第344話 無表情男と反発の相性


 あれこれと思い巡らせながらも食欲は衰えないもので、並べられた昼食はきれいに平らげる。

 半分に切られた柑橘を手に、どうやって食べるのが正解なのかと思案していると、マグナレアがそれをひょいと取り上げて手早く房を分けてくれた。八朔の厚い皮とは違い、簡単に手で剥くことができるようだ。

 指先ほどの房を口へ放り込むと、甘みと酸味が半々に広がる。屋敷ではいつも薄皮を取り除かれた状態で出てくるが、こうして房のまま食べても歯応えが面白い。


「紙袋の中には何か食材っぽいものも入っていたから、カミロは夕食の支度までに戻って来るつもりなのかしら」


「あ、カラカラ茸。スープにするとおいしいそうです、途中の露店で見つけて買ってきました」


「聞いたことない名前だけど、おいしいって言うなら夕食は期待していましょうか。それまでにアダルベルトも目が覚めると良いわね」


「はい……」


 空になった食器を片付けたマグナレアは、茶器をのせたトレイを持ってテーブルへ戻ってきた。

 まだ今しばらく会話に付き合ってくれるということだろうか。香りのよいお茶が注がれ、白いカップを差し出される。

 マグナレアはそれを手にしたまま口はつけず、過去へ思いを馳せるように窓の外へと視線を向けた。


「アダルベルトの五歳記は、ファラムンドがあの子を聖堂に連れて行ったの。あの時は、お爺様が亡くなった年でね、おまけにウィステリアは体調を崩して屋敷から出られなくて。あんまりお祝いって雰囲気じゃなくて可哀想なことをしたわ。……その次のレオカディオのときはちょうど領主会合が重なってしまって、ファラムンドはイバニェスを離れていたから代わりにカミロが聖堂へ連れて来たの」


「そのときにはもうマグナレア様は聖堂にいたんですね」


「ええ、あなたが生まれてすぐの頃に家を出たから。それで、三年前はリリアーナね。カミロと顔を合わせるのも久し振りだったのだけど、よほどあなたのことが大事だったのねぇ、ベタ甘なのがはたから見ても明らかでちょっと笑いそうになっちゃったわ」


 そう言いながらカップの陰で上品に笑いをこぼす。

 あのときはたしか、パストディーアーの像に祈りを捧げるとかで聖句を唱えさせられて、そのせいで汎精霊が騒いだりノーアの姿を幻視させられたりと、他人に言えない部分で色々あった。

 精霊たちの過度な輝きは祭祀長の目にも映ったようで、不審に思われた追及からカミロが庇ってくれたのを覚えている。


「私の知る範囲では、アダルベルトにもレオカディオにも、もっと事務的に接していたのに。ここに来てからもそう、まるで自分の娘みたいに可愛がってるじゃない? いつもあんななの?」


「カミロは良く気が利くので、普段から何かと助けてもらっています。兄上たちにも態度はそう変わらないと思うのですが……」


「じゃあ私が屋敷を出てから変わったのかしらね、丸くなったというか。可愛げができて、ちょっとは人間らしくなったわ」


 マグナレアはこちらを見ながら、湯気の向こうで微笑む。


「何だかあなたのお世話をしているのが楽しそうに見える。お付きの従僕ではないから屋敷へ戻ったら顔を合わせる機会は減るのでしょうけれど、良かったらたまにカミロを構ってあげてちょうだい。無理難題を出すのでもいいし、我が侭を言って困らせてやってもいいから」


「困らせるのはちょっと……。でも、はい、これからも世話をかけると思います」


 眼前の伯母は八年も前に屋敷を出て、それ以来イバニェス家との関わりをさけていたはずなのに、周囲の誰よりもカミロのことを理解しているようだった。

 これまで誰かに訊ねたことがないせいもあるが、こんなに彼の話を聞くのは初めてだ。

 自分が生まれるよりもずっと前から屋敷にいたため、過去のカミロをよく知っているマグナレア。先ほど知らされたカミロの未知の一面、まだまだその他にも知らないことはたくさんある。

