第349話 黒猫不良少女②


 重力を相殺しながら屋根を伝って移動する。すでに一度、商店通りで同じことをしているから今さら迷彩の魔法は必要ないだろう。

 どうせ明後日にはこの町を発つのだし、突起のついたフードを被っていればおそらく遠目にはヒトの少女とは思われない。

 体重を十分の一ほどまで軽量化すると足への負担も軽く、長い距離を駆けてもあまり疲れなかった。跳ぶときの力加減もわかってきたし、これからは急いで移動する機会があったらこれを使おう。


<左側の道、この先に荷車を伴う多数の商人がおります。正面の建物を右に逸れてください>


「わかった」


 たまにアルトの補佐を受けながら、淡く色づく町の空を駆け抜ける。

 途中、外壁の向こう側に薄桃色の物体が見えたような気もしたが、ひとまず今は後回しだ。

 屋根、ブロック塀、並木の枝、出入口に張られた幌、窓の庇……、様々なものを踏み台としながら真っ直ぐ目的地へと急ぐ。


 そうして少し息が切れてきた辺りで高所の足場が途切れ、段差のある川縁に出た。つい先ほど、俯瞰から眺めたのと同じ景色だ。

 ここまで近づくと男たちの揉める声も聴こえてくる。そのまま草のまばらな土手を走り抜け、勢いをつけたまま切り立った段差から思い切り跳躍した。

 眼下には皮の防具を着込んだ大柄な背中。人狼族ワーウルフの衛兵だ。


「とうっ」


 アイゼンの背中を蹴り倒した時と同じ要領で、重力と慣性を利用した全力の蹴りを見舞う。

 不意をついた攻撃は見事命中し、硬い踵と鎧のぶつかり合う鈍い音が響く。

 だが、ブーツの両脚が鎧へ着いた瞬間に感触の違いを悟る。そのまま壁を蹴るようにして反発の勢いを殺し、膝をたわめながら離れた場所へ着地した。

 足全体がじんわり痺れて痛む。

 勢いは十分でも体重が足りなかったようだ。痩身のアイゼンなんかと同じ扱いをしたのはさすがに失礼か。

 がら空きの背中へ攻撃を受けたはずの人狼族ワーウルフは、僅かのダメージすらも入った様子はなく平然とこちらを振り返る。


「んん? 何かと思ったら、昨晩の猫のお嬢ちゃんじゃないか。ずいぶんとお転婆な登場だなぁおい。おともの兄さんはどうした?」


「……その声、あのとき世話になった衛兵か」


 大柄な衛兵たちはいずれも揃いの防具だし、不思議な形の兜だか帽子だかを被って毛も耳も見えないから、個体の識別ができなかった。

 どうやら蹴りを喰らわせた眼前の相手は、昨晩の倉庫でエルシオンと一戦交えたあの人狼族ワーウルフのようだ。気さくな様子で言葉を返すも、その佇まいに油断は見られない。

 他に同じような体格の者が三名、そちらも格好が同じなので昨晩駆けつけた衛兵なのかはわからなかった。

 その向こうには鉄柵のついた土壁、他に逃げ場のないそこへ追い込まれるような形で、泥だらけの八朔が座り込んでいる。こちらを見る目が驚きに大きく見開かれ、何か言いかける口がぱくぱくと開閉した。


「狩猟本能が旺盛とはいえ、四名がかりで負傷した少年をいたぶるのはどうかと思うがな」


「いや、こっちも仕事なんでね、好きでこんなことしてる訳じゃあない。お嬢ちゃんに誤解をさせたなら悪かったが、あの小僧はああ見えて罪人なんだよ……、って、俺らの正体を知ってるのか?」


「自分で『あっち・・・から来たのか』と言ったではないか。それに、いくら防具でごまかしても人狼族ワーウルフの骨格でヒトのふりをするのは少々無理があるのでは?」


 そこで、何やら気まずげに互いの顔を見合わせる人狼族ワーウルフの衛兵たち。その隙に足を滑らせるようにして移動し、素早く八朔の横についた。

 訝し気にこちらの様子をうかがっていた衛兵は、何か得心いったように各々手にした槍を持ち替える。


「ふむ。誤解と正義感から、いじめられているように見える少年を助けに入った……って風でもなさそうだな?」


「そうだな、誤解はない。何か弁明があるなら聞くつもりくらいあるが、いくら相手が罪人とて捕縛や身柄の拘留以上の暴力は捨て置けない。それに、どうせここで捕まえたとしても、実際に被害を受けたヒト側からの引き渡し要請はまた突っぱねるのだろう?」


