第345話 『魔王』の権能
<――リリアーナ様、お目覚めでしょうか?>
「ん……?」
頭の中へ響いたアルトからの念話の意味を考えて、しばしぼんやりと天井を見る。
真っ白く塗られた聖堂の客室の天井。そこから小さな絵画のかけられた壁を見て、ごろりと寝返りを打ってから入口の扉を視界に納める。
……寝返り?
「む? わたしは、寝ていたのか?」
<そうですね。まださほど経っておりませんが、昼食の後にこの部屋へ戻られてからベッドに倒れ込んで、そのまま寝入ってしまったようです>
眠気を引きずる頭を押さえながら上体を起こす。
外套を脱いで、ポシェットは棚の上に置いてあるものの、寝間着に着替えなかったせいで借りた服がしわになってしまった。
別に昼寝をするつもりはなかったのだが、お陰で頭と体はすっきりしている。朝から色々とあったし、八朔の治療やアイゼンを追うのに立て続けに魔法を使ったから、自分で思うよりもずっと疲れていたようだ。
窓の外はまだ明るいが、聖堂へ戻ってきた時よりは夕暮れの色に傾いている。日の落ちるのも早くなったこの季節、屋敷にいたら午後のお茶を終えて本でも読みながら一息ついている時間帯だろう。
「これくらいの昼寝なら、夜の就寝にも差し障りあるまい。ん、んー、……カミロはまだ戻っていないのか?」
<はい>
両手を上げて伸びをしながら問うと、短い答えが返ってきた。
この町の居住区までどれくらい離れているのかは知らないが、アイゼンの住処への往復にそうかかるとは思えない。他にも何か用事を済ませているのだろうか。
もしマグナレアのいう通りの精神状態だとしたら、少し休憩でもしてゆっくり休――
いや、そういう時には逆に手や思考を動かし続けていたほうがいい。何か別のことで頭の中を埋めて、少しずつ心の整頓をつければ、時間はかかっても着実に持ち直せる。
カミロも同じとは限らないが、もし自分だったらそうするし、周りに気を遣わせまいとしてなるべく普段通りを心がける。きっと屋敷にいたアダルベルトもそう努めたのだろう。
マグナレアの言う通りだ、落ち込んだり深く自省をしている時というのは、周囲に気取られて心配されるほうがよほど堪える。
「まぁ、あやつなら大丈夫だろう。少し話をしたいから戻ったら報せてくれ」
<かしこまりました>
サルメンハーラへ来る羽目になった当初の目的、アダルベルトの救助は何とか果たせた。
おまけとして手配のかかっていた行商人アイゼンの身柄も確保することができたし、あとは後発隊の自警団員らと合流をして帰りの支度を整えれば、この町でやることは終わりだ。早く報せも出して、心配しているであろうファラムンドたちを安心させなくてはならない。
……だが、自分にはもうひとつだけ心残りがある。
「アルト、この町で八朔の行方を追うのは難しいか?」
<特徴は記憶しましたので、付近にいれば探査可能ではあります。しかしこの通り広い町ですから、あの赤毛野郎も未だに気配は掴めませんし>
「そうだな、わたしがひとりで出歩けない以上、向こうから来てもらうしかないわけだが。あの様子ではもうここへ近寄りそうにはないな……」
八朔は自分へ向けて「早く家へ帰れ」と言っていた。
彼が、もしくはこのサルメンハーラが絡んでいる何がしかの問題から遠ざけようとしているのは明白だ。
増築された外壁、領事館の虚言、そして兄を攫った
それと気掛かりはもうひとつ。八朔はデスタリオラの仇として『勇者』エルシオンの命を狙っているようなことを言っていた。
どうして今頃になってそんな行動に出たのかはわからないが、タイミングの悪いことに、今この町にはその仇であるエルシオン本人が滞在している。真正面から挑んで敵う相手ではないし、どこかでうっかり鉢合わせたりしなければ良いのだが。
「八朔かあいつの、どちらか片方だけでも居所が掴めればな。あのうるさい男はどうでも良いけれど、できれば八朔とはもう一度ゆっくり話をしたい」
体中の傷のことも、なぜ屋敷を襲ったり武器強盗なんてしていたのかも、脱走の理由も、結局聞き出すことができなかった。
身柄を引き取ることができずに自警団側も満足な尋問ができていないそうだから、もし何らかの事情があっての行動なら、情状酌量など罪の軽減も叶うかもしれない。
