第360話 暮夜のリフレクシオ①


 馬の小さな嘶きが聴こえ、ふと目を開けた。

 他の皆は寝静まっているのか、周りは静かだ。

 同じ毛布に包まって寝ているトマサを起こさないよう、そっと座席を抜け出す。

 予定よりもずいぶん早くサルメンハーラに着いたということは、それだけ途中の休憩を短縮してここまで馬車で駆けて来たということだ。レオカディオだけでなくトマサもこの二日間、ほとんど眠れていなかっただろう。

 聖堂で再会してからもずっと背筋をぴんと伸ばし気丈にしていたけれど、アダルベルトと自分の無事を確認して気が抜けたらしい。座席で毛布を分け合うなり、すぐに眠りに落ちてしまった。



 足音を忍ばせながら扉に近づき、窓についている小さなカーテンを開けて外を覗く。照明が少なくてほとんど真っ暗だけど、耳を澄ませると微かに人の話し声らしきものが聞こえてくる。

 まだ誰か起きているのだろうか。肩から下げたままだったポシェットを指先でつつくと、問いたいことを察したアルトがすぐに答えてくれた。


<自警団員がひとりと、例の鎧が来ています。カミロ殿に顛末などを報告しているようですね>


「カミロは寝ていなかったのか。まったく、ちゃんと休めと言ったのに」


<リリアーナ様や他の皆さんが眠られてから、さほど時間は経っておりませんし。これから寝るつもりなのでは?>


 確かに空が白んでいる様子はなく、まだ夜中なのだろう。

 体は疲れているはずなのに、十分な昼寝をしたせいか妙に目が冴えてしまった。寝直すのは後にして、少しだけ馬車を降りることにする。



 河原から六人でぞろぞろと移動したのは、宿屋のある商店通りではなく、町の入口側にあるうまやだった。

 この時間では空いている宿を探すのに手間がかかるのと、身を隠すならサルメンハーラ内の施設はあまり利用しないほうが良いだろう、という判断からほとんど消去法で残ったのが、レオカディオたちの乗ってきたイバニェス領の馬車だ。

 この厩もサルメンハーラの施設には変わりないが、もし襲撃があったときは宿屋よりもずっと逃げやすい。町の外門さえ何とかすれば、あとはそのまま馬を走らせるだけで良いのだから。


 コンティエラの商人から借り受けたという長距離用の馬車は野宿も想定して造られているため、半ば強引に、疲れている者の多い男たちに割り当ててもらった。特にレオカディオは座席などではなく、きちんと体を横にして寝たほうが良い。

 自分は休めれば十分だからと、この自警団の馬車にしたのだが、それに付き合うことになったトマサには悪いことをしてしまった。せめて朝までゆっくり眠ってほしい。



 ドアノブを掴んで開くと、空気の冷たさに身震いする。

 気持ちが挫けたので一旦ドアを閉めて、周囲を見回す。壁のラックに自警団員の外套らしきものを発見し、(念のため匂いを嗅いで大丈夫そうだと判断してから)それを拝借することにした。

 すっぽり被った中で暖気の構成を描くと、ほとんど寒さは感じなくなる。

 準備を済ませたところで今度こそ、馬車の扉を開けて外に出た。


「リリアーナ様、目が覚めてしまわれたのですか?」


「ああ、うん」


 間を置かずかけられた声に、曖昧に応える。タラップを降りて声のした方向へ顔をのぞかせただけで、カミロにはすぐに気取られてしまった。

 別に盗み聞きをしようとした訳ではないし、気まずさを抱く必要もないかとそのまま近寄ることにする。

 厩の入口付近、庇の下には外套を着込んだままのカミロと、黒い制服の自警団員、それとその足元に光沢を放つ甲冑が壁に背を預けて座り込んでいた。

 自警団の青年は見覚えのない顔だったが、こちらを見るなり敬礼を向け、そのまま早足で去ってしまう。

 もう用事が済んだのなら気兼ねする必要もない。報告とやらの内容を教えてもらおう。


「聖堂の方は大丈夫だったか? 伯母上の様子は?」


「ええ。今報告を受けたところですが、マグナレア様は幸い軽傷らしく、残った自警団員たちを礼拝堂へ泊めて世話を焼いて下さっているそうです。念のためこの厩へ向かってみろと指示を出したのも彼女だそうで」