 好奇心に突き動かされ色々と訊ねたくなるけれど、本人のいないところで勝手に聞き出すのも気が引けた。

 もしどうしても知りたければ、あとでカミロに直接訊いてみれば良い。

 うずく好奇心を何とか押さえ込んだところで、しばらくお茶を飲んでいたマグナレアは小さな吐息とともにカップを下ろした。


「さっきの話の、内省的な性格ってやつね。カミロは落ち込みだけでなく、喜怒哀楽もあんまり表に出さないでしょう?」


「そう、ですね……。私もあまり表情に出すのは得意ではないのですが」


「ふふふ、たしかに表情が大きく変わらないところは似ているけれど、あなたは意外とわかりやすいわよ」


「?」


 そんな自覚はなかった。バレンティン夫人にも散々表情が硬いと言われていたのに、知らない間に顔の筋肉が鍛えられていたのだろうか。

 あとで鏡で確認してみようと思いながら、そっと頬のあたりを撫でる。


「リリアーナは十分可愛いからそのままで良いのよ。反対にアダルベルトとレオカディオは、足して二で割るくらいがちょうど良いのだけど……。それはまた別の話ね」


「はぁ」


「カミロがうちに来たときは十歳を過ぎた辺りだったけれど、笑いも怒りも全く表情に出さない人形みたいな子だったわ。すぐに侍従として働くようになったせいでずっとそのまま、子どもらしくしていられた時期が短いから、発散の方法を知らないまま大人になってしまったのね」


「そんな年齢の頃から屋敷で働いていたのですか?」


「ええ。色々あって、帰る場所をなくしてしまって、お爺様が屋敷に引き取ったのよ。礼節も教養も足りなかったあの子にイチから全部叩き込んで、従者としてそばに置いたの」


 マグナレアは「まぁ、幼すぎたせいで妙な噂も立ったのよねぇ」と小声で漏らしてから、仕切り直すように足を組んだ。


「そんな恩もあってずっと尽くしてくれたけど、あの子の中にある忠節は領主家に対するものじゃなく、お爺様個人に対する尊敬と献身だったから……、お爺様が亡くなった後も屋敷に残ったのは、正直言って意外だったわ。昔からファラムンドとの仲もあまり良くなかったし」


「カミロと父上は、仲が悪かった?」


「そうよ、顔を合わせては喧嘩ばかりして。まぁ十割方、年下の侍従をからかって遊ぶあの愚弟が悪かったのだけど」


 カミロは屋敷の侍従長として領主であるファラムンドに尽くしているし、父のほうもカミロのことをとても信頼しているように見えるから、昔は仲が悪かったという話の方こそ自分には意外なものだった。


「あのふたり、性格も何もかもが正反対だもの。その点で言えば、カミロとアダルベルトは気質が似たもの同士。……仕事の都合とはいえ、最悪の組み合わせで残して行ったものね」


「気性の似ている同士なら、衝突も少なく噛み合うと思うのですが」


「それが人間ってどういうわけか、正反対の性格をしているほうが案外うまくいくのよ。アダルベルトにはレオカディオがついていた方がいいし、あのファラムンドとカミロも何だかんだ言ってこれまでうまくやってきたのでしょう? かえって似た者同士のほうが一度衝突すると根深い溝ができたり、今回の場合だと相乗効果でドン底まで気落ちするの。おかしなものね」


 確かに父とカミロは気質の面では正反対と言えるかもしれない。だからこそ歯車のように噛み合っているのだと言われれば、そうかと納得するしかない。

 ……自分の場合はどうだろうと考えて、アリアやフェリバの顔が浮かぶ。陽気な彼女らに続いて薄笑いの赤毛男も浮かびかけるが、そちらは却下した。


 カップの半分ほどに淹れられたお茶を飲み干すと、マグナレアはテーブルへ置いた茶器を回収してトレイにのせる。


「なんだか変な話をしたわね、ごめんなさい疲れているところに」


「いえ、興味深いお話でした。自分が生まれる前のことはなかなか知る機会もなくて。キンケードが少しだけ教えてくれたりはするのですが」


「あぁ、あの自警団の。同じ街に住んでいても聖堂に籠っているとなかなか顔を合わせることがなくて。彼も元気にしている?」


「はい。外出のときなど、よく護衛をしてくれます」


 半ば確信を持って名前を出したのだが、やはりキンケードのこともよく知っているようだ。ファラムンドやカミロとは子どもの頃から付き合いがあったと聞いているし、以前から屋敷にも出入りしていたのだろう。

 マグナレアは懐かしそうに目を細め、トレイを手に立ち上がった。


「昔は朴訥で、引っ込み思案な大人しい子だったのに、ファラムンドなんかと付き合ったせいで言葉遣いがうつってあんなにガラが悪くなっちゃって」


「え?」


<え?>


 口から漏れた驚愕の声がアルトと被る。茶器の擦れる音でマグナレアはこちらの声に気づかなかったらしく、そのまま片付けに立ち去ってしまった。

 カミロの過去や相性云々の話よりも、今日聞いた中で一番驚いたかもしれない。

 自分も他者のことをとやかく言えはしないが、それぞれヒトの過去には色んなことがあるんだなぁ……と感慨深く思った。


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