彼には、自分がデスタリオラの生まれ直した姿だということを打ち明けた。他者に対して口を噤んでいるような事情でも、もしかしたら自分にだけは打ち明けてくれるかもしれない。そんな傲慢な期待を抱いている。
ふと息をつき、ベッドに座り込んだまま指先でくるりと円を描く。
緻密に描き込まれた構成陣が浮かび上がり、補助として小さなものを四つ配置して重ね、その上からもうひとつ。空中で三段になった構成は計算通りに繋がり、互いに補完し合いながら効果を紡ぎ出し……
それが発動へと結びつく前に、指先でバツを描いて全て消し去った。
「ふむ。……やはりもう一度、この目でしっかり視ておきたいな。精霊たちの勝手なお遊びとはいえ、あれを魔法に落とし込むには材料が足りない」
<新しい魔法の研究ですか?>
「あぁ、こうして試行錯誤するのも久し振りだな、あの栞の構成については手間もかからなかったから。生前はよく地下書庫に籠ったり実地で試したりと色々したものだが」
<懐かしいですね、魔王城では新しい魔法を試すたびに精霊たちが大騒ぎしていたものです。とはいえ、以前とは違って今のリリアーナ様のお体は繊細なので、どうかくれぐれもお気をつけください>
アルトの言いたいことは身に染みて理解している。実際に魔法の行使をすれば体力を搾り取られるし、今のように緻密な構成は発動まで持っていかずとも頭蓋を締められるような負荷があった。
今朝方、遠方にいるノーアと顔を見ながら話すことができたあの魔法。あれの簡易版として【投影】だけでも使いこなせれば、この町のどこかにいるであろう八朔の捜索にも使えるかと思ったのだが……。
たしか魔王城の地下書庫にも遠方を映す魔法について書かれた本があった気がする。一通り目を通したし当時は内容を把握していたはずなのに、今はヒトになったせいだろうか、細部の記憶がどうにもあやふやだ。
「そういえばひとつ、お前に訊きたいと思っていたんだ」
<何でしょうか?>
「三歳の頃、お前を初めて
もう五年も前のことになる。話し相手兼、相談役として
力が足りずに本体丸ごとを出すことは叶わず、思考中枢である宝玉のみを限定してか細い穴から抽出することになったわけだが。あの時、レオカディオから貰った箱を開けて話しかけるとすぐに、アルトはこちらの正体を察した。
『魔王』の権能として
エルシオンとの対話からふとそんなことを考えて訊ねてみたのだが、何だそんなことかと言わんばかりにアルトバンデゥスはポシェットをわずかに揺らす。
<私は
「そういうものか?」
<正直に申し上げますと、一度、四十年前にあの中で繋がりが途切れたのですが。引き出される時にはその繋がりが復活していたので、私は大変に喜びましたよ、ええ、まさか宝玉だけになって出てくるとは思いもしませんでしたが、またお会いできて良かったです>
「その件についてはすまなかった、そのうち余裕ができたら杖の方も出しておこう」
アルトの言う「繋がり」というのが所有の印だとして。つまり今の自分は生前の記憶と精霊眼だけではなく、
どうも意識が地続きだったせいで『体がヒトになっただけ』というような気持ちでいたけれど、改めて考えてみると、ちょっとどころではなく異常な事態かもしれない。
……一度死んだ自分が未だ『魔王』の権能を有しているということは、つまり、キヴィランタに新しい『魔王』が発生しないということではないだろうか。
「……」
エルシオンの口振りでは、今の自分は死によって『魔王』の権能をとっくに手放し、中身にデスタリオラの記憶を持っているだけのヒトの娘と思っているようだ。
生前と同じ
八朔が口にしていた「『魔王』復活の噂」についても気になるし、やはりこの町にいられるうちに、どうにか彼を見つけ出せるよう手立てを考えるべきだろう。
<カミロ殿が戻られたらお知らせしますので、それまでもう少しお休みになりますか?>
「いや、もう起きておく。……そういえば、最近はカミロのことをちゃんと名前で呼ぶようになったんだな」
<えっ、いや、
そういえばその辺りから呼び方が変わっていたっけ、と納得する。なおもポシェットの中でまごまごと動く宝玉のことはさておき、他に急ぎの用もないし、アダルベルトの様子でも見に行こうかとベッドから降り立った。
カミロが浴室に連れて行ってから着替えさせ、今はもう片方の客間に寝かされているはずだ。
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