第331話 デキる大人


 マグナレアに着替えさせてもらってから部屋を出ると、パンの他にも肉を焼いているような食欲をそそる匂いが漂っていた。

 昨日の夕食は早めだった上、いつもより起床が遅いからとても空腹だ。匂いにつられたリリアーナが鼻を鳴らしていると、先に立って案内をするマグナレアが上品に笑った。


「たしかに良い匂いがするわね。新鮮な腸詰が手に入ったとか言っていたけれど、何を作っているのかしら?」


「作ったのはマグナレア様ではないのですか?」


 本人が迎えに来た以上、すでに調理は済んでおり食卓から漂う匂いなのかと思っていた。今この聖堂にはマグナレア以外の官吏はいないそうだし、となると朝食の支度をしているのは――


「ええ、カミロが腕を揮ってくれているのよ。あれは器用だから何でもできるのよね、小言はうるさいけれど一家にひとり欲しいわぁ」


「便利な道具扱いも結構ですが、結局は扱う人間次第ですよ。ところで皿が足りません、置いているのはこれだけですか?」


 手前の廊下だがこちらの会話は聞こえていたらしい。少し離れたところからカミロの声と物音が届く。

 返事をしながら足を速めるマグナレアに続いて部屋へのアーチをくぐると、簡素なテーブルの上に食事の支度がされていた。位置的には昨晩通った談話室の奥だろうか。

 腹は空いていてもリリアーナの興味はテーブルの上より厨房へと引かれる。間仕切りの衝立から顔をのぞかせると、棚の奥から箱を引っ張り出そうとしているマグナレアの向こうに、腕まくりしたカミロが立っていた。


「リリアーナ様、おはようございます。良くお眠りになられましたか?」


「おはようカミロ。ぐっすり眠りすぎたくらいです、体調も快復しているので安心してください」


「それは何よりです。……お召しになられているのはマグナレア様の?」


「そうよ、いらないワンピースがあったから、昨晩のうちに裾を持ち上げて軽く縫っておいたの。即席にしては良くできているでしょう?」


 箱と格闘しているマグナレアが答えた通り、先ほど部屋へ迎えに来た彼女に着せられたものだ。

 黒い生地はさらりとして手触りがよく、無駄な装飾がないため着心地も悪くない。腰の辺りで折り込んでいるのも元からそういう意匠だったように見えるし、襟ぐりはリボンで調節がきくようになっている。

 繕ったマグナレアが自慢気なので、リリアーナはその場で一回転してカミロに背面も見せておいた。


「とても良くお似合いですよ。衣料品店が開くのを待たねばと思っていたのですが、その必要はありませんでしたね」


「外套は拭いて砂を払って下さったそうです、朝食を終えたらすぐにでも出られますね。カミロが調理もできるとは知りませんでした」


「できるとは言っても、自己流なので簡単なものしか作れません。リリアーナ様のお口に合うと良いのですが」


 朝食の支度をしている作業台は位置が高く、横からでは何をしている所なのかよく見えなかった。

 箱を漁ったマグナレアが底から大きな皿を取り出し、受け取ったカミロはそれを拭いてあれこれと盛りつけていく。もうほとんど作り終えて、三人揃うのを待っていたところなのだろう。温め直したスープと瀟洒なポット、カトラリーの詰まった籠などを運んでから皆で食卓につく。

 屋敷の食堂と比べれば手狭だしテーブルも小さいが、会話をしながら食事をとるならこれくらいがちょうど良い。それぞれの毒見を済ませたカミロが促し、リリアーナとマグナレアも食べ始めた。


「大して時間はかけていないのに立派なもんじゃないの」


「恐縮です。調理用具を使われた形跡がないところを見るに、普段のお食事は全て外でとられているのですか?」


「えぇそうよ、前任者もそうだったんじゃないかしら。市も近いし、屋台で買ったほうが確実においしいもの。聖堂では立場上、変に気を遣ったり遣われたりするのも面倒だったから、ここでのんびり過ごすのも案外悪くないわ」


 そう言って、上機嫌なマグナレアは籠に盛られた焼き立てのパンへ手を伸ばす。

 自分の元にはカミロが小皿へ取り分けてくれたので、それをちぎって口へ運ぶ。香りが強く、ジャムを塗らずとも甘みがあってうまい。何かを練り込んである風でもないし、麦の品種が違うのだろうか。

 目の前の大きなプレートには炙ってスライスした腸詰に、卵を焼いて赤いソースをかけたもの、彩りよく混ぜた葉物など色々な料理が少しずつ乗っていた。鮮やかで目に楽しく、どれも文句なしにおいしい。


