第357話 猛獣の尻尾②
「その珍しい髪色と瞳、イバニェス家の次男坊だろう? お初にお目にかかるね、年のわりに腕利きだそうじゃないか、こっちまで噂が届いているとも。木偶の長男よりずっと切れ者で忙しい身の上だろうに、先触れもなくこの町を訪れるとは何かのっぴきならない急用でもおありかい?」
「……」
そっと隣の横顔をうかがえば、愉快そうに吊り上がる口角と細められた目。
にっこり輝かんばかりの満面の笑みを浮かべて見せるが、普段から取り繕った笑顔を振りまくレオカディオをよく知るものならば、それが内心との差を現した表情だとひと目でわかる。
機嫌のとんでもない急降下を感じ取り、リリアーナは二日ぶりに再会した次兄からそっと半歩距離をおく。
金歌は何か、レオカディオの中のまずいものを踏んだようだ。
「僕がどこで何をしようと勝手だろう、いちいち報せなんて出してやる義理はないよ。こう見えて、僕は領主名代としてこの町に来ているんだよね。相手がどんな立場でどれだけの権限を持っているか、ちゃんと理解した上で煽るべきだよ、おばあちゃん。そんな薄着で徘徊してちゃ寒さが老骨に沁みるだろう、無理しないで早くおうちに帰ったら?」
「ふん、口の悪い子だこと。名代だろうが何だろうが、他領の問題にまで首を突っ込んでほしかないね。こっちは大人の事情ってヤツで取り込み中だよ、世間知らずの坊やこそ領事館で甘いホットミルクでも啜っていたらどうだい?」
余裕を崩さずまるで譲る気のない金歌の態度を、レオカディオは嘲るように鼻で嗤う。
「他領だって? 笑わせるね、イバニェスをお隣さんだなんて思ってるのはそっちだけだよ、間借りしている分際で図々しい。自治領はあくまで自称、ウチとしてはいつサルメンハーラが解体されたって損はないんだから。便宜を図ってイチにしてやったのがゼロに戻るだけさ」
「そんな脅しが通用するとでもお思いかい? 今やこの町はイバニェス家の一存でどうこうできる規模じゃないと、おつむのよい坊ちゃんなら分かってるだろうに」
「溜め池で肥えたカエルがよく鳴くもんだ。一体誰のお陰で中央からお目こぼしして貰ってるのかも忘れて。やだやだ、年は取りたくないもんだねぇ」
わざとらしく肩を竦めて見せるレオカディオを引き気味に眺めていると、いつの間にか八朔を支えるトマサがすぐそばに立っていた。
久し振りに顔を合わせるお付きの侍女を見上げれば、生真面目な面持ちのままうなずき返される。
親しい身内に守られる安心感。それに浸る間もなく、レオカディオは舌鋒を緩めもせず容赦のない言葉を続ける。
「僕は懐が広いから、意思疎通さえ叶うなら種族が違っても上手くやってけると思ってる派なんだけど。名代としてはそんな個人の感情を持ち込めないからなぁ、どうしようかなぁこの強硬な態度、サルメンハーラに攻撃の意思有りと見なしちゃおうかな~」
「言ってくれるね。坊ちゃんなら自分を取り囲んでるのが何者なのか、もうわかっているんだろう? 私らがその気になれば、ここで鉢合わせた事実も証拠も、肉片ひとつ残さずきれいサッパリ消してなかったことにもできるってのに」
「あはは、それで脅し返してるつもりかい? 相手をよく弁えてものを言いなよ、一兵卒風情が。個の能力なんて盤面の隅を騒がせる程度の駒でしかないと、かつてこの地で学んだはずだろう。それとも何かな、昔すぎて忘れちゃったかな、もう一回全滅するまで試してみないとわからない?」
その言葉に、金歌だけでなく居並ぶ衛兵らにも怒気が膨らむのを肌で感じ取る。
昔日の『暴虐の魔王』による大侵攻。聖王国の東西から押し寄せた魔王軍の無謀さと、その失敗について言及しているのだろう。
今こうして立つこの場所は、かつて争って死した者たちの亡骸と、魔物の共食いによる骨で一面が埋め尽くされた境界の土地だ。
詳細には伝わっていない大昔の出来事でも、その子孫間で軽々に持ち出して良い話題ではない。
さすがに言い過ぎだと兄の腕を掴んで揺さぶると、レオカディオはこちらに顔を向けて茶目っ気たっぷりに舌先を出して微笑んだ。
ちょっとイタズラが過ぎたとでも言いたげな悪びれない様子に、一体どんな神経をしているのかと我が兄ながら舌を巻く。
「とにかく、この子を渡す気はないよ。どうしてもって言うなら正式な手順を踏んで、領事館への招待でもしてみれば。もちろん後見人同伴でね」
「後見人? ふん、やはりただの猫人族の娘っ子じゃなかったわけかい」
