第337話 かつて生きた証明


「お前、お前は、あの稲穂の子……なのか?」


 顔を両手で掴み、のぞき込んだ瞳は泉の色を湛えていた。元から魔王城に住み着いていた小鬼族たちは持たない色、髪も目も肌も、混血の鉄鬼族である銀加と同じだ。

 その血を継いでいる、稲穂の息子。

 籠の中で産声を上げていた柔い幼子、自ら名付けた小さな命。手に抱えるとあまりに軽くて、柔らかくて、下手に掴むと潰しそうだし、不意にもぞりと動くものだから取り落としそうでどうすれば良いのか途方に暮れたのを思い出す。

 父母には似ず活発に育ち、いつも眩しいほどの笑顔を振りまいていた娘。だが、最後に見たのはくしゃくしゃの泣き顔だ。

 城を離れるように言い聞かせても首を縦に振ってはくれず、黒鐘と揃って困り果てていたのを金華が引きずりながら連れて行ってくれた。

 魔王城で『勇者』一行を迎える前日の記憶。


「そうか、稲穂の子、ウーゼと銀加の孫なのか……。そこらを駆けまわっては転んでいたあの小さな稲穂に、こんな立派な子どもができるほどの年月が過ぎていたのだな。そうか……」


「なんで母ちゃんだけじゃなく銀じいのことまで知ってるんだよ?」


「知っているとも。稲穂の名付け親は、わたしだからな」


 そんなことを言ってみても、この幼いなりだ、信じるのは難しいだろう。

 別にそれでも構わない。ウーゼの遺した命が無事に育ち、こうして次の世代に繋がっていることを確かめられただけでも満足だ。たとえ自身には叶わないことでも、見守っていた彼らがちゃんと命を次へと繋いでくれているなら。


「あれから数十年が過ぎている。世代の交代は進んでいるのだろうが、稲穂や他の皆は元気にしているか? 技術の伝承がきちんとされるか気掛かりだったのだ、今でも畑や水路の維持はちゃんとできているだろうか?」


「は? 畑の世話くらい今でもしてるだろ、俺だってデカイ奴らと一緒に当番やってたし。母ちゃんも元気だけど、名付け親って……」


 戸惑う少年に対し、つい矢継ぎ早に質問してしまう。

 ヒトとして生きると決意をしても、ずっとキヴィランタのことは気掛かりだった。

 エルシオンには訊ねられなかった魔王城周辺のこと、現在の住民らの様子。自分が残してきた知識と技術は果して根付いているのか、食糧や暮らしに困ってはいないか。今でも多種族がそれぞれの特性を生かし、無為に衝突することなく協力し合えているのか。


 『魔王』として、自分の血を残せないことは初めから知っていた。

 だから、その代わりというわけではないけれど、生きた証として何か別のものを残したかったのかもしれない。


「そうか……、わたしがいなくなっても皆で協力し合って、畑の世話もしてくれているのだな。良かった、統治をしている間の一時的な豊穣ではなく、有用なものを次代へ繋げて、どの種族も平穏に暮らせる地を作るのがわたしの望みだったんだ」


 かつての自分の為したこと、残してきたものが役に立っている。

 枯れた土地を潤し、知識と技術を伝えた。種族毎の住居、水路、田畑、城を囲む街並み。時間をかけ、皆で苦心しながら作り上げたもの、やってきたことは無駄ではなかったという安堵に涙が溢れる。

 嬉しい。

 ただ『勇者』に討たれる運命にある『魔王』でも、生きた意味はあった。


「な、泣くなよ! てめぇ、いや、あんた、もしかして……」


「すまない、体が幼いせいかどうにも感情の手綱を取るのが難しい。稲穂の息子よ、名前を教えてくれるか?」


「……八朔はっさくだ」


「八朔? あの中庭の? あぁ、髪があの黄色い果実とそっくりだから?」


 名づけの由来をすぐに言い当てられたせいか、少年は唇をとがらせて顔を横に背けた。

 すねた時の仕草まで稲穂によく似ている。自分を見上げる幼い姿しか記憶にないけれど、いつの間にか大人になって、伴侶を得て子どもができて。……己のことでもないのに、何とも言えないくすぐったいような、妙な心地になる。

 ウーゼが出産をした時にもこんな感慨があったのだろうか。『魔王』でいた頃は感情の起伏が少なかったこともあり、記憶に残っているのは「どう思ったか」よりも、「どう考えたか」ということばかりだ。

 勝手に溢れてくる涙を手で拭いていると、顔を背けた八朔がちらちらとこちらを気にするような素振りを見せる。


「なぁ、なぁ、あんたもしかして、生き返った魔王様なのか?」


「え、」


「死んだデスタリオラ様がどっかで復活してるんだって、前に大人たちが話してた。バカな噂話だとばかり思ってたのに、本当だったのか!」


「そんな噂が……」


 これまで生前の正体をヒトに話したことはないけれど、エルシオンは元から自分の生き返りを知っていたし、他に事情を知る者がいたっておかしくはない。

 自身ですら未だ知り得ない、二度目の生の謎。キヴィランタへ赴いてその噂の出元を辿ることができれば、この不可思議な現象についての説明が――


 思考が逸れそうになったところで、正面から爛々とした目が向けられているのに気づく。

 つい多弁になってしまったけれど、ここまで話したなら自分からそうと打ち明けているも同然だ。まだしばらくカミロたちは帰ってこないだろうし、すでに噂の形で知り得ているのなら、話してしまってもさして問題はないだろう。

