第348話 黒猫不良少女①


 自室へ戻り、借りてきた大判の紙を広げようと思ったが、細々と物の置かれた書き物机ではスペースが足りない。仕方なくベッドの上でシーツをならし、その上へ二ツ折りになっていた紙を広げる。

 マグナレアへ兄が目覚めたことと、昼食の準備を伝えに行ったついでに、この町の簡易な地図を借り受けてきたのだ。


「簡略化されたものだとは言っていたが、たしかに。個々の建造物までは描かれていないのだな」


<役所や治療院などの主要な建物と、あとは大まかな地域分けがされた案内図のようですね。しかしなぜ地図を? もう兄君は見つかりましたが、後でこの町を散策するために借りてきたのでしょうか?>


「まぁ確かに、せっかく来たのだからもう少し歩いてみたいとは思っている。だがそれとは別に、探し物をする目安として地図があれば楽だろうと考えたんだ」


 閉めたままの窓へ目をやり、方角を合わせて回した地図へと視線を落とす。

 この聖堂が描き込まれていないのは意図したものなのか、それとも描かれた当時にはまだ建造予定がなかったのか。倉庫と商店並びの合間を指で辿ると、地図の中では空き地になっている。

 周辺の様子は聖堂へ着いた時と、アダルベルトを探してカミロと出かけた時にある程度観察済だ。ゆっくりと【遠視とおみ】の構成を浮かべながら、必要な情報を描き込んでいく。


<朝に仰っていた、遠方との連絡を可能にする魔法を?>


「ん、それも少し参考にしているが、これは生前にも使ったことのある【遠視】だ。朝に精霊たちがして見せたような、双方向で姿も音声も繋げるような魔法はもう少し研究が必要だから……」


 余分を削ぎ落したお陰でそう複雑にはならなかったため、今の体力でもいけそうだと判断。そのまま構成陣を発動した。

 窓の外に設定した視点と、自身の視界が薄っすらと重なる。ベッドの上で地図を眺めたまま、聖堂の門を空中から見下ろしている感覚。少し角度を変えると、窓ガラス越しにベッドの上で俯いている自分の姿が見えた。


「うん、これならいけそうだな」


<……あ、もしや、先ほど逃げ出したあの少年を探すおつもりで?>


「正解」


 カミロが戻ってくるまで休んでいるのも落ち着かないし、かと言ってひとりで八朔を探しに出るわけにもいかない。何かこの部屋から出ないままできることはないかと考えて、そういえば今生ではまだ遠視を試していなかったと思いついたのだ。

 これならば大した消耗もなく、部屋にいながらにして町の様子を眺めることも、姿を消した八朔を探すこともできる。

 ……とはいえ、サルメンハーラの町はかなり広い。どこかへ身を隠しているだろう相手を見つけ出すのは困難だろう。外出せず済むのは利点でも、アルトの探査をあてにできないという不便もある。


「まぁ、やるだけやってみるか。できれば衛兵たちよりも先に見つけて話を聞きたい」


 八朔にはまだ訊きたいことが残っているし、もし衛兵に先を越され再び捕まるようなことがあれば、次は何をされるか分かったものではない。

 いくら武器強盗と領主邸侵入の件で咎があるとしても、イバニェス領での裁定も待たずにあんな仕打ちを受けるのは捨て置けない。ファラムンドだってきっと許さないはずだ。


 聖堂から逃げ出した八朔はボロ布を纏った目立つ身なり。おまけに外傷を一通り癒したとはいえ全快とは言えず、身を隠しながらとなれば移動範囲は限られる――

 つまり、明るいうちは大きな通りを越せず、この近辺のどこか人目につかない場所に潜んでいるのでは、と当たりをつけている。

 マグナレアから借りた地図によると、先ほど歩いた露店通りをずっと進んだ先が居住区になっているらしい。その手前には領事館などもあるし、この辺の施設から逃げてきたなら逆戻りするとは考えにくい。

 となると、まずは外壁沿いの倉庫や商店の裏手、路地の陰なんかを探ってみるのが良さそうだ。


 外に置いた視点を上昇させ、外壁を越えて最初に降り立った倉庫の方まで移動する。

 地図に描かれた外壁の長さは偽りのものだろうし、倉庫も明らかに増えている。俯瞰で直線的な倉庫同士の隙間をざっと探るが、人影はおろか身を隠せそうな物陰すら見当たらなかった。


