第338話 キレる大人


「リリアーナ様、先ほどから衛兵らしき二人組が周辺をうろついていたのですが、どうやらこの建物に入ってくるようです」


「衛兵……?」


 小さく呟いたところで、少年の肩がびくりと震えたのは見逃さなかった。


「どうした八朔、まさかとは思うが、お前にそんな怪我を負わせたのはこの町の衛兵なのか?」


「……」


 顔をしかめて言葉を返さない、その様子が是と返答しているも同然だ。

 常に後先を考えて行動してきたのに、今ばかりは感情が体を突き動かす。ボロ布を引っ張って長椅子の間に少年の体を押し込め、聖堂の入口に向かって駆けだした。


 リリアーナが開け放たれている扉から外に出ると、ちょうど二人組が金属製の外門から中に入ろうとしている所だった。砂色をした揃いの防具に帯剣、壁の外を巡回していた衛兵たちと同じ格好だ。

 聖堂の中から飛び出してきた姿に驚いたのか、衛兵たちは門に手をかけたまま足を止める。きょとんとこちらを見る顔はファラムンドより少し年上くらい、どちらも人狼族ワーウルフではなくヒトの衛兵らしい。

 鼻の下にひげを生やした方が一歩近づき、声をかけてくる。


「や、やぁ。お嬢ちゃんは聖堂の子かい?」


「わたしは通りすがりの者だ、この聖堂とは縁もゆかりもない。見たところ礼拝に安寧を求める者とも思えんが、守衛が揃っていかなる用向きか?」


「通りすがり……あ、ミミがあるぞ?」


 囁きを交わし、困惑も露わに顔を見合わせる。この人の好さそうな男たちが八朔を痛めつけた相手とは思えないが、一歩たりとも聖堂の中へ入れる気にはなれなかった。

 よく休んだおかげで体調は良好だし、手元にはエルシオンから奪ったバンドナの花粉もある。もし言葉だけで追い返せないようなら、こちらの身元が割れない範囲で何とでもしてやる。

 素早く、静かに、無力化させる。有効と思われる構成が頭の中にいくつも浮かび、ヒトに向かって使えば命も危うくなるような魔法までもが候補に上ったところで、我に返った。

 ゆっくり、大きく息を吸って、吐く。

 いつも通り冷静に、感情に引きずられず、落ち着かなければ。どうやら自分は今、少し怒っているようだ。


「わたしは軒を借りて休息をしていた所でな、静寂を乱されてはかなわん。用がないなら帯剣したまま入り込むような無粋は控えて頂こう」


「いや、決して用がないわけでは。実はこの辺りで不審者の目撃情報があってね、そいつが聖堂の寛容さを利用して、中に潜んでいるかもしれないから軽く捜索させてもらいたい。もちろん、無用に騒いだり備品へふれたりはしないと約束しよう」


「……」


 やはりこの衛兵たちは八朔を追ってきたようだ。不審者と言われればその通りの風体ではあるが、だからと言って丸腰の相手をあそこまで痛めつけて良い理由にはならない。

 話せば分かってもらえそうな相手だという印象を受けるものの、元より自分は交渉事が不得手。できることなら、どうして追っているのか、何か八朔に罪過でもあるのか問いかけて確かめたい所ではあるけれど、今はそんな余裕もない。


「休息中に申し訳ない、官吏のひとは不在なのかな、たしか高位の女官が滞在中だと聞いているが……」


「女官と官吏は、所用があって先ほど出かけた。昼過ぎには戻るだろうから出直してはもらえまいか」


「すまないがこちらも仕事でね、中を軽く見て潜んでいないと確かめられればそれで良いんだ、官吏殿の手を煩わせるまでもない。君の邪魔はしないから、そこを通してくれないか?」


 守衛の男は恫喝するでもなく、正当な理由と目的を述べている。あくまで職務の範囲で必要だから中に入れてくれと言っているだけ、むしろこの場で悪いのは権利もないのに立ち入りを阻んでいるこちらのほうだ。

 本来、聖堂の門は必要とする者すべてに分け隔てなく開かれているもの。『慈愛と安寧の門』に立ち塞がり、真面目そうな男たちを困らせている今の自分は、城に籠っていた『魔王』の頃よりよほど悪者っぽい。


「う……」


 八朔を庇いたい気持ちは変わらないけれど、言葉だけで追い返すのは無理かもしれない。聖堂とは無関係と言い張ってしまった手前、中に入れさせない言い訳に困ってしまう。

 やはりここは魔法を使って意識を刈り取るなり、夢想に沈ませるなりしてやり過ごすしか。

 幸い、周辺に通行人の姿はない。これなら突然衛兵たちが昏倒しても騒ぎにはならないだろう。眠っている隙に八朔を逃がしてしまえば中を見られて困ることはないし、マグナレアにも迷惑は及ばない。


(よし、やるか!)


 リリアーナがそう決意を固めたところで、衛兵ふたりの向こう側に何か動くものが見えた。

 あまりに素早いそれは姿を視認するよりも早くあっという間に距離を詰め、外門を足掛かりに高く飛び上がる。門のアーチを軽々跳び越えると、垂直に衛兵たちの眼前へ降りてきた。