「……」


 覆面に隠れて表情は見えなくとも、相手の雰囲気が変わったことを肌で感じ取る。

 試しにカステルヘルミがやったのと同じ手、効果がからの構成円を目の前に浮かべてみるが、反応はない。魔法の構成は視えないのだと確かめたところで、すぐに発動できるよう先にいくつか描いておくことにした。


「お、おい! 余計なことすんなよ、すんなです、いや、しないで下さい? とにかくこれは俺の問題なんだから、あんたが首を突っ込むこたねぇだろ、何でこんなとこ来たんだ!」


「お前が逃げたりするからだ、八朔。まだ話は終わっていなかったし、起こした事件について供述を求めている者たちもいる」


 横からかけられる八朔の声に振り向かないまま答えると、こちらを取り囲む人狼族ワーウルフたちの纏う緊張が高まる。


「そうか、お嬢ちゃんソイツと知り合いだったか」


「ああ、古い知己の子でな。別にお前たちの公務を邪魔したいわけではないが、今ここで八朔を捕らえてまた身柄を隠されるのは、いささか困る」


「ワガママな娘だな、悪いがこっちだって仕事を邪魔されんのも、そいつを連れてかれるのも困るんだよ!」


 対話していた人狼族ワーウルフの横から、別の衛兵が手を突き出しながら近づいてくる。力づくで取り押さえるつもりなのだろう。

 その三歩目を合図として、予め準備しておいた構成をふたつ同時に起動した。


 ドッ、と鼓膜を打つ音と風圧。

 大粒の水滴が豪雨のように降り注ぎ、人狼族ワーウルフたちを瞬時に水浸しにする。自分と八朔だけは張り巡らせた風の障壁で全て防いだが、この風圧は予想外だった。

 以前エルシオン相手にやった時と同じく、周辺の大気から集めた水は真水ではなく、雨粒と同じ成分。

 突然降って止んだ大雨に狼狽しているそこへ、次なる一手、高圧電流を一瞬だけ流し込む。


「――ッガァ!」


 弾ける音と衝撃。喉を潰すような叫び声。

 目を閉じて閃光をやり過ごし、すぐに八朔の手を引いて立ち上がらせた。視界を灼かれたらしい少年は目を瞬かせながら、何が起きたのかわからないといった様子で戸惑っている。

 だが、説明している猶予はない。電流による麻痺はしばしの足止めとして有効でも、人狼族ワーウルフの身体強度であればじき動けるようになる。


「お前が近くにいるとやりにくい、あっちの土手の上で待っててくれないか」


「えっ、今の、……でも俺、」


 何か言いかけるその声を、空気を切り裂く音が遮った。

 しっかりと両脚で立ち、手元で回転させた槍を構え直したのは、昨晩会った人狼族ワーウルフの衛兵だ。後ろで這いつくばったまま動けずにいる三名と同じ背格好でも、なぜかそれがわかる。


「遠慮なしの威力を見舞ったつもりだが、頑丈だな」


「お褒めに与りどうも。魔法とやり合うのは得意じゃねえから、こっちも手加減はできんぞ。お嬢ちゃんはその見た目通りの歳でもなさそうだし、恨みっこなしで頼むぜ」


「できれば揉め事は遠慮願いたいところなんだが。ここは穏便に話し合いで済ませて、八朔の身柄を預からせてはもらえないだろうか?」


「それをホイホイと聞いてちゃあ、こっちも上に怒られるんでな。俺らの習性はよーくご存知なんだろ、言うこと聞かせたけりゃ力ずくでやってみな!」


 烈覇の声とともに吹き上がる気迫。昨晩エルシオンとやり合っているのを目にしたばかりだ、相当の手練れであることは確かだ。

 人狼族ワーウルフたちの習性や弱点は熟知しているつもりでも、単純な身体能力では足元にも及ばない。この脆弱な体では、一発でも喰らえばそこで終わり。


(……まぁ、あくまで攻撃を喰らえばの話しだが)


 八朔を土壁沿いに移動させ、再び構成の準備をする。

 槍を構えて前を向いてはいるが、その視線と意識はこちらを気にしながら移動する八朔に向けられているような気がする。……いや、どうだろう。油断なく自分の一挙手一投足を観察しているようにも感じる。

 どうも、あの覆面のせいで目線を探れないのはやりにくい。


「始める前に、お前の名を聞いても構わんか?」


「アッシュだ。お嬢ちゃんの名前は何ていうんだい」


「名乗るほどの者ではない」


「オイオイオイッ、そいつぁズルくないかぁ!」


 雄叫びに愉快そうな笑いの気配を混ぜながら、人狼族ワーウルフのアッシュは槍を構えたまま前傾姿勢で突進してきた。


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