「うーん、あの倉庫はどれも窓がなかったし、扉を壊して中へ入り込めば見つかった時に逃げ場がないからな。倉庫のあたりにはいないか……?」


<私が思いますに、次の行動として彼はこの町を出ようとするでしょうから、外壁や倉庫の近くにいる可能性は高いのでは?>


「町を出る?」


 なぜそう思うのか、空中の視点へ注意を向けたまま、肩からさげたポシェットに顔を向ける。


<リリアーナ様の正体を聞いたあと、『勇者』をぶっ殺して仇を取ると言っていましたし。あの赤毛野郎もここにいることを知らないのであれば、町を出て探しに行くかなーと。むしろ赤毛を餌に釣り上げますか?>


「それをすると人狼族ワーウルフの衛兵まで引っかかりそうだ」


 自分で口にしてから、そういえばこの町には人狼族ワーウルフたちもいたのだったと思い出した。

 空は少しずつ夕焼けの色が混じり始めている。このまま日が暮れれば、夜闇に紛れて再び彼らも町へ出てくるのだろう。……もし逃げ出した八朔の匂いを知っているのなら、それを辿って見つけることも容易いのでは。


「急がないとまずいかもな。むしろエルシオンの奴には離れた場所で人狼族ワーウルフたちを釣る餌になってもらいたいくらいだが、一体どこで何をしているのやら……」


 倉庫の隙間を一通り洗い、外壁との間の通路にも商人たちしかいないのを確認してから視点を高く引き上げた。

 壁の外側では相変らず、巡回の衛兵が槍を手にゆっくりと歩いている。警戒をするなら森の方だろうに。そういえば外壁の前にひらけた荒野には、地下に大黒蟻オルミガンデたちの掘った通路が張り巡らされているとのことだった。町のどこかに彼らもいるのだろうか。

 人狼族ワーウルフに小鬼族と鉄鬼族の血を引く八朔、露店通りにはその他の種族もちらほらと姿を見かけた。この町はキヴィランタの住民らが定着し、不思議とヒトの生活に溶け込んでいるようだ。


「魔王領の者たちに、地下通路か……。入口があるならこっそり町を出るのにもうってつけだが」


<ええ、地下なら匂いも辿られずに済みますからね>


「……」


 アルトの漏らした言葉に何か引っかかりを覚え、しばし考える。

 八朔はこの町の衛兵がヒトだけではないと知っているはずだ。キヴィランタで育ったなら、人狼族ワーウルフの特長だってわかっている。夜が近い時間帯に身を隠すなら、まず匂いを辿られないように何か対処をするだろう。

 綺麗に洗い流すとか、逆に強い匂いをつけるとか。そのどちらも難しい状況であれば……


 ベッドに広げた地図を指で辿り、空から見下ろす蛇行のライン。町中を縦横に走る用水路。

 聖堂で一日を過ごし、ここはコンティエラや領主邸と並ぶほどの上水道が整備されていることを知っていた。そしてカミロと町中を歩き、その清潔さから同じように下水路も整っているのだと思った。

 自身の匂いを紛れさせ、人目につかず移動できる場所。


「下水路……!」


 外壁の切れ目を追い、東側の下流沿いに建てられた施設から遡っていく。町の南側の下水は全てここに繋がっているようだ。地下を流れるとはいえ、ヒトの手で整備するためにはどこか地上に出入口があるはず。

 コンティエラの街の施工を思い出しながら似たような造りを探して、川の段差の陰で目が止まる。

 煉瓦で固められた壁の鉄柵、その手前で揉めている大小の人影。


「……見つけたっ!」


 妙な形の帽子を被った大柄な衛兵たちと、纏ったボロ布を剥がれてなお抗う稲穂色の髪の少年。

 ここからまっすぐ東、聖堂のそばを流れる川の下流だ。

 すぐさま探索の視界を切り、ベッドから立ち上がる。内心、見つけられる可能性は低いだろうと思っていたせいで、発見した後のことをちゃんと考えていなかった。


 見上げる空の色は暮れの手前、もしかしたらすぐにでもカミロが戻ってくるかもしれない。

 くれぐれも無茶は控えるようにと苦言をもらった直後に、こんなことをしでかすのは正直気が引ける。それでも、今やりたいことを天秤にかけて、迷わず窓枠へ手をかけた。


「アルト、後でカミロが戻ったら一緒に叱られてくれ。八朔と揃って三分の一なら耐えられるかもしれない」


<ええええええええ、いや、はい! どこまでもご一緒いたしますぞー!>


 そんな心強い声を受けながら、リリアーナは浮遊の構成を身に纏って一気に窓から跳び出した。


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