第339話 捜索のその先に
聖堂のある場所から一区画ほど北上すると、町の雰囲気は一変した。
ひと気のない夜中に侵入し、町の中をほとんど知らないままだったからそんな印象を受けるだけで、こちらが本来の姿なのだろう。通行人に溢れ、活気の満ちる道は以前歩いたコンティエラの商店通りのようだった。
カミロに手を引かれながら視線だけでその様子を眺めるも、目に映る情報量が多くて何だかくらくらしてくる。
「昼食時のせいでしょうか、ここまで人出が多いとは……。リリアーナ様、大丈夫ですか?」
「うん、問題ない。しかしこれだけ通行人が多い中から探し出すとなると骨が折れるな。町も相当広いようだし、もっと人手が欲しいところだが」
「そうですね。後発隊が真っ直ぐこちらに向かっていると仮定して、おそらく今晩から明朝にかけての到着になります。今日は無理のない範囲で捜索し、それでも見つからなければ彼らの手を借りて人海戦術といきましょう。大丈夫、分別のある方ですからおかしな場所へは近寄らず、商人のいるこの通りを当たる可能性は高いかと。きっと見つかります」
安心させるようにそう断言してみせるカミロだが、事はそう簡単でもないだろうと思うのが正直なところ。
こちらが歩きやすいようにペースを落として隣を歩く男をちらりと見上げ、あえて指摘することなく視線を戻す。
言っている当人とて、そんなことは分かり切っているはず。むしろ責任が両肩にのしかかっている彼のほうが暗澹たる気持ちでいることだろう。
官吏に変装したまま出てきたものだから、いつもの手袋はしていない素手の感触。普段手袋に隠されている男の手には、無数の古傷が浮かんで見えた。
白いローブのままでは目立つからと、途中の適当な古着屋でこれまた適当な上着を購入して今はそれを着込んでいる。荒い麻編みで、背面には大きく熊の顔が描かれているのだが、たぶんカミロはその絵に気づいていない。
……教えるタイミングを逃してしまったし、そもそも着衣については疎いため、似合っているかどうかの感想は差し控えた。
<未だ付近にそれらしい気配はありません。ヒトが多いためあまり広範囲の識別が叶わず、申し訳ない限りです……。せめて忌々しい赤毛野郎でもいれば捜索の足しになるのですが>
「そういえば聖堂にも現れなかったな、あの神出鬼没男は。町のどこに潜んでいるのやら」
「ええ、我々の所在を探り当てるくらいの芸当はして見せるかと思ったのですが。人手の必要な時に行方をくらませたままとは。減点です」
おそらくマイナスからスタートしたであろう採点は、今は何点まで引かれていることか。
こういう時に無駄な活躍を見せてこそ加点のチャンスだろうに、昨晩
あの男がいなくても、自分にはアルトの探査がついている。捜索能力ならこちらの方が上だという自負はあるものの、あまり時間をかけていられない現状、手伝ってもらえるなら厄介な相手だろうが何だろうが手を借りたいというのが本心だった。
――アダルベルトが、この町のどこかにいる。
聖堂に現れた衛兵たちを追い返してすぐ、予定よりもずっと早く帰ってきたカミロは、二階へ上がることなくそのまま礼拝堂の長椅子で報告をしてくれた。
マグナレアの伴という口実でこの町の領事館へ赴き、そこで保護されているアダルベルトと接触を図るのが目的だったのだが、それは叶わなかったと。
面会した総領に
総領がどんな人物なのか知らないため、どこまでが真実なのかはわからない。直に会ったカミロも、嘘の気配は感じられなかったが、腹芸を得意とする相手だから信憑性は八割程度と語っていた。
本当にその怪我人がイバニェス家の長子だと気づいていないのか。本当に自分から姿をくらませたのか。
……もし虚実が混じっているとしたらどの部分が違うのか、どうして嘘をつくのか。
その場で考えたって、わからないものはわからない。だからこうしてカミロと連れ立ち、八割の真実に賭けてアダルベルトを探しに出てきたわけだ。
身を隠すだけならもっと人通りの少ない場所に潜むかもしれないが、あの聡い長兄ならばすぐにここがサルメンハーラの町であり、自分がここにいることが知られるとまずいと気づく。
であれば隠れていても何の解決にもならない。身元を隠したまま屋敷へ帰りつくために、まずはイバニェス領の商人を見つけて渡りをつけようと考えるはず。
それがカミロと自分が共通して導き出した、アダルベルトの行動予測だった。
可能な限り、朝から捜索に出ているという衛兵たちよりも先に見つけ出さなければならない。
領事館で一時保護してもらえたのは有難いが、話に聞いた通りならろくに食事も水分摂取もできていないはず。
攫われてから今日で二日目、無理を押して姿を消した兄が今どうしているのか、それを思うと不安でならない。
様々な領から商人たちが集まっているだけあって、商店通りは活気づいている。
たまに通り過ぎるヒトではない体躯の者や、不自然な帽子で頭部を隠す者。散見するそういった姿もこの辺では珍しくないようで、道行く誰もそれを気にする様子はなかった。
そうして人々を観察する中、向こう側から歩いてくる二人組の衛兵が目に留まった。素知らぬ顔で歩みを進め、そのまま通り過ぎる。
「……衛兵が気になりますか?」
繋いでいる手からこちらの緊張を感じ取ったのだろう。小声で問いかけてくるカミロを見上げ、首を横に振る。
「いや、さっき会ったふたりではなかったな、と思って。何も事情を知らないまま追い返してしまったから、もし次に顔を合わせる機会があれば、ひとこと謝罪しておきたいものだが……」