 相手がウーゼの孫であるという親近感も、秘密の紐が緩む一助となった。


「他の者には伏せておいて欲しいのだが、確かにわたしは生前キヴィランタを治めた『魔王』デスタリオラだ。あの城で討たれた後、この通りヒトの娘として生まれ直してな、昔のことは隠したまま暮らしているんだ」


「子どもに化けてるわけじゃないのか?」


「うむ、今年で八歳のれっきとした子どもだぞ」


 別に威張るところではないと分かっていながら、何となく胸を張ってしまう。

 そうして話をしながらも右足の打撲を治療し、大きな傷跡の周りで化膿しかけていた箇所もきれいに治してやる。

 全身にある痣の形状を見る限り、何か棒のようなもので強く打たれたようだ。両指の付け根に残っていた傷は拳で殴打した痕。それなりに応戦したようにも思えるが、一体何があったのだろう。


「八歳って、いや、魔王様がそんな格好してるなんて誰も思わないだろ……何だよ、でも、そっか、本当に生きてたんだな、じっちゃんが聞いたらきっと喜ぶ。あ、でもヒトだと森の向こうには行けないのか?」


「そうだな。生前の記憶はあれど一度死した身だ、もうキヴィランタに関わるつもりはない」


 あらかた外傷の治療が終わったところで、据え置きのグラスに水を注いで手渡した。

 相当喉が渇いていたらしく、受け取った八朔は一息にそれを飲み干して少しだけ咽る。空になったグラスへさらに水を注ぐと、それも一気に飲み切ってしまう。


「そんなに喉が渇いていたのか、水はいくらでもあるから焦らなくて良い。……訊かないつもりであったが、何ゆえそんな傷を負ったのだ。魔物にやられたわけではあるまい、これらは全て武器による傷跡だ。この町でやられたのか、それともキヴィランタで諍いでも?」


「これは……、いや、俺のことはいいんだっ、怪我なんて放っておいてもすぐ塞がる。それよりもあんた、魔王様、今はヒトになってるって、まだみんなは知らないんだな?」


「あぁ、うむ。家族にも伏せているし、こうしてサルメンハーラに来たのも偶然によるもの、今までお前以外にキヴィランタの住民と会う機会はなかった。再び統治するつもりもないのに、生まれ直しているなんて臣下らが知れば混乱するだろうからな」


 口にすることで気持ちに区切りをつけるような、どこか自分への宣言にも似た心地でそう言い切った。

 生前のことを覚えている以上、キヴィランタのことを気にするのは仕方ない。思いを馳せることはある。でも、それだけだ。

 今の自分は領主ファラムンドの娘、リリアーナ=イバニェス。この命をヒトとして生きると決めたのだから、思う以上に踏み込むことはしない。


「……じっちゃんにも言ったらダメか?」


「じっちゃんとは? 銀加のことか?」


「銀じいじゃなくて、黒鐘のじっちゃんだ。知ってんだろ?」


「ほう、黒鐘はまだ存命だったか、驚いた。たしかに鉄鬼族は長命と聞くが、出会った時点でもう二百歳を越えていたのに」


「めちゃくちゃ元気だよ、あと五百年くらいは生きそう」


 素直な驚きを現すと、少年も顔をくしゃりと歪めて笑った。自分がこうして今も在ることを知れば、黒鐘は喜んでくれるだろうか。

 最期まで誠心誠意仕えてくれた大柄な老爺を思い出し、胸を締める懐かしさを払うように首を振る。


「死んだ者は本来、生き返ることはない。デスタリオラはもうこの世のどこにもいないのだ、今のわたしのことは黒鐘も知らぬほうが良いだろう」


「そうか……。わかった、言わない」


 声音を落とし、残った方の目を伏せながら八朔はうなずいてくれた。

 本当はもっと現在のキヴィランタの様子や魔王城周辺のことを訊ねたいけれど、これ以上聞くと里心がついていけない。懐かしさに引きずられて決心が鈍ってしまいそうだ。


 治せる範囲の傷は治療したから、あとは体をきれいにして打撲痕を診てやりたいところだが、八朔の正体を隠したままマグナレアに浴室を借りるのは気が引ける。すでに治療をしたとはいえ、ここで八朔を見放すのもどうかと思うし。話せる範囲で打ち明けて、もうしばらく休ませてもらおうか。

 リリアーナがそんな思案をしながら汚れたタオルや包帯をまとめていると、八朔はのそりと長椅子から立ち上がった。


「どうした、まだ休んでいけ」


「いいんだ。十分よくしてもらった、ありがとう、もうどこも痛くない。ただの噂だって馬鹿にしてたけど、魔王様と会えて良かったよ。あんた身なりも立派だし、イイとこのお嬢なんだろう?」


「そうだな、裕福な家に生まれて、家族にも大事にしてもらっている」


「家族がいるのか、そうか……」


「?」


 八朔は畳んでおいたボロ布を掴み取り、再びそれを頭から被る。

 入ってくる時は脚を引きずって前屈みだったが、こうしてそばで背筋を伸ばした姿は意外と大きい。見上げる背丈はアダルベルトと同じくらいある。

 細身ながら腕も腹もしっかりと筋肉がついており、確かに小鬼族と鉄鬼族、両方の血を継いでいるのだなと実感をした。


「他の奴には黙ってる、約束する。だから、なるべく早くこの町から出ていけ。あんたはここにいない方がいい」


「なぜだ?」


「いいから、早く家に帰れ。家族がいるんだろ、あんたはそこで幸せになるべきなんだ。安心しろ、『勇者』の野郎は俺がこの手でぶっ殺して、必ず魔王様の仇を取ってやるから!」


 突然物騒なことを言い出す八朔に手を伸ばし、聖堂から出るのを引き止めようとしたところで、肩から下げたポシェットが危険を知らせるように振動を伝えた。


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