第359話 白い仔竜


 建物と塀の境を回り込み、裏門に向かってひた走る。

 ……とは言っても自分は八朔に背負われているだけだから、何の苦労もないのだが。

 そうして成長途上の首に腕を回したまま、しきりに上を気にしていたのを勘付かれたようで、アルトから気遣わしげな念話が届く。


<ご安心ください、伯母君は軽傷です。軽い脳震盪を起こしていたようですが、すでに意識は戻り骨にも異常はありません。テオドゥロ殿が布を巻いたり冷やしたりと忙しく動いていますから、彼に任せておけば大丈夫かと>


 その報告に、ほっと息をつく。飛竜ワイバーンの追突によって石造りの二階に大穴が空いたものの、人的被害はほとんど出なかったことは幸いと言えるだろう。あの速度で無闇に突っ込まれては、怪我人どころか下手をすれば死人が出ていてもおかしくなかった。

 とはいえ、追突の目的がアダルベルトの奪取――いや、『救出』なのだとしたら、あらかじめ建物内のどこに誰がいるのかは探査の魔法などで分かっていたのかもしれない。

 追いついて対面が叶ったら、彼ともちゃんと話をしなくては。


 裏門から出たところで、一度足を止めた八朔とともに東はどちらだったかと道の左右を見回す。

 夕方に窓から抜け出したときは同じ東を目指して右手側へ向かったから、こちら側だと反対に……

 そう頭の中でサルメンハーラの地図を思い描いていると、塀の陰から顔をのぞかせたアイゼンが左側を指していた。その姿に気づき、視線が合うとすぐに頭を引っ込めてしまう。

 先ほどから姿が見当たらないと思っていたら、こんなところに隠れていたのか。


「八朔、あっちだ!」


「あいよ!」


 東側の道を指さして八朔を走らせる。少し足を止めた間に追いついたらしく、振り向いて確認すると余裕を見せるトマサとすでに辛そうなレオカディオがすぐ後ろを走っていた。


「なんで、僕まで、走らなきゃ、いけないんだよ……っ」


「のろいな。お嬢、急いでるんだろ? あいつ置いてっていいか?」


 八朔の端的な物言いに、レオカディオは歯を見せながら唸り声のようなものを上げるが言葉になっていない。おそらく足を動かすだけで精一杯なのだろう。

 カミロでは追いつけないからと急かされて走っているのに、それを言った本人のせいで進みが遅くては本末転倒だ。


「レオ兄は今からでも聖堂に戻ったほうが良いのではないか? テオドゥロや伯母上と一緒に屋内にいれば安全だと思うぞ?」


「あのね、貧弱扱い、しないでくれる? 普段なら、こんくらい、余裕だしっ。ここへ、着くまでに、疲れて、体力ギリなんだよっ!」


 ならばなおさら、聖堂に残ったほうが良かったのでは。

 ちらりとその後ろを走るトマサへ視線をやると、心得たとばかりにうなずき返される。


「リリアーナ様には、すでに侍従長たちの行き先がお分かりですか?」


<この少年を助けた下水路口よりもやや手前、河川敷のあたりで足を止め、……あ、カミロ殿が追いつきました。探査範囲を引き伸ばしているので会話までは拾えませんが、そこから動く様子はないようです>


「……この先を真っ直ぐ行くと土手に出るんだが。その川沿いを少し進んだ河川敷にいる」


「かしこまりました。どうぞ先をお急ぎ下さい、レオカディオ様と共に後から参ります」


「ああ、頼む」


 その言葉を許しと受け取ったのだろう、自分を背負う八朔の走る速度がぐっと増した。これまでは一応、後続を気にして速度を抑えていてくれたらしい。

 背中に強い揺れが伝わらないよう膝で衝撃を殺しながら、四足歩行の獣を思わせる速度で駆けていく。

 治療が済み、十分な食事と休憩を取ったことで体力が回復したせいだろう。夕方に負ぶってもらった時よりも足取りがずっと軽快だ。

 その速さに感心して声をかけようとしたが、今不用意に口を開くと舌を噛みそうだ。

 首にしっかり掴まり、せめて走る邪魔にはなるまいと身を固くしながら暗闇の先を見つめた。




 夕方に屋根の上を駆けたときよりも尚早く、河原へ差し掛かる。背中から指さして方向転換をさせると、アルトの言う通り、八朔がいた地点よりも少し手前のひらけた場所にカミロとアダルベルトの姿を見つけることができた。