「そうですね、私も彼らには申し訳ないことをしました。つい頭に血が上って、状況を確かめもせず高圧的な態度を。人のことを責めながら自分の方こそ権力を笠に着た発言をするとは、お恥ずかしい限りです」
そう言って眼鏡を押さえようとした指が空振り、気まずそうに指を開閉してから手を下ろした。
「一応、わたしとしてはお前の登場で助けられたのだから、そんなに気に病む必要はないと思うが。当たりの強い言い方だったとしても別に間違ったことは言っていないのだし」
「いえ、そう仰って頂けるのは有難いのですが、本当に、反省しきりです。あんな冷静さを欠いた態度をお目にかけるとは。次はないよう精進いたします」
どこか胡乱な目で真っ直ぐ前を見ているカミロは、一見すると普段と変わりないようにも見えるが、無表情の中にも精彩を欠いている。ちょっと珍しい雰囲気だ。
この男が気落ちするとこんな感じなのか、と記憶に留めておくことにした。
「おや、可愛い尻尾のお嬢さん、木苺のジャムもあるよ。良かったら見てっとくれ」
傍らからそう声をかけられ、ふと足を止める。
決して、断じて、木苺のジャムに気を取られたわけではない。
人の好さそうな老爺が佇む露店には、野山で収集したような山菜やキノコの類がたくさん積まれていた。自家製と思しき瓶詰もいくつか並んでいる。
「カラカラ茸がこんなに、珍しいですね。これらは貴方が採集されたものですか?」
「いんや、うちの息子が外の見回りをやっててね、当番の日に森の浅いとこで採ってくるんだよ。カラカラ茸を知っとるなら、こっちの黒ワラビもおすすめだよ」
カミロが興味を惹かれたらしいキノコは、葡萄のように鈴生りの丸い形をしていた。図鑑でも見たことのない種類だ。ただ黒ワラビと言われたものや、その付近の籠に積まれた山菜には見覚えがある。
いずれもベチヂゴの森のいたる所に群生している植物だ。
「カラカラ茸は日陰で乾燥させてから水で戻すと、おいしいスープが作れるんですよ。乾くと中の軸が折れるので、振った時に名前の通りカラカラと音がすれば食べ頃なんです」
「へぇ、こんなキノコがあるんだな、知らなかった」
「特定の木の根元にしか生えない珍しいキノコですから。こちらの黒ワラビは一緒に煮てもおいしいですし、生のまま粘り気が出るまですり潰すと傷薬になります。少々、匂いのきつさが難点ではありますが」
その他にも薬草となるものや焚くと虫避けに使える草、煎じて飲むと体を温める効果がある木の皮など、カミロはひとつずつ指さして丁寧に教えてくれた。
よく見知った植物でも使い方によってそんな効能があったのかと、驚くばかりだ。
「お前は物知りだな、どれも書斎にある植物図鑑には載っていなかったぞ」
「私は山育ちなもので。あまり流通しないものも含め、薬草や山菜の類には馴染みがありまして」
謙遜するようにそう応えるカミロへ、老爺は感心したように息をつく。
「いやいや、本当に、お若いのに詳しいもんだ。虫避けの草は吊るして使うもんだとばかり思ってたが、燃やした方が効果が高いのかね?」
「そうですね、家の玄関や窓の付近に置く場合は干して吊るしますが、香木のように衣服へ匂いを焚き込めると、藪へ入っても虫に刺されにくくなります。畑の風上で煙を焚けば害虫避けにもなりますよ」
積まれた干し草に顔を近づけてみると、確かに何とも言えない不思議な匂いがした。
昔、
もうしばらく話を続けたそうにしている老爺へ、カミロは用事が済んだら買い物に寄る旨を伝えて露店を離れた。
「帰りに寄れたら夕食の材料を買いましょう」
「うん、カラカラ茸のスープとやらに興味がある」
「弱火でじっくり煮出すと、とろみと深いコクのある、琥珀色の美しいスープができるんです。きっとリリアーナ様のお気に召すと思いますよ」
「うまそうだ。……と思ったら、途端に腹が減ってきたな」
考えることが多すぎて空腹をすっかり忘れ去っていたようだ。意識した途端に腹が切なくなる。
時刻はそろそろ昼時。朝食をしっかり食べたからまだ平気でも、早めに何か入れないとじきに思考と動きが鈍ってしまう。
「そういえばもう昼食の時間でしたね、気が回らず申し訳ありません、露店の品でもよろしければ何か見繕いましょう」
「そうだな、先を急ぎたいし、ブニェロスのようにすぐ食べられる物で構わない」
周囲には先ほどから食欲をそそるうまそうな匂いが立ち込めていた。
昼食時ということもあり、食事を求める人々が露店で買い物をしている。簡易な皿で受け取りその場でかき込んだり、串に刺さった肉を頬張ったりと、マナーなど気にせず各々が好きなように食事を取っていた。
店の中にテーブルと椅子を設えている店舗もあるけれど、せっかくの機会だ、皆と同じように立ったまま食べるものがいい。
やはり客の多い店がうまいのだろうかと辺りを見回していると、少し行った先に妙な人だかりが見えた。
人だかり……というよりは、幾人ものヒトが道端に落ちている。
「何だあれは?」
「揉め事でしょうか、あまり近寄らない方が良いかもしれませんね」
<誠に申し上げにくいのですが、リリアーナ様。あの建物の中から、以前兄君へ贈られた石の反応があります。個体が密集しているため、もう少し近づいて頂ければ識別可能となりますが、おそらくあの中にいるのではないかと>
「っ!」
急に繋ぐ手を握りしめたせいで、カミロが驚いたように見下ろしてくる。
何と伝えるべきか迷い、結局上手い言葉は出てこないまま、とにかくあの店へ急ごうと手を引っぱりながら促した。
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