なんかひかない。カミロ、お前もちゃんと横になって休めよ」


「ありがとうございます。私のことはどうぞお気になさらず、冷えますからリリアーナ様こそ馬車へ戻られて下さい」


「気になるに決まっているだろう、まったく、お前はすぐそれだ」


 足の件といい、極楽鳥から落ちた時といい、この男はどうにも自身を軽視しがちなところがある。

 いくら職務に忠実だからといって、自分をないがしろにしてまで尽されたって嬉しくも何ともないのだ。

 とはいえ、相手はカミロ。どうせこの場でそれを説いたところで聞きはしないとわかっている。だから実力行使とばかりに、立ち上がって男の背中――身長差のせいで腰のあたりを、ぐいぐいと両手で押した。


「リリアーナ様?」


「ヒトは誰だって動けば疲れるし、眠らなければ肉体と精神の疲労は取れない。明日もわたしたちのために働くつもりなら、今はしっかりと休め!」


 わずかな抵抗を見せるも、カミロは押されるままにレオカディオの乗って来た馬車へと近づく。中では兄たちと八朔が寝ているはずだ。

 搭乗スペースよりも乗り心地や調度品を優先した造りが外観からもうかがえる。男四人で寝るには少々手狭かもしれないが、みんな細身だし体を横たえる隙間くらいはあるだろう。

 仕える相手と同じ場所で眠るだなんて恐れ多い、なんてことを言い出したらエルシオンから没収した小瓶でも使ってやろうか。そんなことを考えていると、そこまで大人しく歩みを進めてきたカミロが足を止めた。


「どうにも、至らないところばかりお目にかけてしまい、申し訳ありません」


「十分すぎるほど良くやってくれている。と言ったところで、内省はやまないのだろうな」


 マグナレアから聞いたばかりの話が頭をよぎる。

 長兄もカミロも、自分の優秀さにもっと自信を持って良いくらいなのに。上を望みすぎなのか、それとも何かが足りないと思っているのか。


「お前は何でもかんでも背負い込みすぎだ。全てを完璧にできる者なんてどこにもいやしない。たとえ万能に近い力を持っていたって、落ち度や失敗はある。ただのヒトなら尚更だろう」


「……」


「本当に取り返しのつかない失敗をしたときに、後悔に苛まれて自分がいやになることだってある。ああすれば良かったとか、もっと違う手を打てたとか、ぐだぐだと考えて何日も引きずってしまう。自分の至らなさを悔いて、無力感に打ちひしがれて。やり直すことができればと、栓ないことを願ったり……」


 過ぎた日の後悔を思い返したせいだろうか。今ここにいる自分が『どちら』なのか、喋りながら一瞬わからなくなった。

 地面は近く、カミロの腰を押す手は小さい。

 自分は幼いリリアーナだ。もうデスタリオラではない。

 乖離しそうになる何かを留めるように、一度強く目蓋を閉じる。


「……いや、すまない、おかしなことを言った。とにかくお前も休め、見張りなら心配いらないから」


 もし何か危険が迫ればアルトが報せてくれるし、ここから見える範囲だけでも出入口の柵と水場のある小屋の扉には、馬車の番をしていた自警団員たちが見張りに立っている。

 彼らだって交代で休息を取るのだから、侍従長であるカミロが無理して不寝番をする必要はない。


「力及ばないのを悔いるのと、無力を悔いるのでは、次元が違うとは思われませんか?」


「……?」


 背を向けたままの頭を見上げる。いつも何か話すときはちゃんと自分の方に顔を向けて話すのに、珍しく目も合わせずに問いかけてくるカミロ。

 その問いは本当に自分へ向けられたものなのだろうか。

 一瞬、答えに詰まりかけて、言葉を返すよりも先に男の前へと回り込む。


「すみません、独り言が漏れました。忘れて下さい」


「忘れても構わないが、聞こえてしまった以上は答えるぞ」


 ゆっくりと瞬いたカミロが、顔を傾けてようやくこちらに視線を合わせる。


「そのふたつに大した差はない。望む解決に手が届かなかったのなら、結局は同じことだ。一が十に届かないのも、ゼロが一に及ばないのも変わりない。せめて同じ失敗を繰り返さぬようにと省みて、に備えるしかないだろう。失敗をなかったことにしたり、忘れてしまうよりはだいぶマシだ」


 だらりと下がったままのカミロの手を取り、そこにポシェットから抜き出した小瓶をのせる。


「常習性があると聞くから、あまり頻繁に使うのは推奨しかねるが。あの男から没収したベンドナの花粉だ。寝る場所が狭いとか、色々考えすぎて眠れないなら、今晩のところはこれの香りを嗅ぐといい」


「寝坊をしてしまいそうですね」


「そうしたら腹を空かせたわたしが乗り込んで起こしてやる、心配するな。お前にはちゃんと皆の分まで朝食を用意してもらわないと困るからな」


 エルシオンによって不意打ちで眠らされた因縁のある品だ。突き返されるかもしれないと思ったけれど、カミロは渡されたガラスの瓶を手にしっかり握り込んだ。


「……リリアーナ様は、すぐに眠り直せそうですか?」


「わたしは大丈夫だぞ、いつだって寝ようと思えばどこでも眠れる。繊細すぎるレオ兄とは違ってな」


 至極真面目にそう応えると、カミロは口の端だけで不器用に笑って見せた。

 そうして体を斜めにずらし、顔を上向ける。


「もし、夜の散歩がし足りないようでしたら、あちらへ」


 同じ方向に顔を向けて見上げると、小屋に併設される形で物見櫓が建っていた。

 高さはさほどなく、かろうじて外壁の向こうが望める程度だろうか。見張りのためというよりは門との連絡などに使われているものかもしれない。造りも簡素で、上との行き来は梯子一本だ。


「アダルベルト様はあちらにおられます」


「えっ、あの上に?」


「夜風が冷えますから、ある程度したら呼び戻しに参ろうと思っていたのですが。寝具を整えるまでに時間がかかりそうなので、もう少しだけ先延ばしとしましょう」


 そう言ってカミロは肩にかけていたマフラーを解き、首に巻きつけてくれた。

 少し考えるような素振りを見せてから手袋まで外そうとするので、その手を掴んで自分が着込んでいる外套の胸元へと突っ込む。


「この中を温かくしているから、もう十分だ」


「っ、左様ですか」


 何か熱いものにでもふれたように、カミロはすぐに手を引っ込める。

 ただの暖気の魔法だから、そこまで熱くはないはずだが。自分の手で懐をまさぐって温度を確かめ、首を捻る。


「まぁいいか。では少しだけ散歩・・をしてくる」


「はい。念のためおふたりが戻られるまでは私もこちらにおります。お風邪を召してはいけませんから、どうかあまり長居はされませぬよう」


「わかった」


「あと、梯子は滑りやすいですから足を踏み外さないようお気をつけください。上の柵も思いの外低いので、眺めが良くても身を乗り出しては危険ですよ、それと」


「わかった、わかった、気をつける」


 延々と注意事項が続きそうなカミロの言葉を遮り、物見櫓にかけられた梯子へと向かう。

 ここをアダルベルトがひとりで上るのを、一体どんな気持ちで見送ったのだろう。思うことは色々あったろうに、それでもひとりになろうとする兄の行動をカミロは止めなかった。

 そして、自分が向かうように促してくれた。

 以前であれば、危ないからとか、体を冷やすからと言って、ひとりでこんなことはさせて貰えなかったように思う。

 何でも抱え込む性質の男から何かとても大事なものを託されたような気がして、梯子を掴む指先が少しだけ震えた。


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