「このパンもカミロが焼いたのですか?」


「いえ、それは親切なお店の方に分けて頂いたものです」


「……?」


 その回答にいくつかの疑問が浮かび、食事の手が止まる。首をかしげるリリアーナを見たマグナレアはパンの出所を気にしていると思ったのだろう、指先についたパンくずを払うと、日が差し込んでいるのとは反対側の窓を指し示した。


「ほら、あそこに煙が上っているでしょう? あの辺りに大きな窯があって、毎日工事に使う煉瓦を焼いているのだけど。窯の端は住民に開放されていて、早朝にパンだねを持ち込むと一緒に焼いてくれるって聞いたわ。皆が自宅に設備を持っているわけではないから、重宝されているみたいね」


「焼き煉瓦の窯が……」


 そういえば正面の壁沿いに並んだ倉庫は、いずれも煉瓦造りだったような気がする。増築が進む外壁にも膨大な資材が必要になるし、切り出してくる石材だけでは足りないのだろう。


「あっち側には大きな共同浴場があるのだけど、そこのお湯も全て窯の余熱を使っているんですって。私は行ったことないけれど、よくできているわよね」


「何と無駄のない……、へぇ……」


 つい口調を取り繕うのも忘れ、窓の外へ目を向ける。もうもうと立ち昇る煙の出所は町の西端だろうか、この位置からでは他の建物が邪魔をして煙しか見えない。

 窯の余熱を利用して湯を沸かし、それを共同浴場へと流しているなら大元の設計段階からそう意図され造られたものだろう。水を汲み出しているのは川か地下水かわからないが、配管も含め相当大掛かりな仕掛けのはず。町造りの一貫としてそんなものを建造し、住民らの暮らしに役立てているとは驚きだ。

 サルメンハーラの町に素直な感心を寄せながらも、気掛かりだったのはそこではない。

 食事を再開しながらもじっとりした視線を向けると、それを受けたカミロはすぐに折れた。


「申し訳ありません……。食材がほとんど置かれていなかったので、早朝のうちに外へ買い出しに参りました」


「別にいいんじゃない? カミロが年寄りみたいに早起きなのは昔からだし、そのお陰でこうしておいしい朝食ができたんだもの。この腸詰は何の肉かしら、お酒にも合いそう」


「ええ、その通り、とてもおいしいです。さすがはカミロ。そつのないあなたのことですから、お買い物のついでにお店の方々とお話し・・・もしてきたのではありませんか?」


 バレンティン夫人直伝の笑顔を浮かべてそう訊ねると、カミロは少しだけ首の角度を変え、眼鏡の位置を直す仕草をした。


「はい、ほんの少しばかり世間話など」


「あぁ、さっき言っていた領事館がどうのって件ね。開門までしばらく時間があるから、朝食が済んだらリリアーナにもゆっくり説明してあげる。ずっと心配していたんでしょう、お兄ちゃん想いの良い子だこと。あいつの娘だなんてとても信じられないわ」


「……」


 自分がまんまと寝坊して、さらにはノーアと取り留めのない会話をしている間に、カミロはひとりで外へ出て必要な聞き込みを粗方終わらせたということだろう。

 しかもマグナレアには先に情報を共有して、すでに今日の予定まで立てている。


 ……別に、自分が同行したところで聞き込みの役に立つわけではないし、身の安全などカミロには余計な気を遣わせることになるし、幼い子どもに聞かせたくない話なんか出たらきっと無駄に困らせてしまう。

 だから自分が寝ている間に、買い物のついでとして情報収集を済ませてしまうのは合理的な判断だ。時間も無駄にならず、購入の後だから店主の口も軽くなるだろう。理にかなっている、何も間違ってはいない。

 ノーアが言う通り、カミロはできる大人だ。いつも考えが足りず精神も体の年齢に引きずられて感情の起伏が激しくて短慮で虚弱で役立たずな自分とは違って。


「リリアーナがふくれてるわ! ほっぺた丸い、かわいい!」


「申し訳ありません、手早く朝食の買い出しだけ済ませるつもりだったのですが、ちょうど相手から求めている話題を出されたものですから……」


「ふくれてないし、怒ってもいないです。カミロが謝る必要はありません」


 頬が丸々しているのは元からだ。表情を溶けさせるマグナレアと恐縮するカミロからぷいと顔を逸らしたリリアーナは、子どもみたいな不機嫌さを飲み込むように温かいカップを傾けた。


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