「そうか、さすがは伯母上だな。それで、あの衛兵たちはどうなった?」


「標的を逃したことに加え、そこの鎧の働きもあり、どうやら今晩のところは諦めたようですね。リリアーナ様たちが去ってから、そう経たずに全員撤収したとのことです」


 あの金歌の様子では、そう簡単に手を引いてくれるとは思えない。日が昇ったらこの場所も移動したほうが良さそうだ。

 もしくは、聖堂に残った自警団員たちを撤収させて、皆でさっさとイバニェスへ帰ってしまうとか。

 アダルベルトも八朔も確保できたし、町の様子をゆっくり見学する暇がなかったのは残念だが、他にはもうここに残る理由もない。


「明朝、また改めて連絡の取り次ぎに来させます。今後の動きについては皆さんが目覚められてから、話し合って決めましょう」


「そうだな。一度顔を付き合わせて情報共有したほうが良いだろう。わたしも、お前に報告しないといけないことが色々ある」


「何も、全てを話される必要はありません」


 その言葉に、カミロの顔を見上げる。

 大人たちが情報を制限しているのだから、こちらも言えないことは秘密のままで良い。――そんな言外の取り決めにこれまで甘えてきたけれど、打ち明けなければ後々問題になったり、周囲の誰かに危険が及ぶような秘密は、もう抱えないほうがいい。いっそキンケードに忠告されたように、カミロにはちゃんと話しておくべきなのかもしれない。

 ……まぁ、エトの一件に関しては、自分も気づいていなかったと言い訳くらいさせてもらいたいところだが。


 カミロの言葉には応えないまま、傍らにしゃがみ込んで鎧の様子をうかがう。

 ひどい酒臭さはいくらか薄れたものの、やはりあの酒場にいたアダルベルトのような鼻をつく酒精の匂いがする。

 酔っ払いは呑気に寝こけているらしく、顔を近づけると兜の内側からくぅくぅと間の抜けた寝息が聞こえた。


「これは、あの彼ですか?」


「ああ、その彼だな」


 フェイスガードの留め金を弾き、顔面を覆っている部分を下げる。

 中からは外見年齢相応とも言えるような、どこか幼さも残る寝顔が露わとなる。

 額からこぼれる前髪は赤い。こうして甲冑を着込んでいれば見た目ではわからないからと、髪の色は元に戻したのだろう。


人狼族ワーウルフの衛兵に匂いを覚えられているから、町中で動くにはそれを何とかする必要がある。……まさか匂い消しに酒を使うとはなぁ。手っ取り早くはあるが、こんなに泥酔しては余計に危険だろうに」


「となると、この鎧も匂い消しの一環でしょうか。いくら鼻が利く相手とはいえ、金属臭に遮られては特定も難しくなりますから」


 そこまで徹底して体臭を消したところで、こんな姿で町を歩いていたら別の意味で通報されそうだ。

 匂いの強さから見て、呑んだだけではなく鎧の上から酒を被った可能性もある。せっかくブエナペントゥラから貰った甲冑に何てことをしてくれるのか。後できっちり洗わせてからの返却を求めよう。

 一日振りに見るエルシオンは目元を赤くした呑気な寝顔のまま、一向に起きる気配もない。


「これが、先ほど言ってらした助っ人ですか」


「うん。鎧のほうはブエナおじい様から土産に貰った甲冑で、テッペイというんだが。ほら、クストディアに指紋をべたべたつけられたと話しただろう?」


 この町へ来る途中、カミロにはサーレンバー領での出来事をあれこれと話して聞かせた。馬車にのせてきたテッペイも、屋敷へ戻ってちゃんと仕上げてから披露しようと思っていたのに。

 どうしてこの男がテッペイを纏っているのか。

 聖堂で輝く鎧を目の当たりにした瞬間、疑問を抱くまでもなくすぐに思い当たった。


 捕縛されてイバニェスへと連行されるエルシオンは、縄に巻かれた状態で荷馬車の隅に放り込まれたと、途中寄った花畑で本人が語っていた。

 縄を解いて馬車を抜け出すにも、荷物が満載の中で身動きを取るには、まず周囲の障害物を何とかしなければならない。

 その際に収蔵空間インベントリを使ってスペースを確保して、おそらくそのまま飛竜ワイバーンの騒ぎがあったせいで荷物を戻しそびれたのではないだろうか。


 ……大掛かりな魔法を使えば、町のどこかにいるエルシオンが察して駆けつけてくれる、なんて。この男の助力をあてにした考えを抱いたばかりだし、自力ではどうにもならない状況から助けてもらったのも事実だから、鎧の無断使用と酒まみれにした件だけは、この際不問としよう。


「世話になったな」


 手を伸ばし、兜の上から軽く頭を撫でる。

 金属越しだからエルシオンの頭蓋が爆散することはなく、無駄に騒がれうるさくなる心配もせずに済む。

 こうして大人しく寝ているあどけない顔は、長兄よりも少しだけ年嵩の、面差しに少年らしさを残したどこにでもいそうな青年だ。

 外見年齢を止めたまま、六十年近くも生きてきた元『勇者』。

 この男に近づかれるといつも悪寒がしていたのに、不思議と今はそれを感じない。だから本人の意識がない今だけ、素直に礼を言い、手ずから労ってやることにした。


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