金歌のその言葉に、レオカディオは隣にちらりと目を向けてフードの上を見た。
そして無言のまま視線を交わすだけで、兄がおおよその状況と相手の勘違いを理解したことが伝わる。
「ま、とりあえず今晩のところは退いたほうが得策だと思うよ。サルメンハーラのおじさんのことは僕も嫌いじゃないし、仲良くしていきたいってのは本心だから」
「それが飲めりゃあ、こちらも楽なんだけどねぇ」
そう言ってにたりと笑う表情も、緩むことなく拳に込められている力も、この場を譲る気がないことをありありと告げていた。
数の上ではほぼ互角、だが種族の違いによる個人の力量差はどうしようもない。たとえカミロとテオドゥロが降りてきたとしても、ここで正面からぶつかるのは自警団側にとって不利でしかない。
門の外からこちらをうかがう他の衛兵たちがどう動くか次第なところもあるが、できれば正面衝突は避けたい。
せめて魔法を扱えるくらい、自分の力が回復していれば……
そう歯噛みしつつ状況を検分していると、聖堂の中から何かバタバタと騒ぐ物音が聞こえてきた。
金歌たちへの警戒を保ったままそっと振り向けば、開け放した扉の向こうに階段を駆け下りてくるアダルベルトの姿が見えた。
自身の名を呼ぶカミロの声を振り切り、胸元に何かを抱えたまま礼拝堂の奥まで走っていく。
「あっ!」
既視感から声が漏れる。まさかと思ったその通りに、アダルベルトは奥の窓を開け放ってそこから身を乗り出した。
昼間の八朔と同じように一瞬だけこちらをすまなそうに振り返ると、その姿はすぐに外の闇へ呑まれる。
「何してんのあれ……」
隣に立つレオカディオが、生気の抜けた声で呆然と呟く。
それも無理はない。昼夜を押して苦手な馬車での長距離移動をしてきたばかりなのに、救助しようとした兄が言葉を交わす間もなくひとりで勝手に逃げ出したのだから。
混乱する次兄の隣では、リリアーナも頭を抱えてしゃがみ込みたい衝動に駆られていた。
一瞬だけ見えた、アダルベルトが胸元に抱えるモノ。
あの白い塊にはどうにも見覚えがあるし、先ほど聞こえた名前が本当ならば、もしかしたらあの
少しの時間を置いて、階段からカミロも駆け下りてくる。
こちらの状況を見てすぐに駆け寄って来ようとするが、咄嗟に窓へ向けて腕を突き出し、「追え!」という声が出た。
本当は助けてもらいたい、自分のせいでレオカディオとトマサまで危険に晒したくはない。
それでも今、優先されるべきは状態が不確かなアダルベルトの身の安全だ。
短い指示にカミロは迷う素振りも見せず、裾を翻して開いたままの窓から身を躍らせた。
「そっちも何やら取り込み中のようだが、私らには関係ないんでね。まずこっちの用事を済まさせてもらおうかい」
一歩、油断なく間合いを詰める金歌。
呼応するように衛兵たちが槍を構え、それを警戒する自警団員たちも剣を抜く。
並び立つ自分たち兄妹の前には、トマサが立ち塞がった。
先ほどの華麗な体捌きは見事なものだったが、さすがに相手が悪い。身に着けたばかりの護身術でどうこうなる相手ではないし、おそらく敵意を向けてくるヒトに対して容赦もしないだろう。
(明日動けなくなるだろうが、あと一回くらいなら魔法を使うこともできるか……?)
どんな無理をすると、体にどれだけの負担がかかるか、最近はだいぶわかってきた。
何とか時間を稼いで周囲にいる精霊たちの力を借りれば、多少大掛かりな構成でも回すことができるだろう。頑丈な防壁でもいいし、まとめて神経麻痺による動作阻害をしてもいい。
大いに癪ではあるけれど、それだけの魔法を使えば町のどこかにいるエルシオンにもこちらの危機を知らせることができる。
あの男のことだから、きっと町の正反対にいたとしても飛んで来るに違いない。
被ったフードを掴んで顔を隠しながら、なるべく漏れないよう小声で歌う。
どうか力を貸してほしい。
後で存分に、何をしてでも愉しませてみせるから。
『
小さな呟きを聞き取ったのだろう、隣のレオカディオが訝しげにこちらを見る。
それに構わず聖句を続けようとしたところで、奇妙な叫び声が周囲に響き渡った。
「キェェェェェ~~――――!!!」
周囲と揃って一斉に見上げる先には、光り輝く黄金色。
月明りに照らされる金属塊。
唐突に、何の前触れもなく、仰ぐ夜空に現れた艶やかな甲冑。それが重力に身を任せ、聖堂に向かって自然落下してきた。
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