 先に気づいていたリリアーナはともかく、突然目の前へ落ちてきた影に衛兵ふたりは心底驚いたようで、飛び上がるようにしてその場から数歩退がる。

 白くゆったりした衣服に梳いて下ろした髪。見慣れない姿のためすぐにはわからなかった。

 まるで庇うように目の前に立つのは、領事館へと向かったはずのカミロだった。


「何用ですか?」


「な、何だね君は、ここの官吏か?」


「だったら何だと言うのです、私がどこの誰かという情報がこんな幼い少女を大人ふたりがかりで脅していることに何か関係があるとでも? 相手の無抵抗と周囲に人目がないのを良いことに武器を携えたまま威圧的に自らの要望を通そうととするなんて、町の治安を任された職務にありながら恥ずかしくはないのですか? 所属する隊名と役職、お名前をおうかがいしておきましょう。常々権威を笠に着た守衛隊の横柄は目に余ると思っていたところです、治安部門を預かるフイルト殿も近頃は御多忙で隅々まで目が行き届いていないのでしょうね。良い機会ですから直々に苦情申し立てさせて頂くとしますか」


「いや、我々はあくまで職務の範囲で……今も決して無理を通そうだなんて。だから総隊長には何とぞ……」


「つい先ほども領事館へ赴いて総領殿とお話しをしてきたところですが。最近は人の流入に対して治安維持のための人員が足りていないと零しておられました。数の不足だけでなく質の低下まであってはさぞ頭の痛いことでしょう。平等な統治と安全を謳うサルメンハーラにおいて役職持ちの横暴がまかり通るとは嘆かわしい。ですが私も一介の官吏として聖堂に仕える身、忠誠と職務への責任感から少しばかり行き過ぎてしまうことがあるままならなさも理解しておりますとも。ええ。もしお二方がこのまま踵を返し、我らが慈愛の門の安寧を乱さずに頂けるのでしたら、本日のことは見なかったことにして差し上げても宜しいかと。いかがでしょう?」


 こちらに背を向けているためその表情は見えないが、濁流のように紡がれるカミロの言葉に顔色を悪くした衛兵たちは何度もうなずいてじりじりと下がる。そして半開きになっていた外門を過ぎると敬礼を返し、足早に立ち去ってしまった。


 正体も名前も明かすことなく、相手側の反論すらまとめて押し流すように、あっという間に追い返してしまう弁舌の見事さに感嘆する。自分ではどう頑張ったところでこう鮮やかにはいかない。

 衛兵たちの姿が完全に見えなくなり、引き返してくる様子もないことを確かめるようにしばし間を置いてから、カミロが振り返る。

 その顔が、何かに驚くようにわずかに瞑目した。

 自分の頭越しに向けられている目。その視線を追って聖堂の中を振り向くと、ボロ布のかたまりが窓枠に足をかけ、今まさに外へ飛び出そうというところだった。


「八朔!」


 詫びるようにすがめられた目がこちらを見る。

 少年はそのまま呼びかけに返すことなく、窓の外へと躍り出た。

 傷を治したとはいえ、体の中にはまだ痛めている部分が多数残っている。それに八朔にはまだ訊いておきたいこともあった。

 すぐに追いかけたいと思いながら、カミロを前に動き出せないでいると、息を切らしたマグナレアが門から入ってきた。よろける足取りは今にも倒れ込みそうで、腕に白い布を抱えている。


「んもう、何なのよ。いきなり上着を脱いで走り出すんだもの、頭の痛い問題続きで、とうとう頭がおかしくなったのかと思ったわ……、って、何、中に誰かいるの?」


「彼は……。リリアーナ様、何があったかおうかがいしても?」


 衛兵を追い返せたのは助かったけれど、ふたりがこんなに早く帰ってくるのは予想外だ。まさか八朔のいる間に鉢合わせるとは思っていなかったため、何も説明を用意していなかった。


「あの、その、彼が怪我をしていたんだ、ので、タオルと水差しを借りて治療を。そのあと、衛兵たちが中を見せてくれと言うから、困って。……大人しくしていると約束したのに、勝手に招き入れて申し訳ない」


 そんなたどたどしい説明にもカミロの険が混じった無表情は変わらない。膝を落とし、「失礼を」と断ってからリリアーナの手を取る。

 上向けた手のひらには擦ったような血痕がついていた。八朔の傷にふれた時か、タオルで拭った汚れがうつったのだろう。

 それがリリアーナ自身の怪我による出血ではないと確かめたカミロは、小さく息をついて緊張を解く。


「状況は、大体わかりました。怪我をした少年が迷い込んだので、人道に基づき面倒を見ただけ。そうですね?」


「あ、うん……」


「リリアーナ様に何事もなく良かったです。先ほどの衛兵たちは彼を追っていたのでしょう。お優しい心根は理解しているつもりですが、もし次に見かけても安易に近寄らないと、どうかお約束下さい」


 言い含めるように正面からじっと目を見据えてくるカミロに、うなずきを返すことしかできなかった。

 その横から息を整えたマグナレアが顔を出し、恐る恐るといった様子で聖堂の中をのぞき込む。


「あらいやだ、じゃあ例の強盗犯がいたのね? リリアーナが無事で何よりだけど、今逃げて行ったのでしょう、追わなくて良いの?」


「武器強盗の一件はすでに落着しております、今現在の優先順位としては考慮に値しません」


 その返答に瞬き、はっとして立ち上がりかけた白い袖を掴む。

 稲穂の子に会えたこと、キヴィランタの皆の様子を聞けたことに喜ぶあまり、前にキンケードから聞いた話とは結びつきもしなかった。あの騒ぎの後、本人からちゃんと報告を受けていたのに。


 ――陽の季の太陽や、柑橘の皮みたいな髪の色。

 ――小柄ながらヒトとは思えない異様な怪力。

 ――切れ味を高めすぎた剣で負った深い傷。

 ――『赤い眼』の持ち主を探していた。


「待て、待ってくれ、あの少年が強盗って……まさか、武器強盗? では屋敷での侵入者騒ぎも、あの者が犯人だったのか?」


 自分で言いながら未だ信じられない思いでいるリリアーナに対し、カミロは無言のまま首肯を返した。


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