 それなりの距離を走ったはずだが、肩で息をしているのはアダルベルトだけ。蹲るように腰を下ろすその横で、カミロはいつも通り涼しい顔のままこちらを振り向く。


「リリアーナ様、ご無事で何よりです」


「あぁ、トマサとレオ兄もじきに追いつく。あの場に残るよりは、こちらに来たほうが良いと判断した」


「聖堂の方は大丈夫でしたか?」


「ん、自警団員たちが残ってくれているし、あと……まぁ、後ほど説明するが、助っ人も駆けつけてな。追われる心配もなくこちらへ来ることができた」


 足を止めた八朔の背から降ろしてもらい、土手の斜面に座っている兄へ歩み寄る。

 無言のまま顔を上げたアダルベルトは、観念したというよりは、どこか途方に暮れているように見えた。

 その腕の中には白い塊、尾を巻くようにして体を丸めた小動物が寝ていた。普通の生き物とは違って呼吸をしないから、ともすれば死んでいるようにも見える。

 背後から顔を突き出し、それをのぞき込む八朔が首を傾げた。


「何だこれ、トカゲか?」


「……翼竜だ」


 その断定に、翼竜の子どもを大事そうに抱えるアダルベルトが顕著な驚きを見せる。


「リリアーナは知っているのか?」


「以前に少しな。……部屋でトカゲを飼っているとは聞いたが、さすがに正体がコレだとは想像もしなかった」


 穴の空いた二階から「エト」と呼ぶ声が聴こえたときに、まさかとは思った。

 だが、こうして目の当たりにしてみれば間違いない。これはかつてキヴィランタで世話になった翼竜セトの仔、エトだ。

 たしか派手な親子喧嘩をした直後、行方不明になってしまったとセトが嘆いていた。あれ以来エトの話を聞くことなく、セト自身もあまり魔王城へ姿を見せなくなっていったのだが。

 あの頃はウーゼの件もあり、自分も気が立っていたせいであまり構ってやれなかったのが悔やまれる。


 ……そもそも、よーく思い返してみれば、若干、ほんのわずか、少しばかり、思い当たる節がないわけでもない。

 息子が家出したとセトが泣きついてきたのは、蜥蜴族リザードルとの一件が終わった後。

 その際にエトの姿を最後に見たのはいつかと問われて、城の裏手で収蔵空間インベントリの整頓をした時だと答えたのを覚えている。

 数日がかりにはなったものの、異空間から一通り引き出しリストアップして、あとはまとめて収蔵し直す単純な作業。

 膨大な物品の数々、出したものを再びしまうだけだから、そこに何か紛れ込む可能性なんて考えもせずに。


「翼竜……そうか、やっぱりドラゴンの仔だったのか」


「ということは、兄上は知らなかったのか? 世話をするようになった経緯なども気になるが、ここは落ち着いて話をするのに向かないな。レオ兄とトマサが合流したらどこかへ移動しよう」


 上着を着ていないせいで、正直とても寒い。八朔の背中にくっついているほうがまだ温かかった。

 もう一度背負ってもらうのはさすがに悪いだろうか、八朔自身は寒がっている様子もないし……なんて迷っているうちに、カミロが着ていたものを一枚脱いで肩からかけてくれた。

 これではお前が寒いだろう、と返したくても、それを受け取る男でないことは良くわかっている。諦めて礼を言い、自分には長すぎる外套の前を手で合わせた。


「……結果的には皆で聖堂から移動できて都合が良かったな。と、言ったところで兄上はまた自分を責めるのだろう。とりあえず、せっかく追いかけてきたのに顔も合わせず逃げられたレオ兄が怒っているから、後で大人しく怒られてくれ」


「ああ。それは、怒られても仕方ない」


 弱々しく笑って見せるアダルベルトは、腕の中の翼竜を起こさないようにゆっくり立ち上がった。

 そして元来た方に顔を向けるのでそちらを振り返ると、早足程度まで速度を落したレオカディオとトマサが斜面を下りてこちらへ近づいてくるところだった。

 どうせ戻るのだから、ここまで来させるよりは自分たちが向かったほうが良さそうだ。

 カミロが大きく手を振って見せてから、「そこで待て」と思しき合図を送る。すると足を止めたトマサの傍ら、レオカディオが力尽きたように芝生の上へ倒れ込んだ。


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